小さな生存戦略

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恩返しと怨返し

cannon ball①

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 陽歌が仇を始末し始めて数日経った日のことである。優先抹消はすべて終わり、次はあの有象無象をどう始末するか考えていたところである。学校での大量殺人事件はいくつかあったが、そのどれも成人男性によって行われている。陽歌は同年代の中でも体格が恵まれておらず、三つほど下の平均に負ける程度。そのため同じ様にやってもすぐ捕まってしまう。
 かといって他の手段はどれも現実的ではない。給食や水に毒を混ぜるのもそれだけ強力な毒の入手がまず不可能。全校集会を使って体育館ごと吹っ飛ばそうにも爆弾など作れるはずがない。どれも実行したところで期待された成果は上げられず、捕まるリスクをいたずらに増やすだけだ。
 そんなことを考えていると夜更かしをしてしまう。朝起きるのがつらい、というのは正しくこういうことだと実感することになったのだ。
 そんなある日の朝であった。家のインターフォンがやけにしつこく鳴る。親類ならば合い鍵があるので入って来れるはずで、宅配もこんな早くからやっていない。
「はーい……」
 寝ぼけ眼をこすって玄関に向かい、扉を開ける。そこには警察官がずらっと並んでおり、物々しい雰囲気が広がっていた。陽歌はとりあえず扉を閉めることにした。もちろん途中で扉を掴まれて阻止されたが。
「浅野陽歌! 殺人の容疑で逮捕する!」
「え?」
 逮捕状の提示がなかったのが気になったが、有無を言わさず手錠を掛けられて連行される。殺人についてはもう心当たりが多すぎてどの件なのかわからない。報道陣は少ないが、おそらく地方紙や地方局だろう。それでもさほど報道されていない少年犯罪にここまで集まるだろうか。

 陽歌は茫然と連行されるしかなかった。パトカーで連れていかれたのは金湧署。姉夫婦を殺した時と同じだ。あれよあれよと取り調べ室に連れていかれ、あの見るに堪えない顔をした女刑事が出てくる。
 机には手錠をつなぐ部分があり、陽歌の左腕はそこに手錠で繋がれていた。
「かつ丼出ないんだ……朝には重いけど」
 まだ朝食を採っておらず、お腹が空いていた。いくら空腹慣れしていてもちゃんとお腹は空くものなのだ。どうせあの女刑事ならば頓珍漢なことを言ってくるに違いないという確証があった。万が一正解を言い当てたとしてもそれは偶然に過ぎない。サスペンスの登場人物を全員指していけば犯人に一回は当たるものだ。
「殺人って、なんです? この辺で殺人なんて……」
 陽歌はすっとぼける。どれも第三者から見れば殺人とは言い難いだろうと推測してのことだ。
「嘘つけ! お前が救急車を呼んだあの火災! お前が火をつけたんだろ!」
 刑事が話に出したのはあの子が死ぬことになったあの火事。一瞬にして血液が頭へ向かっていく。視界が白くなり、今までにない感情が沸き上がった。だが、これも冷静になれば全く根拠のない憶測だ。ここで余計なことを言えばボロが出る。
「……」
「沈黙ということは認めるということか?」
 なぜか自信満々である。打開策を上った血で探る陽歌。幸い、この一連の事態において愛花に相談していたのだ。つまり、彼女が有利になる様に動けばいい。具体的には、向こうが焦って暴力に訴えればいいのだ。
(こんなバカに死なない程度の暴力なんて繊細な真似できないのは確かだから……あとは愛花さんを信じよう。警察の動きならば察知するはずだ)
 殺しを決めた際、愛花には関わらないとも決めた。しかしこうなればどうあっても愛花と関わる必要が出てしまう。法の下裁かれるのならばまだいい。殺した人数から全員の殺害が証明されたら成人だと死刑、でも未成年ならまだなんとかなりそうだ。
 だが警察の不祥事で死ぬのはごめんだ。法の裁きという抵抗さえなく殺されてしまうのだから。
「あの、そういえば逮捕状ってないんですか? 見せてもらってないんですけど」
「なにぃ? 素直に認めろ! 子供がこざかしいことを言う!」
 警察は逮捕に至って、ある手順を踏む必要がある。まずは犯罪真っ最中を捕まえる現行犯逮捕。誰の目にも犯罪をしていることが明らかなので許されている。そうでない場合、裁判所に申請して逮捕状を発付してもらう必要がある。
 それも『この人逮捕したいです』『いいよ』という簡単なやりとりではない。まずその犯罪を実行したと十分に疑われること、そして逃亡及び証拠隠滅の恐れがあるということが認められる必要がある。
「あ、もしかして緊急逮捕ですか?」
 だが現行犯の他に令状を必要としない逮捕がある、緊急逮捕だ。これは速やかな逮捕が必要な場合に逮捕状なしで逮捕できるが、ただちに逮捕状を出してもらう必要がある。
「そ、そうですよ! よく勉強してますね!」
「じゃあ逮捕状もらったら見せてください。そうしたら何か喋ります」
「……」
 女刑事は押し黙る。あ、これ緊急逮捕じゃないなと陽歌も予想した。司法は機能しているようで彼は安心した。女刑事はどうにか口を開かせようと情報を話す。
「この日、金湧駅で第三小学校の児童を階段から突き飛ばしたのはお前だろ! 目撃者もいるんだぞ!」
「カメラの映像ですか?」
「目撃者! 目撃者だっつってんだろ!」
 どうやら監視カメラには映っていないらしい。この女刑事の性格からして、そういうものがあれば意気揚々と見せるだろう。決定的な証拠を持ってこないというのは、つまりないということだ。
「その翌日! また児童を線路に突き飛ばした!」
「また目撃者?」
「そうだ! 諦めて自白しろ!」
 女刑事の金切り声は耳障りでずっと聞いていると頭が痛くなる。
「何人目撃者いました?」
「……」
 とりあえずなんとなく聞いてみたが、その人数さえ言えなかった。よくこれで警察やっているなと陽歌は変な笑みしか浮かばなかった。
 目撃者がいる、と言われるともうダメだと思ってしまうところだが陽歌は冷静だった。案外、目撃情報というのは頼りにならないもので警察が誘導してしまったという例が多く存在する。物証が出ずに目撃者だけ、というのは法廷において自身の不利にならないので余計なことを言わないのが大事だ。
「あの、大体でいいです。正確じゃなくて」
 もういたたまれないのであった。これは泳がせるに限る。それからも女刑事はレコードの様に喋れしゃべれ吐けはけと執拗に迫るが、陽歌は一切応じない。
「あの、トイレ行きたいんですけど」
 取り調べは8時間に及んだ。法で定められた上限に達したのだが、この程度でやめるはずもないと陽歌は予想しており、それは当たった。
「喋れば行かせてやる」
「あ、じゃあいいです」
 トイレにさえ行かす気はなし。これも予想していたが。食事、水分も与えられていないが慣れていたので陽歌は根を上げなかった。愛花が確実に助けてくれる、とまで期待はしていない。そもそも殺人に手を染めた時点で決別するのが筋。
 これも守ってくれるか怪しいところだが、拘留には上限時間がある。学校にも家にも敵がいる状態を何年も続けてきたのでこの程度はなんてこともない。風雨がしのげる時点で上出来だ。
「それで……緊急逮捕の後ってすぐ逮捕状もらわないといけないんじゃないでしたっけ? 遅いですねー」
 いくら審査に時間がかかると言っても、あまりにも遅い。特に拘留関係の手続きは早急に行われるものだ。それがここまで遅いとは、予想通りまともな手続きはしていまい。
「逮捕状を見せてくれるだけで喋る。簡単なことですよ? 弁護士を呼ぶ必要もない」
 女刑事は明らかに苛立っていた。我慢しているのも、倫理観ではなく暴力に訴えた場合の不利益を考えているからだ。女刑事は食事も休憩もした、トイレにもいった。なんなら権力体力共に有利。にも拘わらず、陽歌に対して遅れをとっている状態だ。
「……」
 陽歌はとりあえず黙ることにした。確かに犯人は自分なのだが、ボロを出すことはない。質問は全部無視。条件は最初に提示したのだから守ってもらわないと困るわけだ。だがそんな陽歌にしびれを切らし、女刑事は電気スタンドを掴んで顔面を殴打する。
「ぐっ……」
 手は机に拘束されていたので回避や防御は不可能。思い切り横転するが、もう慣れたものなので痛いは痛いが騒ぐほどのことではない。机に左腕が吊るされたような形になり、腕に負荷が掛かって痛みも増すが我慢できないほどではない。
「クソが! 言えよ! お前が犯人なんだろ!」
 女刑事は半ば半狂乱になりながら陽歌を繰り返し踏みつける。まともな食事で肉がついたのと厚地の服が着られる様になったこともあり、前より痛くないかもしれないが空いた手で防御してやり過ごす。
 この取り調べ室には女刑事以外もいたが、全くこの行動を咎める者はいない。これが金湧警察署の本質だ。陽歌は逮捕状が取れていないことをひそかに確信する。恐怖などは一切なく、これで死なないことに集中するだけだ。

「ぅ……」
 夜間になり、すっかり外も暗くなった。とっくに警察官たちは帰ってしまい、署内も消灯されて真っ暗だ。一方で陽歌は取り調べ室に拘束されたまま。机に突っ伏して寝ているが、慣れない体勢なので床の方がいいかもしれないと考えた。
 あの後も取り調べとはいえない行いは続き、受ける暴力も増えていった。さすがに大人の力で一日暴行されると堪えるものがある。
「げほっ……げほ……」
 せき込むと血の味が戻ってくる。机の中に吐き出したのは黒くなった血液だろうか。夜目は効く方だが、顔を殴られ続けたせいかあまり視界は広くない。
「ん?」
 警官たちが帰ってから長い時間が経った。その中で足音が聞こえる。時間が空きすぎており、忘れ物とは思えない。一人二人ではなく、集団の足音が聞こえてくる。廊下に光が灯り、あちこちの扉を開いて何かを探している様子であった。
「あれは……?」
 警察署にこの大群で入れるということは、相当な悪の組織かそれとも同じ警察なのか。この金湧警察の異常さも相まって判断が難しい。
 ついに集団はこの取り調べ室に入る。部屋の電気がつき、彼は顔しかめる。
「大丈夫か? 警察だ!」
「なに……それ?」
 警察署に突入する警察という構図に混乱したが、もう彼の体力は限界だったようで意識が遠のいていった。
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