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私と彼の八年間 8

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 俊に別れを告げてから二ヶ月。
 彼からの連絡を遮断したことによって、あれ以来彼がどうしているのかは全くわからないし、彼とも一切のコンタクトをとっていない。

 ただ一つわかったことは、彼がいなくてもなんとか生きていけるのだということ。
 あの頃の私は彼が全てで、彼がいない世界など想像もできなかった。

 でも今は違う。
 彼がいなくてもいないなりに、人生を楽しめるようになっていた。
 仕事終わりに同僚たちとお酒を飲みに行って美味しいご飯を食べるのも楽しいし、休みの日は一人で映画を観たりオシャレなカフェを開拓することにハマっている。
 美容院やネイルサロンで自分磨きをするのも良いモチベーションになることがわかった。

 俊と付き合いたてのキラキラとした日常には及ばずとも、この数年間よりはよほど充実した生活を送っているのかもしれない。


「なんか雰囲気変わったよね? すごく明るくなったというか」

 最近そんな声をかけられることが多くなった。
 俊のことでウジウジしていた自分の殻を破ることができたということなのだろうか。



「今度職場の人の紹介でご飯行くんだけどさ、葵もどう? みんなフリーの人たちなんだ」

 そんなとき、美花からある食事会の誘いを受けた。
 俊と別れてから新しい出会いなどもちろんなにもなく。
 それは自分から出会いを求めに行っていないという理由が大きいのかもしれない。

「今はまだいいかな……ようやく一人の時間を楽しめるようになってきたし。あんまり彼氏っていう気分じゃなくて」

 それが正直な気持ちであった。

「そっか……じゃあ普通に食事しに来てよ! すごく美味しいイタリアンなんだって。私も葵がいてくれたら楽しいし」
「うん、それならいいよ」

 そう答えると美花は嬉しそうに手を振ってエレベーターに乗り込んでいった。




 別れてから一週間ほど経ったある日、私は同棲していた家に荷物を取りに行った。
 平日の昼間という、俊が絶対に在宅しているはずのない時間帯を狙って。

 ガチャリとドアを開けると、懐かしい家の匂いがする。
 当たり前のようにこのドアを開けて生活していた日々はとうの昔のようだ。
 慣れた足取りで廊下を真っ直ぐに進みリビングへとつながるドアを開けた私は、その先に広がる光景に思わず息を呑んだ。

「汚な……」

 散らかり放題の部屋。
 畳まれずにそのまま放置された洗濯物や、食べっぱなしの食器たち。
 この部屋を出てからたった一週間の間に、そこはすっかり廃れた場所へとその姿を変えてしまっていた。

 足の踏み場もないその部屋をかき分けるようにして慎重に歩きながら、私は自分の持ち物をスーツケースにまとめていく。
 ガラステーブルの上に置いてある腕時計をしまおうと手を伸ばしたそのとき、何かが目に入り私は手を止めた。

「これ……」

 テーブルの上には、有名なブランドの小さな紙袋が置いてあった。
 よく見ると紙袋の下にはメモが挟まれている。

『愛してる。葵じゃないとダメなんだ。連絡が欲しい』

 見慣れた俊の字でそう書かれたメモと紙袋が、私に昔の記憶を思い出させた。



「葵はさ、どんな指輪がいいとかあるわけ?」

 あれは四年前のこと。
 社会人になりたての私たちは初めての給料で大人びたレストランで食事をした。
 その帰り道に通りかかった百貨店で行われていたブライダルフェア。
 何の気なしにショーウィンドウに飾られた指輪を見つめる私に、俊が唐突にそう尋ねてきたのだ。

「私? 私は……あれがいいかな。あの真ん中にダイアモンドが嵌められてるやつ。シンプルだけど、婚約指輪って感じがして好き」
「あのブランド、超王道じゃん」
「いいじゃん別に。女の子にとっては憧れのブランドなの」
「ふーん、そんなもんなのか」


 あの日サラリと交わしたそんな会話を思い出す。
 そして目の前に置かれている紙袋は、まさしくそのブランドのものであった。
 袋を開けずともその中身が何であるか予想するのは容易いことだ。

「……馬鹿じゃないの」

 月日が経てば趣味や好みも変わるもの。
 あれから四年経って、私はもはやあのブランドへの興味は失いかけていた。
 俊の中で私の時間は止まったままなのだろう。

 ——今更、遅いのよ……。

 私は紙袋を開けることはしなかった。
 そのまま奥に置いてあった腕時計だけを手に取り、他に必要なものだけを詰めて足早にアパートを後にする。


 それ以来あのアパートには一切足を踏み入れていないし、俊がどうしているのかはわからない。
 今もあのアパートに一人で住んでいるのか、新しい誰かと生活を共にしているのか。
 全く気にならないかと聞かれたら嘘になるかもしれないけれど、もう終わったことだと自分に言い聞かせながらこの二ヶ月間過ごしてきたのだ。

 あと少し。あと少しで完璧に彼のことを記憶から追い出せるだろう。
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