上 下
28 / 32

番外編 3

しおりを挟む
「何かあった?」

 心配そうに私を見下ろす俊に対して、先ほどの女性とのやりとりを正直に話すべきかとても迷う。
 もしも本当に彼があの若宮という女性と親密な関係であったのなら……。
 私が今その関係を問いただすことで、彼は私に別れを告げるのだろうか?
 それともなんでもないと誤魔化すのだろうか?
 自分から別れのきっかけを作ってしまうかもしれないという事実が怖い。
 もし彼から別れを告げられるくらいならば、このまま見て見ぬふりをして何事もなく過ごした方がマシなのかもしれない。

「何もないよ。早く着替えて俊も寝たら? きっと明日も早いんだろうし……今お茶でも淹れるね」

 何事もなかったように平然を装いソファから起きて立ち上がると、キッチンに向けて足を踏み出す。
 すると、突然背後から手首を掴まれた。

「待てよ葵。なんでもない顔じゃないだろ」

 そしてそのまま後ろへと腕を引っ張られ、包み込むようにふんわりと抱きしめられる。
 後ろから抱きしめられているため、俊が今どんな顔をしているのかはわからない。
 
 ──私の大好きな香り……。

 少し汗の混じったようなその香りは、いつもの俊と同じ香りだった。

「話して。どうした? なんか嫌なことあった?」

 耳元でそうかけられる声色はとても優しくて、その優しさで我慢していた気持ちが溢れ出しそうになってしまう。

「……若宮さん、て……誰?」
「え? 若宮さん? なんで葵が知って……」
「誰なの……? 俊の新しい彼女なの……」
「は? 彼女? ちょ、ちょっと待って葵っ」

 慌てたような声が聞こえたかと思えば、すぐにぐるりと体の向きを変えられる。
 俊と向かい合うような形になったが、今の私はきっと醜い顔をしているはず。
 俊にそんな姿を見られたくなくて、思わず俯いた。
 しかしそんな私の両頬を手で挟むようにして彼は自分の方を向かせる。
 隠しきれない涙が目尻を伝い、俊の手のひらを濡らした。

「何を勘違いしてるのかわからないけど、俺の彼女は葵だけに決まってるだろ。これから先もずっとお前だけだよ」

 諭すようにそう告げられると、そのまま触れるだけのキスをされる。

 しかしそれでは先ほど彼女が言っていたことはどうなるのだろうか?
 自分の家に俊が来たという話は?
 現に彼女は俊の上着が入った紙袋を持ってきたではないか。
 全く接点がないわけがないだろう。

「……なんで家に行ったの?」
「ん?」

 視線を下に落としながらそんなことを呟くと、俊は何のことを言っているのかわからないとでもいうような顔をした。

「若宮さんの家に行ったんでしょ? わざわざ忘れ物届けに来てくれたんだよ」
「はあ? 何、あの人ここに来たのか?」

 俊は家に行ったということを否定しなかった。
 彼のその反応は私の心に再び黒い影を落とす。

「私のこともう好きじゃなくなった? だから最近帰りも遅いの? 終電逃したって言ってた日は若宮さんの家に泊まってたの!?」
「お、おい葵落ち着けよ。話を聞けって」

 知らず知らずのうちに溜まっていた不安が、この出来事をきっかけに爆発する。
 
「最近あんまり俊と話せてない。一緒にご飯も食べられてないよ……やっぱりより戻したら、違うなって思った? 違う女の人の方がよくなった? 私じゃ、だめなの……?」

 自分でもかなり面倒な女になっているという自覚がある。
 仕事で帰りが遅いのを責めるだなんて、してはいけないことなのに。
 だが過去の出来事が私を不安の渦に突き落とす。
 一人で隠れて泣いた日々が蘇り、もう二度とあんなに惨めで辛い思いはしたくなかった。

「私、言っちゃダメなことばかり俊にぶつけてる。こんなこと言いたいわけじゃないのに……。俊の彼女でいる資格なんてない……」
「葵! 話聞いて」

 ぎゅっと力強く抱きしめられた。
 嗚咽が止まらずにしゃくり続ける私の頭を、宥めるように優しく撫でてくれる。
 この優しい大きな背中を失ってしまうことが怖くて、私は彼の背に両腕を回して抱きしめ返す。

「俺葵のこと好きな気持ち、あの頃と全く変わってないよ。むしろ俺の方こそ、未だに葵がいなくなるのを恐れてる。あの日みたいに、また葵が帰って来なかったら……って怖くなりながら葵の帰りを待ってる」
「俊……そんなこと今まで一度も……」

 彼はそんな弱音を私の前でこぼしたことは一度もなかった。
 関係を修復してからというもの、いつだって余裕がないのは私だけだと思っていたのだ。
 彼もあの日のことをトラウマのように胸の内に抱えながら過ごしていたということを、私は初めて知ったのである。

「こんなこと言ったら、愛想尽かされて嫌われるかなって思ってた。だってそうだろ? 前別れたのは俺のせいなのに……」

 私は無言で首を振ると、彼を抱きしめる腕にさらに力を込めた。
 
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

すれ違ってしまった恋

秋風 爽籟
恋愛
別れてから何年も経って大切だと気が付いた… それでも、いつか戻れると思っていた… でも現実は厳しく、すれ違ってばかり…

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

忙しい男

菅井群青
恋愛
付き合っていた彼氏に別れを告げた。忙しいという彼を信じていたけれど、私から別れを告げる前に……きっと私は半分捨てられていたんだ。 「私のことなんてもうなんとも思ってないくせに」 「お前は一体俺の何を見て言ってる──お前は、俺を知らな過ぎる」 すれ違う想いはどうしてこうも上手くいかないのか。いつだって思うことはただ一つ、愛おしいという気持ちだ。 ※ハッピーエンドです かなりやきもきさせてしまうと思います。 どうか温かい目でみてやってくださいね。 ※本編完結しました(2019/07/15) スピンオフ &番外編 【泣く背中】 菊田夫妻のストーリーを追加しました(2019/08/19) 改稿 (2020/01/01) 本編のみカクヨムさんでも公開しました。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

記憶のない貴方

詩織
恋愛
結婚して5年。まだ子供はいないけど幸せで充実してる。 そんな毎日にあるきっかけで全てがかわる

地味な女

詩織
恋愛
地味な女と言われ、それでも解って貰える人はいると信じてたけど。 目の前には、後輩に彼氏をとられ最悪な結末

すれ違う思い、私と貴方の恋の行方…

アズやっこ
恋愛
私には婚約者がいる。 婚約者には役目がある。 例え、私との時間が取れなくても、 例え、一人で夜会に行く事になっても、 例え、貴方が彼女を愛していても、 私は貴方を愛してる。  ❈ 作者独自の世界観です。  ❈ 女性視点、男性視点があります。  ❈ ふんわりとした設定なので温かい目でお願いします。

貴方の事なんて大嫌い!

柊 月
恋愛
ティリアーナには想い人がいる。 しかし彼が彼女に向けた言葉は残酷だった。 これは不器用で素直じゃない2人の物語。

処理中です...