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私と彼の八年間 9

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「葵、今日は来てくれて本当にありがとう! お陰ですごく楽しかった。また月曜日、会社でね」

 美花に誘われた食事会は意外にも楽しくて。
 美味しい料理にお酒、楽しい会話に心が癒される。
 思っていたほど合コンのようなノリはなく、仕事関係の情報交換をしたり趣味の話で盛り上がったりと、かなりの盛況であった。

 すっかり終電近くまで場を楽しんだ私たちは、それぞれの家路へと向かうために解散する。
 どうやら美花は彼氏が迎えに来てくれるらしい。


「あれ、中村こっち方面なの? 電車?」

 美花と別れた私は、近くにある地下鉄の駅に向けて歩き出そうとしていた。

「そうなの。地下鉄だよー。ちょっと前に引っ越してさ、会社から少し遠くなっちゃった」

 新しく私が見つけたアパートは、会社から地下鉄で七駅ほど離れた場所にある。
 同棲していた家は会社の隣駅であったため、引っ越し後は通勤が思いの外面倒になってしまったが仕方がない。

「俺も地下鉄。一緒に行こうぜー」
「行こ行こ。早く行かないと、終電逃しちゃう」

 私は偶然食事会に参加していた同じ会社の同期、山内拓真に声をかけられて一緒に帰ることになった。

「お前さ、同棲してなかった? 長く付き合ってる彼氏と」
「やば、よく覚えてるね。その人とは別れたんだ」
「まじで? 長すぎた春ってやつか」
「ほんとずけずけと物を言うの、やめた方がいいよあんた」

 山内は悪い人ではないが、こういうところがある。
 人の心を見透かしたような目つきとその発言に古傷を抉られそうになって身構えた。

「悪い悪い」
「そんなんだから、いつまでたっても彼女できないんだよ」
「今はお前もフリーだろ。お前に言われたくないわ」
「ああ、そうだったね……」

 ふとした時に思い知る現実。
 自分が望んで手放したはずなのに、たまに胸が苦しくなるのはなぜだろうか。

「……ごめん。言いすぎたわ」
「いや、事実だし。別にいいよ」

 傷ついた顔を見られたくなくて、私は必死に口角を上げて誤魔化す。

「なぁ、明日休みだろ? この後もう一軒……」
「葵!」

 山内が何か言いかけたのと同じタイミングで、その声を掻き消すように後ろから名前を呼ばれた。
 思わず喉がひゅうっと鳴って、息が止まりそうになる。

 その声の主が誰であるかは、振り向かずともすぐにわかった。
 わかるからこそ私は振り返らない。

「葵」

 返事のない私に痺れを切らしたかのように、再びその声は私の名を呼んだ。

「何? 私もう鍵も返したよね? 今更話すことなんてないと思うんだけど」

 私は正面の景色を見つめたままそう告げる。
 思ったよりも冷たい声が出た自分に驚いた。

「は!? まだ何も話し合ってないだろ! 葵が勝手に出ていっただけで、俺は納得してない! 大体こいつ誰だよ。二人で何してんだよ!?」

 俊の理不尽な怒りは無関係の山内へと向けられる。

「会社の同期だよ。みんなで食事会があって、その帰りなの。俊とは違う……失礼なこと言わないで」
「同期……?」

 私は俊の反応を無視して山内の方を向く。

「ごめんね面倒なことに巻き込んで。今日はここで解散にしよう」
「……お、おう。お前は大丈夫なわけ?」
「うん、多分」
「多分って中村……何かあったらすぐ逃げろよ」

 山内は少し困ったような表情を浮かべながら、私にヒラヒラと手を振って人混みの中へと消えていく。


 ——食事会なんて、参加しなければ良かった。

 先程までの楽しかった気分が一気に興醒めである。
 俊は今私が一番会いたくない相手なのだ。

 私は覚悟を決めて、ようやく後ろを振り向いた。

 会わない二ヶ月の間に随分とやつれた姿に内心驚く。
 目の下の隈は目立ち、頬もこけているように見えた彼は、私がこちらを向いたことを確認すると弱々しく微笑んだ。

「俊痩せたね」
「……お前が急にいなくなったから」

 そう言って縋るような視線を送る俊の姿に、私は何も感じない。

「私は何も話すことはないんだよね。もう終わった関係だし、後腐れなくお互い別の人を探そう」
「俺は絶対に嫌だ」
「何言ってんの。今更やめてよ」
「俺はそんなの嫌だ!」

 子どものように大声で駄々をこねる俊の様子に、周りを歩いていた人々がチラチラとこちらを振り返り始めた。
 
「ほんとやめて、こんな街中で……」
「じゃあ二人で話せる静かなところへ行こう」
「……だから今更話すことなんてない」
「話さないと、俺は納得しない。約束するよ、お前に変な真似したりすることはないから信じて欲しい」
「そこは心配してないけど……」

 このままでは埒があかない。
 私は心の中でため息をつくと、俊とその場を後にすることを決めた。
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