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第一話 浮世の参拝者
浮世の参拝者 完
しおりを挟む私達はこの一件を終えて香果さんの家に帰ってきた。
香果さんの「夕飯が出来るまで、ゆっくりしていてくれるかい。君も疲れただろうし」との言葉に甘え、借りている部屋の畳に横になる。
「落ち着かないな」
一般市民の私にはこの部屋が大きすぎる。かといって他のアパートや町に繰り出すのは、妖怪やアヤカシが怖いわけで、結局、この広い部屋でゴロゴロする他、何もする事が無い。
「やっぱり、広過ぎるな、この部屋は」
私は小さく呟いた。
「部屋が広過ぎるのが不満じゃぁ、商売上がったりでさぁ。勘弁してくだせぇ」
何処からか気怠気な声が聞こえた。
「八雲さん、夕飯出来ましたぜ」
「誰かいるの」
私は御簾を上げて確認する。しかし人の姿は、何処にも見えない。
「何処見てんでさぁ。夕飯が出来やしたって」
足元から声が聞こえる事に私は気付いた。忍者のような、隠れんぼ、をしている人が居るのか、そんな事を思いながら足元を見る。
「ね、猫!?」
足元に居るのはまぎれのない、言葉を話す猫だった。
試しに触ったり抱かえたりしたが、猫には喋る以外は普通の黒猫だ。
「何でさぁ。普通の猫は嫌い、って云う訳ですかい」
「そ、そうじゃないよ。それに、しゃべる猫なんて、普通じゃないし」
真っ黒でよく整った毛の黒猫が胡散臭そうにこちらを見る。
私はその眼力に負けない様、猫を睨む。
一人と一匹は睨み合ったまま全く動かない。
「藤華。ご飯が出来たから、八雲君を呼んできて欲しいと頼んだのだけど、呼んできてくれたかい」
香果さんが、孫廂を歩いて来る声がした。
「八雲君、夕飯が出来たよ、って何をしているのかい」
香果さんは睨み合っている一人と一匹を見た。
猫は香果さんを見ると猫なで声で「にゃー。ミャアー」と鳴く。
それを聴いた香果さんは納得したように「あっははは」と笑い出した。
「藤華、この子が八雲君だよ。アヤカシでもないし、妖怪でもない。浮世の人間だよ。別に対抗心なんて燃やさなくても良いのに」
「しかしねぇ旦那。生きた人間との共同生活なんざぁ、俺は慣れてないんでさぁ。驚かすまいと尻尾一本にしたのに八雲さん、すっかり驚いてしまいましたぜ」
藤華と呼ばれた猫は、くるっと空中でバク転をすると香果さんより一回りほど若い、高校生くらいの男子が目の前に現れた。
髪は良く整った短髪の黒髪で、今どきの洋服に身を包み、香果さんの雰囲気とはまた違ったがイケメンの分類に入るのだろう。
アイドルの様に良く整った派手な顔立ちだった。
「香果さんこの人、猫?は誰なのですか。喋るし変身するし」
「彼は藤華だよ。人間でも、猫でもない。強いて言うなら妖怪かな」
妖怪なんかがこんな身近に居るのですか。本当に浮世離れしているのてと私が心の中で呟いたのは言うまでもない。
「旦那、酷いですぜ。人間も何もオレはれっきとした妖怪でさぁ。マァ、自己紹介してやっても良いのですがね」
「えっと、妖怪…」と私が呟くと「妖怪でさぁ」とけだるそうに答えた。その目が「早くお前の自己紹介をしろ」と圧力を掛けた。
「あぁぁっと、き、霧立、や、八雲です。に、人間です。よ、よ、宜しくお願いします」
「俺は猫又の藤華でさぁ。仲良くしてくだせぇ」
藤華さんは、これで満足だと云わんばかりに、私を見る。
きっと遊ばれているのだろう。
「マァそんな訳で、気が乗ったら八雲さんの手伝いもいたしまさぁ。マァ、優先順位は圧倒的に、旦那ですがね」
「コラ。藤華またそんな事を。駄目だよ。咎めとして、これから一週間境内の掃除を手伝ってもらうからね」
「えー、イヤでさぁ」藤華さんは不満そうな声を出した。
「そんな事を云っても駄目だからね」
香果さんは「めっだよ」と藤華さんを叱ったが、案の定、全く迫力がない。
「それと、私は、如何して此処へ来たのだっけ」
香果さんがそう言うと、グゥと私のお腹が鳴った。
香果さんはそれを聞くと手を軽く、ポンと合わせて云った。
「そうだ、八雲君、夕飯が出来たよ。君さえ良ければ一緒に食べたいのだけれど良いかい?」
「勿論です。ありがとうございます」
『常世』と云う異世界に迷い込んだ私には香果さんの気遣いが素直に嬉しかった。
「八雲さん、旦那直々に料理とはありがてぇ話でさぁ」
「さぁ、二人とも、此方へおいで。大広間まで案内するよ」
香果さんは私を大広間まで親切に案内してくれた。
大広間には大きな丸型の卓袱台に様々な料理が乗っていた。
白米に味噌汁、刺身、豆腐、コロッケ、漬物、焼き魚、煮物などがあり、一人でこれらを作ったのかと思うほど豪勢だった。
「全部、浮世の物だから安心して食べて平気だよ。まぁ、私の料理が八雲君の口に合うか否かは判らないけど」
「絶対おいしいです。断言できます」
「なら良いのだけど」
私は香果さんの作った料理を口に入れる。
「んん!美味しい。香果さんすごく美味しいです」
「八雲君の口に合って何よりだよ。藤華も私の料理で良ければ食べてくれるかい」
「旦那の料理が毎日食えるオレは幸せ者でさぁ」
藤華さんは、嬉しそうに料理を食べていく。
「さぞかし旦那は、八雲さんも今日から家族とでもおっしゃったことでさぁ。でしたら八雲さんも、家族ってことならここで話すときくらいタメ口で話してもいいんじゃないですかぃ」
「確かに私はそう言ったけれど」
香果さんは首を傾げる。
「そのためぐち、とは何だい」
香果さんはタメ口と云う言葉にクエッションマークが付いていた。
漫画なら頭にもマークが浮んできてもおかしくない。
「えぇと、何と言うか、その、自分と対等の相手にする口の利き方のことで」
「それは面白そうだね。八雲君、そのためぐちで何かで話してくれるかい」
「あっはい、えっと何を話せば」
「八雲さん、タメ口で何か面白いこと言ってくだせぇ」
「いきなり無茶振り!?」
「好いと思ったんですがね」
「なら、浮世のことは如何かな。或る人に今の浮世の言葉を理解しろと何度も言われてしまっている訳だし」
「えぇと、今の言葉ならアルファベットとかかな」
「あるふぁべっと、とは何だい」
私はポケットから携帯を取り出しアルファベット一覧を二人に見せた。
香果さんは頭が混乱しているのがあからさまだった。
藤華さんは「あーあ」と頷いた。
「これ、外国の言葉でしょう。オレが生まれたときから見れば浮世も随分と変わってしまったんでさぁ。何せ、オレが生きていた頃は外国と交流なんざしてやせんでしたからねぇ」
「とつくに?との交流がなかったってどういうことなの。藤華さんが生きていた頃って一体何時代なの」
「江戸の初期でさぁ。今で云う鎖国ってやつをやってやしてね」
「え、待って。え、江戸時代ってこと。あ、あの徳川家の江戸時代のことなの」
「それ以外に江戸などねぇんでさぁ」
高校生のようにしか見えない藤華さんは江戸時代の人で彼は江戸の妖怪ということなのか。
「まぁ、オレは猫又でしてね。前世はフツーの猫だったんでさぁ。それから色々あって猫又になり、それから四百年ほど生きているって訳なんでさぁ。四百年間、生粋の江戸っ子なんでさぁ」
「なるほど、そうなんだね。って絶対ならないから」
藤華さんは、つまらなそうな顔をした。
「まぁ、昔話はそれ程にしやしてこの香果の旦那が直々に作って下さった料理。早く食わねーとさめてしやいやすぜ」
「それもそうだね。また後で藤華さんの話は聞けば良いしね」
「はぁ、人の昔話を訊くなんてそりゃ野暮な話でさぁ」
「あっははは。本当に君たちは面白いね。八雲君が居ると賑やかで楽しいよ」
香果さんは私たちの会話を笑いを押し殺しながら聴いていた。
そして最終的には押えきれず高笑いをした。
「いや香果さん面白くないから」
香果さんは口に手を当て「あっはは、あはは」と笑っている。
「ほら、香果の旦那も笑ってないで食べてくだせぇ。料理が冷えてしやいやす」
藤華さんは香果さんに少し強く言った。
それでも私たちを見て笑っている。
藤華さんは「笑わないでくだせぇ」とまた何度も強く言っていた。
しかし彼の顔はまんざらでもなかった。
そんな二人を見ていた私はいつの間にか声を上げて笑っていた。
「八雲さんまで笑わなくってもいいじゃないですかい」
「いや、その二人の仲が良いなって」
「まぁ、旦那と仲がいいのは光栄ですがね。にしても二人してオレを笑わなくったていいじゃないですかい」
香果さんと私、それに藤華さんは笑っていた。
香果さんは、藤華さんは一体何者なのか。
そんな疑問が頭に浮んだ。
きっと悪い人ではないだろう。
そう思いながら。私は笑っていた。
これからここで暮らしていくのだなぁ、としみじみ感じながら料理を口に入れた。
香果さんの作ってくれた料理はこの家族と同じように優しく、あたたかなものだった。
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