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番外編 1
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俊と再び恋人関係になってから半年ほど経ったある日のこと。
いつも通り仕事を終えて彼と暮らすアパートへと帰宅した私は、ドアの近くで佇む女性の姿を捉えた。
オフィスカジュアルな服装に身を包み、足元は真っ黒なハイヒール。
そして髪は明るめのショートヘアだろうか……まだ距離があるためはっきりとはよくわからないが、我が家に用があることは間違いなさそうだ。
これが男性であったなら警戒して引き返そうと思ったのだが、女性であったことでなぜかその警戒心が緩まってしまった私。
恐る恐る女性の方へと歩みを進めると、私が声をかけるよりも先に彼女の方が私の存在に気づいたらしい。
なぜかヒールの音を響かせながらこちらへとやってくる。
思わず後退りをしようとするが、すでに遅かった。
しっかりと私の姿をとらえた女性の目には敵意が見て取れる。
「長谷川さんの彼女さんですか?」
「え……」
長谷川とは、俊の苗字だ。
この十年近く何度も耳にしてきたその名前に敏感に反応してしまう。
「私、長谷川さんの同僚の若宮千里と言います。長谷川さんにはいつもとっても良くしていただいて……」
「……あの、失礼ですがどういった御用件で?」
突然現れたかと思えば、目的も言わずに俊との関係を語りだしたその女性には不快感しかない。
そんな私の気持ちが表情に表れていたのか、若宮と名乗った女性は勝ち誇ったような笑みを浮かべてこう言った。
「これ、長谷川さんがこの前うちに遊びに来た時に忘れていったものなんです。会社で渡そうと思ったらなかなか会えなくて……。でもよかった、ちょうど彼女さんにお会いできたし」
その言葉と共に彼女からは何やら紙袋のようなものを手渡された。
上から中を覗くと、そこには見覚えのある俊の上着が入っていて思わず息が止まりそうになる。
「あの時は楽しかったと長谷川さんにも伝えてください。それから……色々とご迷惑をお掛けしてごめんなさいと」
それだけ告げた女性はヒールの音を鳴らして部屋の前から去っていった。
一人ドアの前に残された私は呆然とその場に立ち尽くす。
──部屋に、泊まった……? 俊が……?
確かにここ最近の彼は少し仕事が忙しくなり、何度か終電に間に合わずに自宅に帰れぬまま朝を迎えたことがあった。
しかしよりを戻してからの俊は付き合った当初の大好きだった彼のままであったため、特にその行動を疑うこともしなかったのだ。
──そうだ、鍵……。
玄関に立ち尽くしていたままの私は、ハッとしたようにカバンの中から鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んで回す。
ゆっくりとドアを開けると、真っ暗な玄関が出迎えた。
俊はまだ帰っていない。
きっと今日も帰りが遅くなるのだろう。
これまで当たり前に受け流していたその事実が、今の私にはとてつもない不安を与える。
多忙であった営業から部署を異動してからというもの、これほど帰りが遅くなることはほとんどなかったというのに。
それがここしばらくは滅多に早く帰ってくる日はない。
俊もきっと忙しい時期なのだろう、その分私が支えてあげなければ……呑気にそんなことを考えていた自分は、愚かだったのだろうか?
誰もいないリビングの明かりをつけ、冷蔵庫の中にある作り置きのおかずを温めた。
これも再び同棲を始めるようになってから二人で始めた習慣である。
いつのまにか料理の腕を上達させた俊が作ってくれた肉じゃがは、私の大好きなメニューだ。
二人一緒の食卓に並んで座り、温かい食事をとる。
ただそれだけでかけがえのない幸せな時間なのだということに、ヨリを戻してから気づいた。
いつも通り仕事を終えて彼と暮らすアパートへと帰宅した私は、ドアの近くで佇む女性の姿を捉えた。
オフィスカジュアルな服装に身を包み、足元は真っ黒なハイヒール。
そして髪は明るめのショートヘアだろうか……まだ距離があるためはっきりとはよくわからないが、我が家に用があることは間違いなさそうだ。
これが男性であったなら警戒して引き返そうと思ったのだが、女性であったことでなぜかその警戒心が緩まってしまった私。
恐る恐る女性の方へと歩みを進めると、私が声をかけるよりも先に彼女の方が私の存在に気づいたらしい。
なぜかヒールの音を響かせながらこちらへとやってくる。
思わず後退りをしようとするが、すでに遅かった。
しっかりと私の姿をとらえた女性の目には敵意が見て取れる。
「長谷川さんの彼女さんですか?」
「え……」
長谷川とは、俊の苗字だ。
この十年近く何度も耳にしてきたその名前に敏感に反応してしまう。
「私、長谷川さんの同僚の若宮千里と言います。長谷川さんにはいつもとっても良くしていただいて……」
「……あの、失礼ですがどういった御用件で?」
突然現れたかと思えば、目的も言わずに俊との関係を語りだしたその女性には不快感しかない。
そんな私の気持ちが表情に表れていたのか、若宮と名乗った女性は勝ち誇ったような笑みを浮かべてこう言った。
「これ、長谷川さんがこの前うちに遊びに来た時に忘れていったものなんです。会社で渡そうと思ったらなかなか会えなくて……。でもよかった、ちょうど彼女さんにお会いできたし」
その言葉と共に彼女からは何やら紙袋のようなものを手渡された。
上から中を覗くと、そこには見覚えのある俊の上着が入っていて思わず息が止まりそうになる。
「あの時は楽しかったと長谷川さんにも伝えてください。それから……色々とご迷惑をお掛けしてごめんなさいと」
それだけ告げた女性はヒールの音を鳴らして部屋の前から去っていった。
一人ドアの前に残された私は呆然とその場に立ち尽くす。
──部屋に、泊まった……? 俊が……?
確かにここ最近の彼は少し仕事が忙しくなり、何度か終電に間に合わずに自宅に帰れぬまま朝を迎えたことがあった。
しかしよりを戻してからの俊は付き合った当初の大好きだった彼のままであったため、特にその行動を疑うこともしなかったのだ。
──そうだ、鍵……。
玄関に立ち尽くしていたままの私は、ハッとしたようにカバンの中から鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んで回す。
ゆっくりとドアを開けると、真っ暗な玄関が出迎えた。
俊はまだ帰っていない。
きっと今日も帰りが遅くなるのだろう。
これまで当たり前に受け流していたその事実が、今の私にはとてつもない不安を与える。
多忙であった営業から部署を異動してからというもの、これほど帰りが遅くなることはほとんどなかったというのに。
それがここしばらくは滅多に早く帰ってくる日はない。
俊もきっと忙しい時期なのだろう、その分私が支えてあげなければ……呑気にそんなことを考えていた自分は、愚かだったのだろうか?
誰もいないリビングの明かりをつけ、冷蔵庫の中にある作り置きのおかずを温めた。
これも再び同棲を始めるようになってから二人で始めた習慣である。
いつのまにか料理の腕を上達させた俊が作ってくれた肉じゃがは、私の大好きなメニューだ。
二人一緒の食卓に並んで座り、温かい食事をとる。
ただそれだけでかけがえのない幸せな時間なのだということに、ヨリを戻してから気づいた。
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