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昔の飼い猫が今日から彼氏になりました。最終話

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「來斗、來斗」
身体を揺さぶられて來斗は目を開ける。
ドアップに映ったのは黒猫の大きな瞳。
「ん……リボン?」
「そうだよ。まだ寝惚けてる?そろそろ起きねぇと遅刻するぜ」
「……遅刻」
その言葉に反応し、ガバッと身体を起こした。
「うおっ!?」
來斗の突然の動きに機敏に反応したリボンはニイッと笑った。
「元気そうで良かった」
「ごめん。起こしてくれてありがとう」
「いやいや。先に洗濯進めてるな」
「了解……わっ!」
律儀に額にキスをしてから出て行くリボン。
黒猫を思わせる金眼がキラリと光っているのを見て來斗は苦笑した。
寝惚けているとよく猫のリボンと間違えてしまうのはあの瞳の所為だ。
(今では元猫だなんて思えないぐらい人間らしいけど)
リボンが来て2ヶ月──想像以上にリボンは成長した。
朝は來斗と同じかそれより早く起床するようになった。
洗濯は得意分野になり、掃除もリビングから風呂まできっちりやってくれる。
「忙しくても來斗は絶対ご飯作ってくれるじゃん?すげぇ嬉しいから料理以外は俺に任せて欲しいわけ」
ここに来た当初からリボンはそう言っていた。
2ヶ月経ってそれが現実となったのだった。
(本当にリボンは賢いししっかりしてるし俺よりずっと大人だなぁ。どんどんカッコ良くなっていくし)
先程のキスを思い出し、來斗はそそくさと着替えを進めた。
──最近のリボンは些細な部分までカッコ良くて困る。

キッチンに行くとリボンの鼻歌だけが聞こえた。
風呂掃除をしてくれているらしい。
リボンの鼻歌はいつも何の歌か分からないけれど、何となく心地良い。
それをBGMにして朝ご飯を作り始めた。
昨夜から和食にすると決めていたから下ごしらえや準備は出来ている。
冷蔵庫から取り出して手際良く朝ご飯を作っていると「來斗ー!」とリボンが焦ったように走ってきた。
「どうしたの?」
「風呂掃除の洗剤がなくなった!どうしよう!まだ途中なのに」
本気で困っているらしいリボンは思いっきり眉をハの字に下げている。
來斗はふふっと笑って言った。
「気にしなくていいよ。そこまででいいから。洗剤は帰りに買ってくるね」
「え!でも終わってないぜ?」
「完璧じゃなくていいっていつも言ってるでしょ?完璧に拘ると疲れちゃうんだって」
來斗はポンポンとリボンの肩を叩いて見上げた。
「ちょうどご飯も出来たし。今日はそこまでで大丈夫」
「そっか、分かった。完璧目指してるつもりなかったけど、來斗がそう思うってことは俺、目指してたのかもしれないな」
「リボンはいつだってそんな感じするよ。一生懸命過ぎる。たまに心配になるぐらい」
リボンの大きな身体がしゅんと小さくなる。
來斗は慌てて手と顔を横に振った。
「あ、怒ってるわけじゃないから!勝手に心配してるだけ!」
「そっか。來斗って全く怒らないからやっぱり優しいんだな」
「リボンに本気で怒る時があるとしたら……リボンが危ないことしちゃいそうな時かな。さ、食べようか」
こくりと頷いたリボンは來斗に促され、席についてニコニコとご飯を食べ始めた。
ここに居ることに慣れてきたのか、今日のように來斗より早く起きることも増えたし自分から進んで掃除や洗濯をするようになってきた。
リボンの成長を來斗は微笑ましく思っていた。
頑張り屋なリボンだからこそこんな短時間で様々なことを覚えることが出来たのだろう。
猫の時だってそうだ。リボンは教えたことをすぐに覚える。
たまに黒猫だったリボンのことを思い出すと、今のリボンと重なって見えて不思議な気持ちになる。
來斗の中では勿論どちらも大切な存在だ。
そんなことを考えているうちに食べ終わり、食器洗いはリボンに任せて出勤の準備を始める。
身支度を済まし「行ってきます」と声を掛けるとリボンは少し寂しそうな顔をして「行ってらっしゃい」と言った。
「今日は絶対に残業ないから」
「本当!?じゃあ早く会えるんだな。待ってる」
しっぽがあったら振り回しているのではないかと思うぐらい嬉しそうに笑ったリボンは來斗に思いっきり抱きつきキスをした。
「わっ……!もう」
「へへっ!これで会えない時も頑張れる」
「まぁ確かに。ありがとう。行ってきます」
少し頬を赤らめたまま來斗は家を出たのだった。

その夜、日課の散歩を終えて夕飯も食べ終えた後2人でのんびり過ごしていると「そうそう」と來斗は声を上げた。
「……んー?どうしたー?」
半分眠っていたらしいリボンは眠そうな声で返す。
「あ、ごめん。寝てた?」
「いや、大丈夫。どしたの?」
「今度友達と会わせるって言ってたでしょ?明日の夜家に来るから、2人」
「あー!言ってた!楽しみ」
「だから明日は散歩お休みして早めに夜ご飯食べよう。20時頃に来るはずだから」
來斗がなでなでとリボンの頭を撫でながら言うとリボンは「にゃあ」と鳴いた。
「俺が知らない色んな來斗を教えてもらわねぇと」
「あんまり期待しないでね。大して変わらないから」
「ん、それもそれでいい。楽しみだ」
気持ち良さそうに目を細めたリボンはそのままスヤスヤと寝息を立て始めた。
ソファで寝てしまったリボンを見て來斗は微笑する。
「最近本当に頑張ってるから疲れてるんだろうな」
來斗が20年以上掛けてやってきたことをリボンは短時間で習得しようとしているのだ。疲れるに決まっている。
ただでさえ人間の身体を使うのは慣れていないはずなのに、リボンは一切弱音を吐かない。
「無理しないで、リボン」
本当は何も出来なくたっていい。
リボンが隣にいてさえくれれば。
けれどそれはリボンの望む言葉ではないことも分かっている。
昔から真面目で賢くて一生懸命毎日を生きているリボンのことは自分が誰よりも理解しているのだから。
「ありがとう」
なでなでともう一度頭を撫でる。
リボンが口元に笑みを浮かべた気がした。

翌日、來斗は慌ただしく家を出て行った。
朝から夕飯の準備までしっかりしていたらしい。
リボンは出来る限り手伝いをし、來斗を笑顔で送り出した。
それからいつも通りテレビを付けて体操をする。
天気が良いことを確認して朝から洗濯機を動かし、午前中にベランダに洗濯物を干した。
ベランダで青空を見上げたリボンは眩しそうに目を細めた。
手を伸ばしても雲は掴めない。
「……人間になっても届かねぇんだなぁ」
猫だった頃、人間はすごい存在だと思っていた。
何でも出来るし何でも作り出せる大きな存在で、こうして手を伸ばせば雲だって掴めるのだと思っていた。
けれど自分が人間になって初めてそんなにすごい物ではないのだと知った。
毎日目にするニュースは事件や事故だらけで安全とは言い難い。他国とも争ってばかりだ。
別に悲観するわけではないけれど、リボンの中で人間は「そんなもんか」と位置付けた。
それでも人間になれて良かったと思う、心から。
何せ大好きな來斗の夢を一緒に叶えることが出来るのだから。
「よしっ!」
來斗を思い描いて幸せに満たされたリボンは気合いを入れて部屋に戻った。
太陽はそんなリボンを優しく照らしていた。

「ただいま」
「お帰り。來斗が朝作ってたやつ温めておいたぜ」
「本当?ありがとう。助かる」
定時上がりで家に帰ってきた來斗は手洗い等を済まし、ラフな格好に着替えた。
リボンが言っていた通り机の上には夕飯が並んでいる。
美味しそうな湯気が立っている所を見ると、リボンはちょうど良くなるよう時間を調整して温めてくれたのかもしれない。
細かい部分まで気を利かせてくれるリボンに來斗は笑みを向けて言った。
「リボンって本当に良い子だよね」
「だとしたら來斗のお陰だ。俺は來斗を見て育ったんだからさ」
「え?あ、そっか。そう言われると照れるな」
「照れてる來斗、すげぇ好き」
ご飯を食べる前にキスをされ、來斗はますます顔を赤くした。
「もう。最近リボン俺で遊んでない?」
「遊んでねぇって!照れ顔の來斗にはますますキスしたくなるだけ」
「それはなんて言うか……」
返事に困った來斗は机の上を指さした。
「ご飯食べようか」
「食べる!美味しそうな匂いするから今日も楽しみだぜ」 
誤魔化しきった來斗は内心ホッとしていた。
あまりにもストレートに言ってくれるリボンに対してどうしたらいいか分からなくなってしまうから。

散歩時間がない分、いつもより早く食べ終えた2人はぱぱっと片付けを済まし友人を迎え入れる準備をした。
20時予定と言っていたが少し早めにチャイムが鳴った。來斗が応対し、部屋に招き入れる。
1人目は來斗よりも明るい茶髪でニコニコ笑っている人当たりが良さそうな顔をしていた。
「お邪魔します。お、噂の彼氏くん」
「あれ?俺のこと知ってんの?」
「昨日詳しく聞いた。それまでは新しい恋人が出来たことも同棲してることも知らなかったけど。來斗に聞いてた以上にカッコイイな。あ、俺は唯吹って名前。イブって呼んで」
「イブな。俺はリボン。よろしくな」
初対面の人間にもリボンは特に緊張することなく笑顔を見せた。
密かにどうなるかドキドキしていた來斗はそれを見て安心していた。
2人目はその5分後に現れ、リボンに対して同じような反応を示した。唯吹よりも身長が高く、黒髪に金色のメッシュを入れたオシャレな人物だ。
「わ!すっげ!カッコイイ!背高いし顔小さいしモデルみたいだな」
「モデルじゃねぇけどそれよく言われる。名前なんて言うんだ?覚えたい」
「遊ぶって書いてユウ。そっちは?」
「リボンって書いてリボン」
疑問符を浮かべる遊に來斗は慌てて言った。
「リボンは真顔で冗談言うタイプだから!ま、とりあえず席着いてよ。デザート作ったからさ」
「お、いいね。來斗が作るデザート美味いから楽しみ」
唯吹と遊は並んで座り、その対面に來斗とリボンが並んだ。
食べ始める2人をじっと見た後、リボンはこっそり來斗に尋ねた。
「今は食べながら喋ってもいいのか?」
「ふふっ、勿論。あれは2人の時だけだから」
「だよな。こういうのは食べながら喋るもんだって知ってる」
うんうんと納得したリボンは「美味しい」と言い合っていた2人を見て言った。
「あのさ、來斗のこと教えてくれよ。俺あんまり知らねぇから」
「來斗のことか。とはいえあんまり面白いエピソードはないなぁ。基本的に真面目だから、コイツ」
唯吹の言葉に遊も頷く。
「まぁ確かに事件はないよなぁ。高校の時にやらかしたことと言えば逆バレンタイン事件とか?」
「あー、それ言っちゃうんだ」
顔を覆う來斗だったが、止めることはしなかった。
「逆バレンタイン?何それ」
「2月14日にバレンタインってあるだろ?女から男にチョコあげるやつ」
「高校2年の時、來斗は勘違いして2月14日に大量のチョコ作って持ってきたんだよな。しかもクラス全員に配るのが普通だと思ってたって言って」
「その前の年まではそんなことなかったのに2年のバレンタインで突然そんなことしたから俺たち的には爆笑だったわけ」
「クラスの女子はめちゃくちゃ喜んで來斗の株も爆上がりだったけどな」
楽しそうに言う唯吹と遊を見てリボンは「へぇ」と目を丸くした。
「來斗はしっかりしてるのに。意外だ」
「……弁解するとそれまでバレンタインなんて意識してなかったんだよ。リボンがいなくなったショックをずっと引き摺ってたから。立ち直って初めてバレンタインってものと向き合ったから間違えたの」
小声で付け足す來斗は恥ずかしそうに顔を押さえ続けている。
「そっか。でも來斗が作ったチョコ食べられるなんていいな。イブとユウもそれ食ったの?」
「食ったよ。クオリティ高過ぎて既製品より美味かったことを覚えてる」
「溶かして固めただけって言ってたけど絶対ぇ嘘だろって思ったもんな。料理上手いだけある」
「やっぱり來斗は何でも作るの上手いんだな!來斗、今度俺にもそれ作って」
來斗の腕を掴んで揺するリボン。話を聞いてるうちにどうしても食べたくなったらしい。
「近々作るよ。その時にはイブとユウにも渡しに行くね」
「マジで?サンキュ!またあれ食べられるなんて嬉しい」
「じゃ、來斗が遊びに来た時はワインでも用意しとくわ。飲んでけよ。あ、その時はリボンも来たら?折角だから皆で飲もうぜ」
名前を呼ばれたリボンは目を輝かせて遊を見つめた。
「初めて人に誘われた!嬉しい!行く!」
「おー、そっか。なんか見た目に反して可愛い奴だな、お前」
「俺は色々あって友達とかいねぇんだ。だからユウが誘ってくれて嬉しい。初めて友達に誘われた!」
ニコニコ笑うリボンは終始嬉しそうで來斗も嬉しくなる。唯吹と遊が良い奴だと知っているからこそリボンに会わせたのだが、來斗が思った以上に上手くいったようだった。
「リボンも色々あったんだな。ま、詳しくは飲んだ時にでも教えてくれよな」
唯吹に言われ、リボンはこくりと頷いた。
「ワインってやつ初めて飲むけどそれも楽しみだぜ」
「あれ?飲んだことないの?」
遊が來斗を見て聞くと「そう言えばないね」と來斗は苦笑した。
「まずリボンはアルコール飲んだことないんだった。次会いに行くまでに教えておくよ」
「へぇ。ガッツリ飲めそうな顔してるけど、どうなんだろうな。少なくともイブよりは飲めそうだ」
「ユウと來斗が強いだけで俺は普通だからな!絶対普通だからな!」
ばんばんと机を叩きそうな勢いで訴える唯吹をリボンがじっと見つめる。
「アルコールって楽しそうだな。こんなに競い合ったり出来るのか」
「リボン……後で詳しく教えるよ」
間違った知識がつく前に教えなければと來斗は早々に教えることを決意した。
「うん、分かった。てかイブとユウは一緒に住んでるんだな。恋人?」
リボンが尋ねると遊が答えた。
「一緒に住んでるよ。高校卒業してからずっと。同じ大学だったからその方が都合良くて。でも恋人ではないかな。ルームシェアしてるだけ」
「ルームシェア?」
知らない単語が出てくるとリボンはすぐに來斗の方を向く。來斗はそんなリボンの動きも可愛くて好きだった。
「同じ部屋に住んでる友達って感じ」
「へぇ。恋人になった方が楽しいのに」
さらりと言ったリボンの言葉に反応したのは唯吹だった。
「何それ何それ。絶対何かしてるやつじゃん。來斗はそういうこと教えてくれないから代わりに教えて」
「俺は何でも教えられるけど何が知りたいん……むぐぐ」
リボンのことだ。本当に何もかも喋ってしまうだろう。焦った來斗は唐突にリボンの口を両手で塞いだ。
「イブ、余計なこと言わなくていいから。それについて話すことは何もないよ」
「えー!リボンは何か言いたそうだったけどな。來斗に聞くわけじゃないんだしいいだろ?」
「駄目。その話は禁止。これ以上その話続けるならもうデザート作ってあげない」
「うっ……それは嫌。分かった分かった」
降参、というように唯吹はひらひらと両手を振った。
「てか來斗。リボンのこと離してあげないと苦しそう」
3人のことを眺めていた遊に言われ「あっ!」と來斗はやっと手を離した。
「ごめん、リボン!大丈夫だった?」
「ん、大丈夫。呼吸はしにくかったけどな」
「リボンって天然なのか何なのか分からないね。とにかく優しいってことだけは分かったけど」
ククッと笑う遊に向かってリボンは笑顔を見せる。
「俺は來斗が大好きだから何されても気にならねぇの」
その発言に慌てたのは勿論來斗だった。
「ちょっと待って!違うから!何もしてないから!」
慌てる來斗が面白いのか唯吹と遊はニヤニヤと笑って言う。
「そっかそっか。分かった分かった」
「これ以上は聞かないでおくわ。來斗の趣味がそんな感じだったなんて」
「違うってば!!」
來斗が大声で否定しても2人は笑うだけ。
そんな3人を見てリボンは更に笑みを浮かべた。
「やっべぇ……人間って超楽しい」
小声の呟きは誰にも届かずに消えた。

「はああああああ」
唯吹と遊が帰った後、來斗は思いっきり溜息をついてソファに倒れ込んだ。
「お疲れ様。すげぇ面白い人たちだな!俺、仲良くなれそうかも」
「まぁね……良い奴らではあるよ。だからリボンに会わせたんだし。でもこんなはずじゃなかった」
リボンはぐったりと首を下げる來斗の隣に座り、來斗の首を自分の肩に乗せた。
されるがままの來斗は余程疲れきっているのだろう。
「イブもユウもこれからリボンに色々聞くと思うから気を付けて」
「逆に何言っちゃいけないか教えといて。そしたら俺絶対言わないから」
「そうだね。確かにリボンはそういうタイプだ」
やるなと言ったらやらないリボンのことだ。言うなと言ったら必ず言わないでくれるだろう。
「任せろ。イブとユウも好きだけど俺は断然來斗のことが好きだから來斗優先だぜ」
「ありがとう。リボンは本当にそうだよね。だからすごく安心出来る」
リボンの肩に寄りかかり、來斗は目を瞑った。
体温が心地良くて更に安心感が増した。
数分経って來斗が言った。
「あの日──リボンに再会した日から俺はもうリボンなしじゃ生きられなくなったよ。こんなに誰かを愛すなんて思わなかった」
「來斗……」
「猫のリボンを喪った時に思ったんだ。俺、きっとリボン以上に大切な存在に出会うことは一生ないなって。その後恋人は出来たし友人もいたけどリボン程大切には思えなかった」
ぽつりぽつりと語り出した來斗をリボンは黙って見つめていた。
ぎゅっと來斗に手を握られ、握り返すのが精一杯だった。
「だから……だから本当に今、信じられないぐらい幸せなんだ。毎日が幸せで夢みたいで。リボン以上に愛せないって思ってた俺の元にまたリボンが来てくれると思わないじゃん。こんな奇跡起きるんだなぁって」
「うん……そうだな」
「リボンがまた俺を愛してくれて良かった。人間になっても好きになってくれて良かった」
ポロリと來斗は涙を零した。
「もう二度と俺のこと、置いて行かないで?」
「置いて行かない。約束する」
リボンは來斗の顔をペロリと舐めた。
「んっ……」
くすぐったさに声を上げる來斗にも構わずリボンは舐め続けた。
零れた涙を綺麗に舐めとり、満面の笑みを見せる。
「來斗が泣いたらこうしてあげる。涙なんて俺が全部食べてやる。だから笑って?俺、昔から來斗の笑顔が一番好きなんだ」
「リボン……ありがとう。本当に毎日毎日カッコ良くなるんだから、もう」
微笑みを浮かべた來斗はもう涙を流すことはなかった。
「何でそんなにカッコイイの?ズルい」
「來斗を守るためかな」
「あー、そういうベタなやつに弱いから俺」
2人で笑い合ってキスをする。
毎日同じように抱き合ってキスをしているのに、毎日新鮮な気持ちになれるのは來斗とリボンが何度も同じ相手に恋をしているからかもしれない。
少なくとも自分はそうだと來斗は思った。

翌日、來斗は仕事が休みだったが、朝から大雨が降っていた為外出は断念せざるを得なかった。
「うー……雨嫌い。怖い」
とにかくリボンは雨が苦手なのだ。
猫の時も不快そうにしていたが、雨の日はまず窓に近寄らない。
雨を見ることも嫌だと言っていた。
「家でのんびりするのもいいよ。はい、ココア」
暖かいココアを机に置くとリボンは嬉々として椅子に座った。
「ありがとう、來斗。じゃあ俺今日も頑張ろっと」
ガサガサと机の下の台から取り出したのは小学生向けのドリルだった。
国語、算数、英語──以前買い物に出掛けた時にリボンが唯一欲しがった物だった。
「これ色々勉強出来るんだろ?俺、もっと賢くなりたいんだ。だから買って欲しい」
そんなに本気でお願いしなくても買ってあげるのに、と思ったけれどその本気さが嬉しかったのも事実だ。
何せリボンは來斗の夢を知ってから更に勉強したいと言ってくれるようになったのだから。
それはつまり──自分の夢を本気で一緒に叶えてくれようとしているのだ。
あの落書きを描いた時は正直「こうなったらいいな」ぐらいの気持ちだった。
大好きな料理を仕事にして、自分のお店を持って、隣には大好きなリボンがいる。
そんな夢みたいなことがもし現実になったらいいと思って描いたただの落書きだった。
それなのにリボンは本気にしてくれた。
來斗の幻のような夢を本気で叶えようとしてくれているのだ。
その為には国語も算数も英語も確実に必要になってくる──そう考えて勉強すると決めたのだろう。
もっとファッションアイテムでも何でも欲しがってくれていいのに、リボンはこれしかいらないと言っていた。
「ありがとう、リボン」
対面に座り、よしよしと頭を撫でる。
來斗がいない間にもしっかりとやっているリボンはもう各ドリルを半分程こなしていた。
平仮名と簡単な漢字は読み書き出来るようになった。
桁数が少ない足し算と引き算はパッと計算出来るようになった。
日常英語は喋れるようになった。
あまりにも優秀なリボンはきっと短時間である程度こなせるようになるだろう。
1年経ったら來斗よりも頭が良いかもしれない。
「來斗、ここどうやんの?」
声を掛けられはっとする。
1年後のことよりも今は現実を見つめなければ。
見せられた算数の計算方法を分かりやすく説明するとリボンは「成程!」とすぐに応用していった。
「リボンすごいなぁ。頭良すぎ」
「まぁな。俺はお店で会計とかもやるんだからしっかり算数覚えねぇと」
「ふふっ、そうだね。じゃあ俺は料理の練習でもしようかな。パンケーキ焼くけど食べる?」
「勿論!あ、待って。俺もキッチン行く」
「え?ドリルはいいの?」
「いいの。來斗が料理作ってんの見るのが好きなんだよ、俺は。それに料理も手伝える部分は手伝いたいんだよな」
「優しい。夢叶えたらリボン無理しそうだなぁ。ちょっと心配」
「大丈夫。その辺もちゃんと学んでおくぜ。健康管理ってやつだろ?來斗には迷惑掛けねぇって決めてんの」
もしかしたらリボンは自分よりもずっと夢のことを考えてくれているのかもしれない、と來斗は思った。
そして自分は少し「夢なんてどうせ叶わない」と思っていたのかもしれない。
それは長く人間として生きてきた來斗に染み付いてしまった諦念感。
何度も夢を砕かれてきたからこそ、その思いが離れなくなってしまった。よくあることだ。
だがリボンは違う。
人間になって数ヶ月のリボンには諦念感などない。
あるのは希望だ。心から叶うと信じている純粋な気持ち。
「……リボンには教えられてばかりだよ」
「俺の方が教えて貰ってると思うけど」
「ううん。実は俺も学んでるんだ。多分とても大事なことを」
「そっか!來斗の役に立てたなら嬉しいぜ!」
そう言ってリボンは來斗を抱き締めた。
思いっきり、力強く。
「リボン?」
「少しだけ心配だった。俺は來斗に頼ってばかりだから負担になってるんじゃねぇかなって」
「有り得ないよ。言ったでしょ?俺にはリボンが必要だって」
「うん、聞いた。すげぇ嬉しかった。ありがとう、來斗」
抱き締められたまま背伸びした來斗はリボンの頬にキスをした。
「……大好き」
照れたように言う來斗と少し驚いた後ニッコリと笑ったリボンはそのままキッチンでじゃれ合ったのだった。
キッチンの小窓から覗いた空は雨が止み、綺麗な虹が架かっていた。
外では黒猫が「にゃあ」と2人を祝福するように鳴いていた。

当たり前のように今日も2人で過ごすこと。
それが何よりも大切なことで、幸せなこと。
2人なら些細なことも幸せに思えるから。
何があっても2人でいられさえすれば、それで。

昔の飼い猫があの日から──この先ずっと彼氏になりました。
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