小さな生存戦略

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最初の戦略編

生存の為の考察・死にたくない理由

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 陽歌がまず行ったのは、今日の宿を確保することだ。あのまま家に帰れたとして、悪い意味で発言を取り消す様な姉ではない。一週間帰宅禁止の命令は続いていると想定し、その間を生き延びねばならない。
 病院での治療のおかげか、実際はどうか分からないが一食抜いてもすぐ死ぬ様な状態にはならない。なので身体を休めて今のコンディションを今夜悪化させないことが大事だ。少なくとも一晩は屋内で身体を休めていれば、かなり体調も改善するはずと陽歌は考えていた。
 そこで向かったのは、大きなショッピングセンターだ。大きなデパートと複数の専門店から成るそこがベストと考えた。公園などの公衆トイレは半分屋外なので、入院用の寝間着が長袖長ズボンなおかげで緩和されているとはいえこの寒さを乗り切るには不十分。せっかくのベストコンディションを半端な対応で失いたくはない。
「ついた……」
 裸足であるため足取りは重く、閉店前にどうにか着くことが出来た。迷うことなく玩具コーナーに向かうと、陽歌は商品を見る。ベーゴマから派生した玩具、怪獣のソフトビニール人形、動物の姿をしたロボットの組み立てキット、ペットボトルのキャップを打ち出す玩具……甥がお小遣いをゲームやその課金に費やすこともあってか、余計に縁遠いものであった。
(……僕は……)
 これらを欲しいというのは歳相応の、当たり前の反応だ。十歳にしては多少子供っぽいかもしれないが、同い年の子供と健全な関係を築けていない陽歌には判断しようがない。それに、『満たされている』から卒業できるということもある。
(なんで死にたくないんだろう、僕は……)
 どうあがいても手に入らないもの。自分には縁の無い色とりどりの玩具たち。あの時、なんで自分が死にたくなくて必死になったのか陽歌は考えた。死ぬのが怖いからと言えばそれまでだが、なにか別の理由もあるのではないかと感じた。
 普通の子は溜めたお小遣いで、時にはクリスマスや誕生日のプレゼント、お年玉でこういうものを手にする。そのいずれもない自分には到底手に入らないものだ。
 教室の床が埃を吸い込むほど隙間の空いた木材であることをワックス臭さと共に記憶するほど打ち据えられ、押し倒されることに苦痛も感じなくなったのと同じだ。それが当たり前だから、欲しいという気持ちすら枯れてしまう。
 しかしどういうわけか、ここに来て眺めてしまう。よくトランペットを眺める少年、という古典的表現があるのだが、あれがどういう気持ちなのか陽歌には分からなかった。今もって自分がここにいる理由が分からないのだから、当然だ。
 周囲の大人や家族連れは陽歌を避ける様に動く。傷だらけでパジャマ姿、裸足の少年など何かあったと思って警察に通報しそうなものだが、生まれ持った唯一性の高い外見と背負った悪名がそれを邪魔する。金湧でも随一の悪童とされる陽歌に近づきたがる者はいない。
(僕はなんでここに来た? なんで死にたくなかった?)
 現実を苦に自殺する。それはもう当然の様に行われている思考ルーチンだ。だが陽歌は、現実がいかに苦しく、険しいものだとしても死を選ばなかった。むしろ生きようと必死になった。能動的に死ぬのは非常にハードルが高い。
うつ病は治りかけが一番自殺の危険が高いと言われる様に、自殺は相当なエネルギーを要する行いだ。実は疾患等で精神の活性がどん底まで落ちていると逆に自殺しにくく、半端に治っていると自殺『出来てしまう』。高所から身を投げるにしてもホームへ通過電車に合わせて飛び出すにも、その一歩が踏み出せないことが多い。
(その一歩さえ超えてしまえば、後は楽になれるのに?)
 陽歌も試みたことがあるが、その一歩は月に降り立った時の人類が刻んだそれよりも大きい。それ以外の方法は、やれロープを用意して特定の結び方が出来る場所を探すだの、大量の睡眠薬を揃えた上でそれを飲むだの、死ぬために空気が漏れない様に目張りまで丹念にしてから練炭を燃やすだの、妙に手間が掛かる。死ぬだけなのに。
 意外と自殺というのは行程を書きだすと長大になってしまう。しかしそれが死なない理由として適切なのか、陽歌は疑問に思った。確かに飛び降りみたいな手間の掛からない方法は妙に度胸を要求される。逆に死にやすい方法ほど手間を要求される。考えれば考えるほど不思議な話だ。死ぬのにここまでの労力を費やすなど。
(僕はなんで、それをしなかった?)
 手間の掛かる方法が出来ない理由はある。それを用意する費用を持ち合わせていないからだ。そんなものがあるなら、美味しいものをたらふく食べられる。そしてここにある玩具もいくつかは買えるだろう。
(いや、そうじゃない)
 窃盗の常習犯というレッテルを貼られているのなら、死んだあとのことなど考えずに盗めばいい。そうでなくとも死んだ後の名誉まで考える必要があるだろうか。費用の話は、その気なら考えずに済むことなのだ。
 それどころか、陽歌は受動的に死ねる機会がついさっきまであった。だが、実際には生きるのに必死で様々な策を労した。その上で、『このままでは殺される』という今までにない危機感を抱いた。
(僕は……)
 考えが堂々巡りを繰り返す中、店内放送から蛍の光が聞こえてきた。そろそろ閉店だ。その前に行動せねばならない。陽歌は店内のトイレ、その掃除用具入れへ身を隠す。実はこうした場所のトイレに身を潜めたのは初めてではない。その為、隠れる手順を確立していた。
 まず、直に目的であるトイレの個室に隠れるのはNG。未使用なら扉が開く仕組みなので、鍵の有無や扉の開閉で隠れていることが分かってしまう。なので鍵が掛からない、普段は確認しない用具入れにまずは身を隠す。
(よし……)
 そして警備員が去ったことを足音や気配で確認してから個室に移る。こうしないと隠れているのがバレて追い出されてしまう。失敗すれば再度身を寄せる場所を探すのは時間的に困難となってしまうので慎重を極めるが、上手くいけば完全な屋内で身体を休めることが出来る。冬場に姉が癇癪起こして追い出された時の鉄板になりつつあった方法だ。
 洋式便器は椅子の代わりになるので助かる。硬いので座り心地はイマイチだが、床に寝るよりはマシだ。
「さて……」
 陽歌は思考の続きに入る。なぜ死にたくない、なぜ死ねない。その理由が分からない。だいたい死にたくない理由には、何等かの楽しみ、希望が選ばれる。気になるドラマの続き、週刊誌の来週分、それだけで人は生きられるものだ。
 だが、陽歌にはそれもない。テレビのチャンネルは姉と義兄が独占しているので楽しみにしている番組もない。携帯端末を持たないので気になる配信などもない。購入を前提とした漫画雑誌などもってのほか。好物を食べるという欲望も、そもそもが食事にありつけるかどうかという生活故に好き嫌いの概念を持たないのが陽歌だ。
 趣味と言えば読書だが、それは唯一お金を払わなくても学校の図書室や図書館で出来る慰めだからに過ぎない。
「あ……」
 そこでふと、昔の記憶が蘇る。読書を現実逃避の手段にしたのは、決して消去法ではなかったはずだ。それは確か、暑い夏の日だったか寒い冬だったか、いずれにせよいつもの様に家を追い出されてやり過ごす場所を探していた時のこと。
 あまりのみすぼらしさが原因か、それとも席で眠っていたからなのか、そこの職員の不評を買い、責め立てられた。それはいつものことだったが、その日は間に入ってくれた人がいた。それ以来見ていないので、本当にたまたまこの街に来たというだけの人なのだろうか。真相は分からない。
 ただ、その人が言ったのだ。
『死ぬほど学校が嫌なら、図書館に来なさい。勉強とは授業のことだけではない。ここにある本が、君の先生になってくれるよ』
 本は人を差別しない。内容が差別的であったとしても、言葉を読み解く力があればそこに書かれた情報は誰でも得られる。そんなほんの一瞬、偶然の出会いから陽歌は本を読む様になった。
「でもそれって……」
 だがこの記憶は決定的ではない。本を読む様になった理由ではあるだろうが、死にたくない理由ではない。それに、この出会い以前からも本は読んでいた。なにせ、それくらいしか己を慰める手段がないという事実には変わりがないからだ。だからあの日も図書館に足を運んだ。
「そうか」
 決定的に違うのは、あの時初めて誰かから手を差し伸べられたということだ。物心が曖昧で記憶にない養父母を除けば、誰かが味方をしてくれたのが初めてだった様な気がする。あの人物や自分を引き取ってくれた養父母など、半端に人の善性を知ってしまったが為に絶望し切れないのだ。
 一年生の頃にいた友達も、子供なりにあの手この手で自分を助けようとしてくれた。今こうして生きているのも、なんだかんだと助けられていたからなのだ。死にたくないのは、そういう思いを無駄にすると心のどこかで分かっていたからでもあった。
 もしかしたら既に気づいていたことなのかもしれないが、改めて認識できたことは大きい。人というのは、自分のことが一番わからないのだから。
「じゃあ、これからどうしよう……」
 次に湧く疑問は、この先をどうするか。生きる、死にたくない、その理由を見つけたのなら、後は生きる手段を見つけるだけだ。
(まず、この一週間を生き延びよう)
 こういう時は目前の問題から手を付けるのがセオリー。明日すぐに家へ帰ったとして、素直に入れて貰えるとは限らない。最初に言われた通り、一週間外で過ごしておく必要がある。寒さを凌ぐのはこういう方法でいいだろうが、食料をどうするかだ。
 学校に行っても給食を食べさせてもらえるか微妙な部分があった。給食費の滞納が解決されればいいが、そうもいかない。今月分どころか今までの五年分を要求されそうな上、ひと月分を調達することもままならない。
(お金を盗むのはリスクが高すぎる……その上やっと一か月分集めてもそれで終わるの? 集めたら集めたで出処を疑われる……)
 直接金銭を得るより、最低限の食料を盗む方がリスクは低い。それに、食料なら時間さえ見計らえば冬場というのもあって、そこまで悪くなっていない廃棄品を得られる可能性もある。
(よし、これで行こう。でもその後だよね)
 一週間はどうにか出来る目途が立った。だが次は、そこを乗り越えた後にどうするか。あの家で虐待を受けながら暮らしていては、命がいくつあっても足りない。
(どこかに逃げるべきか……、でもどこへ?)
 三十六計逃げるにしかず、と言う様に最善は逃走だろう。が、宛てが無さ過ぎる。学校の教師はこの通り頼れず、児童相談所も機能していないのは友人の活動で発覚した。五年もすれば体制も改善される……と信じたいが失敗した場合がかなりマズイ。家に連絡されて最悪連れ戻されたらどうなるか。
 今まではなんとも思わなかったが、死を実感した現在となっては背筋が凍る思いだ。それに、過去の通報で虐待を否定されてはいそうですかと放置された件もある。悪戯通報だと思われて記録が残っていたら目も当てられない。
(街の外……行けるか?)
 ベストの解は、この金湧市を出てそこで助けを求めること。だがそこでも問題が立ちはだかる。まずこの街は無駄に広い。なのでフラフラ歩いて隣町に行ける可能性はかなり低い。そして何より、出掛けた経験の少なさによる土地勘皆無が課題だ。学校と通学路、その周辺程度なら辛うじて分かるが、街の外までの道筋は分からない。
(あっちを立てればこっちが立たないね)
 陽歌はぼんやりと天井を見た。亀裂の様なものが見えたが、壁紙の劣化か何かだろう。思考を巡らせるエネルギーもそろそろ尽きそうだ。
(あれ? これ僕がなんで逃げようとしてるんだ?)
 そんな時、悪魔の様な発想が脳裏を過った。身体的、精神的な限界を迎えているせいで、元々正常に働いていなかった思考がさらに歯車を違えていく。
(僕が逃げるんじゃなくて、あいつらを追い出せばいいんじゃないか?)
 当の陽歌はそれに気づいていなかった。こうして、彼の生存戦略は固まりつつあった。陽歌に手を差し伸べなかったことが如何なる結末となるか、人々はその身を以って知ることとなる。
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