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人魚姫はお年頃―――あれ? 人魚ってどうやって交尾するのかしら?―――
しおりを挟むザザ~ン……
夜空との境もわからない程大きな大きな海の真ん中で、温かな南の海の波間に揺られながらプカプカと浮いていると、凪いだ海の向こう側から大きなクジラよりも更に大きな船が現れた。
海上から見上げた船の甲板あたりには美しく着飾った貴婦人たちの姿がチラチラと目に入り、人々が音楽に合わせて踊っているような音が聞こえてくる。また、たくさんの窓からはキラキラまばゆい光が溢れ、深海の発光生物のように夜の海を彩り、闇夜に瞬く星の如く美しい。
海の真ん中とはいえ、私達人魚の感覚から行くと、陸地までは30分も泳いで行ける程度には近いため、恐らくは陸の貴族かセレブたちが、豪華な客船でクルーズパーティを楽しんでいるところなのだろう。
陸の人間たちを自分とは相容れない存在だと思っている兄様たちは、交易のための帆船とは違い、海の静寂を乱しながら進むこれらの船をお好きではないようだったが、夜の海に浮かんでゆっくりと航行していく陸の船たちを見送るのが、私は嫌いではなかった。
「はぁ…カッコよかったなぁ…」
そうして先程まで見守っていた船たちが去った後も、目を閉じても瞼に焼き付いた光の残像を思い出して溜息をついていると、我が国一の魔女の孫で親友のセシルが首を傾げながら声を掛けてくる。
「また陸地の船を見ていたの? エマ。
大した知識も力もないくせに、あんな装備で海に出ようとするバカ貴族の船なんてどこが凄いのさ。
あんなバランスの悪い船、僕がちょっと大波起こしただけですぐに転覆するよ。
そのクセ海の領界もわからずに平気で境界線に踏み込んでくるなんて、僕には身の丈に合わない愚かしい所業としか思えないんだけど。
でもまぁ、確かに魔法光とはいえ、あんなピカピカと光を放つ構造物は海にはあんまりないものだから、幼い女の子のエマが惹かれるのもわからないこともないけどね」
この世の7割以上を占める大きな大きな海原で気ままに暮らしているためか、狭い領地でせせこましく暮らしているくせに、ちっぽけな土地を奪い合って諍いが絶えない陸地の人間たちを、せこくて野蛮な民族だと忌避する海の民は少なくない。
また、私達海の民と彼ら陸の民では基本的に寿命の長さも差があり―――互いの種族によって異なる事はあるものの―――基本的に地上の人間たちは私達の半分も生きない者が大半であり、そのため、お互いで争い合って短い命を散らしていく愚かな劣等民族だと、蔑んで憚らない者も珍しくなかった。
かくいうセシルも多分にもれず、どちらかと言うと穏健派の方ではあるけれど、陸の民に向けるその言葉は辛辣な物が含まれている。
「幼い女の子って…こんなにボンキュっとしてるナイスバディな私のどこが子供だっていうのよ。
ていうか、そんなこと言ったら同い年のあなただってそうでしょ?
どこから見ても美少女のくせにまたそんな男の子みたいな言い方しちゃって…なんか逆にギャップ萌えな感じで良いけど。
確かに私は、海では珍しい地上の物とか見るの嫌いじゃないし、大きな帆船なんか見るとテンション上がってついて行ったりしちゃうこともあるけど。
でもね、カッコいいって…船のこと言ってるわけじゃないわよ――――別に船も悪くなかったけど、今日はそこじゃないのよ!」
親友で幼馴染でもあるセシルは、烟るような深い濃緑色の瞳を瞬かせると、「ムウ…」とどこぞの厳つい武将のような声をあげ、柳眉を顰めて不満を露わにしながら
「僕は女の子じゃないもん…エマは……ないから子供だって言ってるのに…」
と、何やらブツブツと小さな声で呟いていたが、それはいつものことなので聞き流す。
セシルは私と同い年の17歳であるが、私より小柄で凹凸の乏しい華奢な体躯であり、性別がない。
そのため、確かに女の子とは言い難いのだが、かと言って男か女かと言えば、女の子よりの女の子にしか見えない。
その上、無性体でありながら誰よりも美しく儚げな容姿に艷やかな淡い紫色の長い髪を纏わせる姿は、『完璧な美少女』としか言いようがないので、海王の娘としてそれなりに美しいと自負する人魚姫の私であっても、彼女の繊細な美しさの前では敵わないと自ら敗北を認めざるを得なかった。
本人は、いつも体の線が出ないゆったりとした地味なローブ姿で過ごしているため、人前で体どころか素顔を晒すこともほとんどないが、幼馴染の私の前では顔を出しておしゃべりに興じ、時にはスキンシップ過多にしても頬を染めながらも受け入れてくれるという、ちょっと内気で大人しいけど何でも話せる自慢の女友達(?)なのである。
しかし、本人としては女の子扱いに不満があるのか、事情を知らない自国の貴族(男)に言い寄られていた所を庇った時には、「お姫様のエマに守ってもらわなくても大丈夫だから!」なんて、涙を滲ませながら恨みがましく怒られた。
うちの可愛子ちゃんの手を握ろうなんて100年早いんだよ!
と、逆にその男の手をにっこり微笑みながら横取りし、力いっぱい殴り飛ばした後に言われた言葉だったのだが、美少女に涙目で見つめられ、うっかり『てへ』と照れ笑いしながら謝ってしまったため、抱きついてイイコイイコしながら宥めすかして平謝りするまで、口をきいてもらえなかった。
――――セシルは、自分の胸が貧乳以下の絶壁であるためか、私のたわわに実った胸の谷間(ビキニ着用)に顔を押し付けてグリグリしながら機嫌を治すという、小さな男の子のような性癖があり、機嫌を取るときには乳圧がマストアイテムだったりするのだ―――
その後、その男の家の近くで見知らぬ海竜が暴れまわり、男が激しい潮流に飲み込まれて行方不明となったと伝え聞いた時には、
「不幸には不幸が重なるものなのね…」
なんて思ったものだけれども、その事をセシルに伝えると、「ふーん」と全く興味のない返事だけが帰ってきたのは余談である。
まあ、そんな事はともかく、
「『今日はそこじゃない』って…あの陸の貴族たちがパーティしてた客船のこと言ってるんじゃなかったの?」
キョトンと目を丸くして首を傾げる仕草で問いかけられ、私はドキドキしながら唾液を飲み込み、頬を赤らめた。
美少女(?)に見つめられながら問いかけられ、ドギマギして挙動不審とか、私はどこの童貞だ。
いや、どどど童貞ちゃうし!――――じゃなくて。
「う、うん……あのね……」
私はモジモジと合わせた両手の指を何度も組み替えながら、柄にもなくセシルから目を逸らして口ごもる。
しまった…なんか意識したら、今から言おうとしてる内容が頭に過ぎって、余計に恥ずかしくなってきた。
「……? エマ?」
そんな常とは違う私の様子に、そっと腕に手を触れて伺うように見上げてくる親友の無垢な表情が眩しすぎて……私はギュッと目を瞑り、早口でまくし立てた。
「あ、あのね。 私、陸の人間になってみたいの!―――じゃなくて、人間の王子様にお城に遊びにおいでって言われたから、人間に怪しまれないような姿になって行ってみたいの!」
そう言い切った瞬間セシルの動きがビキッと音をたてて固まった……様な気がして目を開けると、俯いて震えるセシルを中心に、周囲の温度が突然2~3度程下がった気がした。
「え…なに? さむ…?」
「…どういうこと? なんでエマが人間の王子と知り合ったの?」
沸々と湧き出る冷気…というか、殺気の様な気配に背中がゾクゾクする。
ここで、私は自分の言葉が引き起こしたことであると気がつくも、お盆から溢れた水は戻らない(←魔法使えば戻るとか、そういう意味ではない)
「あ、あ、あのね。 海から船の様子を眺めてたら、船室のベランダからこっちを見てる人がいたの。
なんか、人がいるなーと思って見てたらあっちも私に気がついて…停船してる間におしゃべ――――『ゴガンッ!!』」
問われたので成り行きを説明していた途中で、セシルの背後から何か硬い物を打ち付けて破壊するような大きな音が鳴り響いてビクッとし、説明が止まってしまったが―――
「…失礼、何でもないから続けて?」
ニッコリと優しげに微笑みながら、妙な圧を掛けてくる友人の言葉に促され、視線をセシルに固定したまま何も考えずにウンウンと首振り人形の様に首を振って話を継続する。
「―――えーっと、ああ、そうそう―――客船が停船してる間におしゃべりしてたの。
そしたらね、その人、東の大陸にある国の王子様で、今日はこの船を所有している大貴族の付き合いで客船パーティに参加してたけど、年若い女性と仲良くなる位しかやることなくって退屈してたんだって」
「………ふーん……。
……………『女性と仲良く』……ね……」
「えっ? 何か言った?」
「んーん、何も?
まだ続きあるんでしょ? お話続けてよ」
「そ、そう……………。
んでね、海の民との付き合いもそこそこあって、交易なんかもしてるらしいんだけど、私みたいに美しい人魚の女性とお話するのは初めてで、是非お友達になりたいって言われたの。うふふ」
その時の事を思い出しながら話していると、嬉しくて自然に顔がほころんできてしまう。
だって、その人…カッコよかったのよね―――。
いやいや、私だって社交辞令ってもの位、理解してるわよ?
何せ、腐っても7つの海を治める海王のお姫様ですから、社交のなんたるかはちゃんと理解していますとも。
それを差し引いても、綺麗に整えられた金色の髪に落ち着いた端正な容姿、青い空の様な瞳の細マッチョのシルエットは新鮮に映り、『ワタシ的イケメンはこれぞ!』っていう、理想の権化のような人だったのよね―――。
いや、一番好きな容姿かと言われると、セシルの美しさに敵う存在なんて、いないんだけども。
でもね…やっぱりセシルって女友達だし。
それに私と番えるような上位種族の海の男っていうと、どうしても鱗びっちりの上半身マッチョの人魚系だったり、海獣系のヌルしっとり系のマッチョだったりする肉体派、もしくは魚に手足が生えたピチピチ系……、いや、ここまでくるともう、性別以前の問題じゃない?
私、やっぱり海の男って好みじゃないのよね………セシル以外でも、お母様とかお姉さま達、人魚族の女性は美しいと思うんだけど……。
それでも、「○○さまの鱗のツヤがたまらない」とか、「□□の厚い胸毛(毛皮系)って、包まれたくなるほど素敵よね」とか「△△の脚線美(魚に美脚系)はそそるわ~(食欲?)」、一応話は合わせているけど……心の底から「そうよね~」とか、言ったことない……。
お父様やお兄様なんかは顔の作りは私達と似てないこともないし、同じ澄んだ翠色の綺麗な瞳をしているから親子だってわかるけど、どう見たって鱗びっちり系マッチョだし……って、あれ?
そういえば、どうやって子供作ってるのかしら……?
昔、変なオッサン貴族(魚に手足が生えた系)に
「げへへ、私のアレをぶっかけて差し上げますから、卵を産んでくださいな…ひひひ」
とか言われて、気持ち悪くて泣きそうになっている間に、セシルが駆けつけてそのオッサンを焼き魚(比喩ではない)にしてくれた時…自分は産卵系じゃないんだと思った位で……
そう言えばその後、子供の作り方とか、教えてもらったことないわね…?
あれ? あれ? 私、もう17歳になるって言うのに、自分の種族の子供の作り方も知らなかったの?
子供の頃に性的被害にあったから、教育的にもそういう話は避けられていたかもしれないけど……そろそろ嫁入りの話も出ようって年頃の娘に教えないとか、ちょっと遅くないかしら?
でもでも、人間の交尾の仕方だったら、何かの流行りでもあったのか、客船の甲板の舳先とかで両腕を水平にしてる女性の後ろから男が抱きつきながらズコバコしてる人達いるし、そんな船を襲ってる海賊船の男たちがヒャッハーしながら女性たちを連れ込んで、船室に押し込めてはギシギシあんあんしてるじゃない?
チラチラと窓から見えてきた感じじゃ、女性のお尻のあたりに男性の生殖器を入れて交尾をするって事は変わらないと思うのよね。
なんだかそういう、他種族の淫靡で卑猥な闇はすごく思い出せるのに、何で自分の種族の繁殖方法とか知らないのかしら?
そもそも……私の下半身、魚だから人間みたいな繁殖方法じゃないわよね?
あれあれあれあれ…何かおかしくないかしら……?
そうして頬を緩ませて笑いながら話してはいたものの、ふと気づいた疑問について思考に耽っていると、低く冷えた声音で話を続けようとしている親友の声でハッと我に返った。
「………で、ちょっと楽しくおしゃべりしただけの人の社交辞令を真に受けて、図々しくも城まで押しかけようっていうの?
海王さまの血を引く高貴な人魚姫が、その一族の誉である美しいヒレを捨ててまで」
顔は笑っていながらも、全く違うことを考えていた私は、一瞬何を言われたのか思考を巡らせると、「ああ、そういえば」と、自分の言葉の最後を思い出し、つっかえながらも慌てて答えを返すのだが、思考は新たな悩み事でいっぱいだった。
「…そ、そんなことまで思っていないわよ。
ちょっとカッコいいと思った男性に褒められて、お友達になりたいって言われたのが嬉しかっただけなんだから……」
そう答えた瞬間、「へえ…カッコよかったんだ……」と、今まで聞いたことも無い程、地の底から響くような低い声が返ってきて、私はハッと息を飲み、恐る恐るといった動きで伺いながらセシルの姿を注視する。
「そう、うん、わかった。
今すぐはムリだけど、明日になったら用意できるから…また明日、夕暮れ時に僕の家まで来てよ」
私の予想に反して、実に穏やかに微笑みすら浮かべながらそう言われ、何か変だな…と一瞬だけ思いはしたものの、ニッコリと微笑まれた笑顔の美しさに呑まれてしまい、釣り込まれるようにウンウンと首を振って肯定を返すだけで精一杯だった。
そして、翌日の夕暮れ時。
私は勝手知ったる親友の住処であるため、いつもの様な気安さで転移門の外から声をかけると、何ら憚ることなくセシルの庵に移動することができた。
国一番の魔法使いの孫であり、実力もそれに迫るほど優秀なセシルは、海底にある王都から少し離れた海上の洞窟の中に一人で庵を構えており、自ら魔法を施して海の中に据えた転移門から声をかけられると、家主の許可を得たものだけが中に入ることが出来る、セキュリティ万全な所に住んでいるのだった。
「よく来たね、エマ。待ってたよ」
昨日とは打って変わって、私の顔を見た瞬間輝くように美しい笑顔を向けられて、思わずドキッとときめいてしまった。
な、なんか、今日は機嫌が良さそうで良かったわ…。
「え、ええ……」
ホッとしながら微笑み返すと、ニコニコしながら片手で握ることが出来る程度の小瓶を渡される。
「コレが、エマの言ってた人間に成る薬…」
「う、うん。ありがと。
でも、ちょっと遊びに行ってみたいだけだから……一生ずっとは困るわよ…?」
「うん、そうだと思って、一晩程度で効果が切れる物になってるから、心配しないで」
始終ニコニコしているセシルの姿に、ちょっとした違和感を感じないでもなかったが、私はグイッと小瓶の中身を飲み干した。
小瓶の中身は仄かに甘く、陸の人間からの交易品である花の蜜のような味がした。
「あら、これ、美味しいわね…」
そう言いながら、もう一杯おかわりできたらしたいなー……なんて思っていた時だった。
「ん……ぁあっ……やぁあっ!!」
急に全身が発熱したように熱くなり、下半身がビキビキと音を立てるような衝撃が襲ってきて、思わず胸を抑えて悲鳴を上げながら、近くにあった柔らかい寝台に倒れ込んだ。
「いやっ、あぁぁっ!! 暑い、痛い……セシル、助けて……っ!!」
全身が熱く、体中から体液(汗)がにじみ出て灼熱感に襲われながら、下半身は骨が砕けるような衝撃と苦痛に襲われて…とても正気では居られず、目の前で笑いながら私を見下ろすセシルに手を伸ばして助けを求めた。
「幼くて愚かで可愛いエマ……。苦しい?辛い?…可哀想に。
でもね、人魚の君が地上に出ようと思ったら、全身を作り変えるような大改造が必要なんだよ?
…もっとも、これはそんなクスリじゃないけどね……ふふ」
昏い笑いを零しながら、それでもなお美しく微笑むセシルの姿を見つめ、苦しみに悶えながら伸ばした手を取られてしがみつくと、思ったよりしっかりとした力で握り返される。
「せ…しる…。だま…した…の……?」
「泣かないで、僕のエマ。
騙したわけじゃないよ。
一晩だけ、地上でアバンチュールを楽しもうっていう王族が飲む……そういうお薬ってだけなんだ」
「…??」
「ふふ…わからないって顔してるね。
そのまま…何も知らない無垢なままで居てほしいと思ったけれども……変な虫に食われる位なら、僕はもう待たないことにするよ」
そう言いながら、寝台で苦しむ私の手を握り、とても優しい手付きで私の髪をなでては耳元で囁くように語り出す。
「昔君にいやらしい言葉をかけた魚の貴族は、別にデタラメを言ったわけじゃないんだ。
あんまりにも衝撃を受け、ふさぎ込んでしまった君を気遣って、誰も本当のことを教えることができなかった。
君は、自分がどうやって子供を作るのか、年頃なのに誰にも教えてもらっていなかっただろう?
君が本当に望むなら…卵を体外に排出することもできるし、体の中で子宮という臓器を作って胎内で育てることもできる。
人魚の君は、好きな人ができたらその相手の種族に合わせて体を作り変えることが出来る、水陸両用の最強の母体なんだ」
「え………」
思ってもいなかった答えに、私は目を丸くしてセシルの顔を覗き込む。
「嘘じゃない。君の母上も、姉上方も…そうやって自分の愛する番を得て、子を生み、育てて来たんだよ。
男の子を孕んだら、その子は男親の種族になるけれども、女の子が生まれたら同じ人魚の娘になるんだ。
だからね、僕は……君が僕のことを女の子扱いする度に悔しかったけど、僕以上に心を許した存在もいないと知っていたから、大人になって僕を選んでくれると信じて、待っていた」
ソロリソロリとたどたどしい手付きで撫でられながら、私は目を瞑って体中が改造される苦痛に耐え、黙って聞き慣れた親友の声に耳を傾け続けた。
「僕は一生に一度だけ、性別自体を相手に合わせる事ができるから…君が僕を好きになって、僕の子供を望んでくれさえすれば、全てが上手くいくはずだったんだけど……何も知らない君はあんな節操のない男の元へ自ら飛び込んでいこうとするし……。
もう、本当にムカついて腹が立ったよ。
これだけ待った挙げ句に、あんなヤリチンの餌食にさせるのかと思って、昨夜は悔しくて眠れなかった位に。
だからね…子供の君が大人になっていくのを…もう、待ってあげないことにした」
『やりちん』ってなんだろう?
苦しみに悶えながら、聞くとはなしに聞いていたせいか、一番ひっかかった言葉がそれだったのだが、セシルが長い独白を言い終えるや否や、水中ではないのにフワッと体が浮かび上がるような錯覚に襲われてビクッとする。
「……ん? や…なに……?」
「君が逃げ出したりしないように拘束するものが欲しくて、内緒でこんなものを育てていたんだよ」
「や…ヤダ……何これぇ…」
熱に火照った両腕を絡め取る触手の様なヌルヌルとする細い物が、両腕を纏めて持ち上げており、私は空中に拘束されて身動きも取れないまま、辛うじて見慣れない2本のヒレが変形して折れ曲がったものが寝台に付く程度の高さにブラ下げられた。
一時はあれだけ私を苦しめた熱も徐々に消え去っていたものの、下半身の奥を中心に燻ったまま存在しているのを感じる。
「ふふ、気づいてる?
君の綺麗なヒレがなくなり、陸で生活する人間のような『脚』と呼ばれるものに変わっていることを。
で、ここが、太腿と呼ばれる部分で…寝台でバランスをとっている部分が膝という関節で……」
そう言いながらサワサワと太腿を撫でられて、その優しい手付きに思わずビクッとした。
「え、え……んっ……」
なんだろう、人間の脚って、こんなに敏感なものなんだろうか?
「ふふ…ビクビクしてる。…気持ちいい?
君に呑ませたクスリは、昔お祖母様がとある人魚に使った様な、契約者の人生と引き換えに他種族を強制的に人間種に変えるような強い劇薬ではないけれど、体の成長を促すと共に性感も高める作用もあるから……」
スリスリと太腿の内側に手を滑らされ、その気持ちよさに思わず両足を軽く開くと、するりと何か柔らかい感触が私のお股の間を行き交った。
「んんっ! やぁっ! 何か変なものがモゾモゾしてるぅっ!」
ソレはクチュクチュと音をたて、私の太腿の間の裸で晒された未知の部分をこねくり回すので、両腕を釣り上げられてぶら下げられた体をブルブルと揺らしながら身悶える。
「や、や……あぁんっ! やだっやだっ怖いぃっ」
すっかり人間仕様に変化した脚の間を何度も何度もいじられて、かつて人間の船で覗き見た、女性器の孔のあたりを重点的に責められていることに気づいたが、暴力的な快感とともに胎内に侵入されかねない未知への恐怖に襲われた。
「大丈夫、怖いことじゃないよ。
メスの足の間には、男性の性器を受け入れて胎内で受精するための孔や、排泄孔なんかがあって…そこをいじると異性の生殖器を受け入れやすいような分泌物が出てくるんだ。そして…ここの排泄孔の上の真珠のような粒をクリクリといじると……」
開いて膝立ちになった股間をサワサワとなぞる触手が、セシルの言う粒に触れた瞬間、全身がビクッと緊張し、声にならない悲鳴を上げながら、ハクハクと陸に上がった魚のように忙しなく呼吸を繰り返す。
そして、ぬちょぬちょとヌメる水音をあげながらしつこくそこを嬲られて、ふわりと胸を隠していた布を取り払われると、全身にヒヤリとした細い触手が這い回るのを感じて暴れだした。
「い…いぁっ…やぁんっ…あっあっあっ……やだっやだっだめぇっ!!」
イヤイヤと体を揺らして抵抗を試みるも両手両足に絡みつく触手が私の四肢の自由を奪いながら、寝台に体を横たえて拘束し始めた。
「ふふ…なんて格好してるの?
海王のお姫様が、男を受け入れやすいように、自ら大股開いて寝台の上で大の字なんて…はしたない」
クスクス笑いながら、その触手を操る美少女は嬉しそうに頬を染めて艶めいた微笑みで私を見下ろしているが、そう言っている間にも、全身を責める触手の責めは緩むことがなかった。
柔らかくてフヨフヨとした感触の触手がぬるつく隘路を責めると同時にウゾウゾと首の周りや耳元を這いずり、フルフルと震える胸を揉みしだいてはその先の尖りに絡みつき、こねくり回すのを繰り返す。
「あっあっあっああああーーーっ!!」
もはや、自分の意志も思考する力も……何も残らず、私はただただ体に与えられる刺激のままに声を上げ続けた。
「可愛くて淫らな僕のエマ。
ねえ、気持ちい? 僕のこと、好き?
僕の子供を孕んで、ずっと一緒に居てくれると約束するなら、ここの孔にも…してあげるから、僕のモノが欲しいって言って?」
そうやって、耳元で鼓膜を震わせながら囁く声すら、クスリの副作用で性感を高められた今の私には、快感を導き出す毒でしかなかった。
私の体中を好き勝手に這いずる触手は、セシルの命令のせいで口腔をふくめた孔という孔に侵入こそはしなかったため、暴力的な快感に何度もイカされつつも、どこか達しきれない燻りが私の心を蝕んでいく。
「しゅき……すきだからっ! おねがい、せしるのちょうだいっ!」
自分で何を言ったのか理解することもできず、反射的にセシルが望む言葉を口にすると、未知の存在となったかつての親友はその美しい顔を綻ばせ、華のように嗤いながら、私の唇に吸い付いた。
クチュ…ムチュ…
触手の巧みな動きと比べるとたどたどしいとも言える拙い舌使いに、セシル本人の温もりを感じながら、差し込まれた小さな舌を貪るように絡めて応える。
「うふふ…僕の方が食べられちゃいそう」
プハッと唇から離れると口の端から溢れる唾液が艶かしく、思わず腰のあたりがキュンとして、ゾクゾクと背筋に震えが走る。
「ここも…もう準備万端だね」
そう言いながら、クチュクチュと蜜でヌメる孔に指を差し込んでかき回され、蜜孔の浅い部分をグリグリいじられると、ソレだけでキュンキュンする。
「んっ…お願い……早くきて……っ」
そう言いながら腰を揺らして見上げると、セシルの綺麗な顔が嗤いながら歪み…妙に男臭い笑いに見えてドキッとした。
「……もうっ! こんなときまで……エマはずるい……っ!」
なんだか微笑みながらプンプンと怒っているような口調だったが、脚に絡みつく触手にそっと腰を持ち上げさせると、ゆっくりと馴染ませるように、挿入され……
「ん……っ」
ズブズブと猛りきった性器の侵入に、全身に力が入るのがわかった。
「や……っ。今締めないでっ」
そんなこと言われても、こっちだってどうしたらいいのかわからないわよっ!
ていうか、そんな可愛い顔してなんて凶悪なモノ持ってんのよっ!?
ちょっと、なんか視覚と脳の理解が一致しなくて違和感ものすごいんですけど!
反射的にそう言い返したかったが、ヌルヌルとしたぬかるみに挿入されたせいで痛みはないけれども、膣孔を押し広げながら侵入してくる異物感がものすごい。
ハッキリ言って、客船でウフンアハンしていた人間のオスの持ち物なんてメじゃないくらいに大きかった。
「ああっ…もうっ…」
若干苛ついたように、声を上げられてビクッとした時、それまで主人の動きに遠慮していたのか、大人しくなっていた触手が再び不埒に動き出す。そうして、固くなった陰核や胸の先で揺れる乳首に絡みついて扱いてはグリグリと押しつぶすような動きを始めたので、膣孔の圧迫だけに集中できなくなった。
「ああっ、ひぃんっ…も、全身とか…むりぃっ……」
もう、何が何だかわからない快感に押し流され、最早自分でも何を言っているのかわからない。
「ん…やっと入った。…僕のエマ…。
もうちょっと馴染むまでナカでじっとしてあげたいけど…我慢できないから動いていいかな…」
上から見下ろす親友は、嬉しそうに微笑みながら性器の全長を収めきり、ほっと安堵の息を漏らして呟いた。
そして、一呼吸置いてからユルユルと腰を突いては引いてを繰り返し………
全身まさぐられ、性感帯という性感帯を刺激されながら貫かれるという責め苦にあっている私にとっては、それどころじゃないというのにっ!
「やっ、やだぁっ! もう、このヌルヌルほどいてよぉっ……お願いぃっ!」
全身責めまくられて、すでにプライドも何もなくなった私は、泣きながら希うのだが、猜疑に凝り固まった親友…いや、夫の表情は冴えないままで…。
「えーー…でも、エマ、逃げるから……」
本当に、信用されていないことを実感して……怒りよりもむしろ、悲しくなった。
「えっ…えっ……ひどい……逃げたりしないのに……ばかぁっ! …せしるのばかぁっ!!」
顔の横へ流れ伝う涙を拭うこともできず、流れるままに任せて泣き出すと、セシルも泣きそうな顔になって俯いた。
「だって…僕のこと、ずっと女友達扱いだったし……それに、人間の王子の方が好きなんでしょ?」
そんな凶悪なモノを突っ込んでおいて、何をいうのか、この男はっ!?
私はカッとなって声をあげる。
「女の子扱いは…してたかもしれないけど…、人間の王子が好きだなんて一言も言ってないわよ!
初めてできた人間の友達で、陸に遊びに行けることが嬉しかっただけなのに!
それに…セシルのことは、もう女友達だと思ってないからっ」
そう言い放つと、その言葉尻を捉えて今度はセシルが泣きそうになっていて……
「友達ですらないんだ…………うっ……もう、一生ここに閉じ込め『話は最後まで聞きなさいっ!』」
なんか不穏な流れになりそうだったので、私は慌てて独白に割り込むように口を挟んだ。
「セシルは、私の夫になるんじゃないの!?
子供を孕ませたら、後は産むまで私のことを飼い殺すつもりなの!?
私は水槽に飼われる鑑賞魚じゃないわよっ!?
………大好きなあなたとだったら……幸せになれると思ったのに……うっうっ……」
言いながら、こんなに言っても信じられない事が情けなくなってきて…再び涙が溢れてきた。
もう、なんて面倒くさい男なのよ、この子はっ!?
「………ごめんなさい。
僕に男としての自信がないから……君を閉じ込めれば安心だって思って…それで…
君はそんなことを許せる子じゃないって知ってるのに………」
そうしてシュルシュルと手足を拘束していた触手がどこかに消え去って……私はセシルの細い体を引き寄せて抱きしめた。
「もう…頭いいのにバカなんだから………」
チュッと頬にキスをして、掻き抱いた頭を撫でると、グリグリと胸の谷間に顔を埋めて口付けられ…私の孔を穿ったままのモノが、力を取り戻すのを感じて、思わず腰に震えが来る。
「えっ…うそ、もう続けるの?……早くないっ!?」
そう言うのが早いか愛を深めあった恋人同士の余韻に浸る間もなく、再び腰を揺らしながら抽送を始められ、
「んっんっ……夫となったからには……妻に見限られないように…頑張らないとね……っ」
なんて微笑みながら言われると、時々見せるようになった妙に男らしい仕草にキュンとして、グッと言葉を飲み込みながら、目の前の華奢な体にしがみついた。
「あっあっあっ…ンぁ…らめ…っやぁんっ!」
細い体で、どこにこんな力を秘めているのかわからない程力強くナカを穿たれて、一突きごとにグズグズになる程全身に震えが来る。
「…はっはっ……エマっエマっ……すきぃっ」
……なんていうか、掠れるようなアルトの声でそんなことを囁かれたら、ちょろい私なんてイチコロなわけで…
「ふっ……ぁっ……ンぁあんっ!」
無意識にイイところに当たるように腰を振っては振り落とされまいとしがみつくと……胎内に熱い飛沫が広がるのを感じながら腰を跳ね上げて絶頂し……初めての濃すぎる行為に疲労困憊のまま意識を失っていったのだった。
その後、薬の効果が切れるまで何度も何度も穿たれて、無事に元の姿に戻ったときには疲労困憊で城に戻ることも出来なくなっていた。
お姫様が連絡もなく外泊したら、国を上げての大騒ぎになるだろうに、何故か誰も騒ぐ気配もなく…
おかしいなと思いながら、ソロリソロリと自室まで戻っていくと、部屋で待ち構えていたばあやが「おめでとうございます」と泣きながら私を迎え入れた。
「一体どういうことなの?」
翌日、引きこもりが珍しく登城してお父様やお母様にご挨拶したいと言い出したので、一緒についていくと
「婚約者として目していただけたものの、いつまで経っても姫の目覚めが適わないため、僕の体は未分化のままでしたが……
昨日、姫の覚醒をきっかけに僕の覚醒が促され、お互いに過不足なく番となることが適うようになりました」
なんて言われ、実は周りからは私達が婚約者同士であったと初めて知って驚いた。
「えぇっ!? 私そんなの聞いてないっ…!」
「だって…エマ、大人の男性体のこと怖がってたから……」
そもそも、私は幼い頃からどこか海の民の容姿にイマイチ馴染めなくて、赤ん坊の頃から自分の父親が近づくだけで引きつけを起こしそうなくらいギャン泣きするような子供だったらしい。
物心ついた時には、流石に家族に対してそんな態度をとることはなかったが…城に暮らす者たちにすら怯える私が普通に接する事ができるのは、人間体に近い容姿の女性たち以外では、セシル位のものだったのだ。
取り敢えず私の行く末を案じた家族により、魔女の家柄はともかく人柄や魔術の実力からみてもセシルなら私の婚約者となっても遜色ないと目されていたらしいのだが……
セシルには拒否権はなかったのかと、ビクビクしながら伺うと、初めて会ったときから、好奇心いっぱいで生き生きとした私を憎からず思っており、自分だけに心を開くお姫様に恋してたと告白されて……その夜は大変盛り上がった。
セシルは、初めてイタしたあの夜からどんどん男性化が進んでいったけれども、基本的に体を鍛える必要もないインドアな質も幸いして、お父様たちみたいな一般的な海の民よりも陸の人間に近い細マッチョ程度に留まったので、お互いに胸をなでおろす結果となったのだけれども……
…ハッスルされた翌日には寝台から起き上がれず、回復薬のお世話になるまで寝て過ごす程度には絶倫である部分だけは、一般的な海の民と変わりなかった。
そうして、お互いにイチャイチャしながら日々は過ぎていき……結婚して数年経ったある日、
「あの時の王子様、お元気かしら……?」
なんて、すっかり時が経ってから私達が結婚するきっかけとなった王子様のことを思い出した。
「王子…? ああ、あのヤリチンか」
頼りがいのある愛しい夫となった今でも、あの王子の話を出すと不機嫌な表情を隠さない所は困ったものである。
そして私もそれなりに大人になっていたので、『ヤリチン』の何たるかも、ちゃんと知っていたので、余計にため息が出る。
「前から思ってたけど、何か誤解があると思うのよね」
大人げない嫉妬に駆られる夫に呆れながら、私は首を振って宥めるように言葉を紡ぐ。
「あの人、あなたが思っているような……そういう不誠実な方じゃないわよ?」
「そうは言っても、男が怖い君が唯一カッコいいと言った男じゃないか。どんなにいい男だったとしても、僕は認めないね」
「だから、違うっていうのに……」
彼のことになると、一切話を聞いてもらえないところが本当に意固地で面倒くさい。
私が愛する夫はあなたしか居ないのに…。
信じてもらえないと言うことが、どんなに悲しい気持ちになるのか、わからないわけでも無いくせに。
そう思っていた、ある日のことだった。
二人で海上デートに洒落込んで、波間にプカプカ浮いていた時、かつて見た客船とは違う形の交易船で彼を見かけることが叶ったのだ。
彼は幾分年をとったように見えたけれども、相変わらず落ち着いた風情のイケメンだった。
「おーーーいっ!!」
そうして船の甲板で佇む彼に手を振ると、程なくして私に気づき、驚いた様子で船を停止させてくれた。
どうやら、この船の最高責任者かそれ以上に高位の立場の存在らしい。
私達は、セシルの魔法でふわふわと宙に浮かび、甲板に一人佇んで驚きながらも動じず私達を待つ王子様の元に降り立った。
―――いや、ヒレで立たないといけない私は浮かんだままだったけど、まあ、近くに行ったとでも思ってほしい―――
「お久しぶりね、王子様! お元気だったかしら?」
「こんなひ孫までいる老いぼれを王子様とお呼びになるのは、あなた位のものですよ、海の姫様」
「人間の年齢ってよくわからないけど、そういうものなの?
私には、そんなに以前と変わったようには…ああ、髪やお髭の白い部分が増えたかしら?」
「ふふふ…相変わらず、嬉しいことを言ってくれるお姫様ですね。
以前会った時だって、私もとうに40を超えた年だったというのに……あなたこそ、全く変わりなく…というかますます女性らしくお美しくなられたようだ…。
お隣にいらっしゃる男性は、あなたの恋人か、旦那様でしょうか?」
「夫です」
「ああ、これは失礼なことを。お許しください」
言葉少なで愛想もないセシルの態度に腹も立てず、王子様は目のフチにシワを寄せながら微笑むので、より一層優しそうに見えた。
「以前に出会ったあと、あなたの晴れた日の空のような瞳がとても美しいと思って、見たこともないほどカッコいい人に会ったって言ったら、話も聞かないで怒り出して大変だったわ。
その上、誘われたからお城に遊びに行きたいって言ったら……嫉妬で監禁されそうになったのよ?
あり得ないでしょう?」
人間たちと時間の流れの違う私達にとって、ほんの20年程度の年月は、それ程前のことではない。
私は昨日のことのように思い出し、フフフと笑いながら夫を振り返り打ち明ける。
「それに、若いお嬢さんたちの相手ばかりするような女好きの男性だって…なんか勘違いしているみたいで…
お嬢さんって言ったって、あなたのお孫さんたちのことだったのにねぇ……ホント、嫌だわ男って」
「ええっ!? 君、そんなこと言ってなかったじゃないか!」
自分が聞く耳持たなかったせいで…とは、あえて言い聞かせようともしなかった自分の所業を思い出すと言えないが、そんな私の「キシシ」と笑う態度に、驚きながら焦る夫を横目で見ながら、意地悪そうに言ってやる。
「はっはっは…男はいくつになってもバカなもんですよ。
それにしても、こんな美しく魅力的な若い女性との関係を勘ぐられて、自分の孫程に見える若い男性に嫉妬されるなんて……思いの外気持ちいいものですね」
本当に楽しそうに王子様は笑ってくれるので、私も同じ様に「ふふふ」と声を上げて笑った。
何故だろうか、私は彼が嬉しそうに笑っていると、心の底から自分も嬉しくなる。
20年前に出会った時…、物憂げに海を見つめる彼の姿があまりに悲しそうに見えて、胸が突かれるように苦しくなって、思わず声を掛けてしまった時にも、同じ様な気持ちになった。
『あのね、お父様。私、大きくなったら海で暮らしたいわ
そして、お父様のお船に乗って、いろんな国のひとたちと仲良くなって、お友達になりたいの』
その時ふっと頭に過ぎった記憶の中で、今の私達の外見と同じくらいの若さの彼に、そんな事を言っていた青い瞳の女の子は誰なのか?
少なくとも、彼と同じ青い瞳を持たない『私』ではないことだけは確かであるけれども……彼女のことを思い出すと、いくつになっても切なくなる。
そうやって嬉しそうに笑う彼の様子にホッとしながら物思いに耽っていると、ふと笑いを収めた王子様が泣きそうな笑顔で、何かを思い出すような遠い目で呟いた。
「40年近く前になりますが…私には一人の娘がいました。
その子は海が大好きで、海辺の小さな国とはいえ王族に生まれた女性には珍しく、船乗りになりたいと願うようなお転婆な娘でしたが……。
ある日、大きな病を得てその小さな命を散らしてしまった。
しかし、あなたと出会った20年前にも思いましたが…あなたと話していると、何故かその娘のことを思い出します」
そう言って、泣き笑うような笑顔で微笑まれると、私もつられて泣きそうになる。
この人のそんな顔は見たくないと、強く思うと尚更だった。
「その子の事は知らないけれど、きっと自分と同じお父様の青い瞳が悲しみに陰ることを嫌がっていたでしょうね。
…お父様のお船に乗って、いろんな国を旅して回ると言うような、お船が好きでお転婆な子だったでしょうから……」
「ああ、ああ……そうですね。そうでした。
あなたと会うと、そんなことも昨日のように思い出します…。
あの子は、本当に船が大好きな子でしたから……それこそ、海の民でありながら陸の船に興味を示す、あなたの様に」
「ええ、そう。私のようにね。…ふふふ」
そうして二人で含み笑いを浮かべると、心配そうに見守るセシルの顔が目に入り…ニコッと笑いかけた。
「じゃあ、また会えるかどうかわからないけれども、お元気でいてね、王子様」
「ええ、せいぜい長生きして、再びあなたにお会いできる日が叶うよう努めますよ、人魚姫さまとその旦那さま。
あなた方もお元気で」
「……………また会える日を…」
てっきり彼のことは無視して、私に腕を惹かれるまま無言でもどるかと思っていたけれども、無愛想ながらも別れの挨拶を交わしたので、少し驚いた。
そうして、二人で航行を再開した船の後ろ姿を見送っていると、ポツリとセシルが呟いた。
「あの王子様……結構爺さんだったんだね……」
「……そうなの? 人間の年齢って、よくわからないんだけど…」
背中を向けて呟くセシルの表情はよく見えなかったけれども、どこか気落ちしたような声音だった。
「エマは………今でも船乗りになりたいの?」
「……船乗りになりたいなんて、私、言ったことないわよ?
大体、船より早く泳げる私が船に乗ってどうするのよ?」
「そっか……そうだよね」
「変なこと聞くわね。 おかしな人……。
私が今なりたいものは、船乗りじゃなくて、あなたの子を産むお母さんなのよ。
そこんとこだけは、誤解してもらっては困るわよ?」
そう言って、いつの間にか逞しくなったセシルの背中にそっと寄り添うと、
「うん…そっか…だったらいい…」
そう言って真正面に向き直り、私の体をそっと包み込んで抱き締めてくれたのだった。
その後、長い時を共に生き、子どもや孫たちに見守られながら私が先にこの世を去る時、
「次の時にも一緒に居られると良いわね」なんて笑いかけると、
「ちゃんと向こうで待っててよ?
あの王子様がこっちに行こうって言っても行っちゃ駄目だよ?
絶対だからね!」
なんて号泣しながら念を押されて、まだ根に持っていたのかと思うと笑いが止まらなかった。
いつまでたっても小さな嫉妬で子供っぽくなってしまう可愛らしい夫以上に、私の心を捉える人なんていないのに……
何百年経っても同じ言葉を繰り返しているのだけれども、一向に信じてもらえないことがいっそのこと楽しくて…私は微笑みながら目を閉じた。
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