Dusty Eyes

葉月零

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甘い香り

甘い香り(1)

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 枕元のスマホが鳴ってる。うるせえな、何時だよ……
 手を伸ばして、手探りで、通話をスワイプ。
「はい……辰巳」
「おはよー、寝てた?」
 電話の相手は、御堂だった。
「事件だって、早く来てね。住所おくるねー」
 くっそ、何時だよ……5時か! なんでこんな時間に事件を起こすんだよ!
 体を起こすと、あれ? 隣になんか……
「うう……」
 女か! 誰だこいつ!
「あー、あんた誰?」
 先に言われたか。
「さあな」
「静かにして」
 知らない女はそう言って、毛布に包まって、また寝息をたてる。なんて化粧の濃い女だ、あれ? なんか、まつ毛がずれてないか? あっ! やばい、やばいぞ!
 慌てて自分の服一式を探して、ジャケットの内ポケットを探る。やばい、本気でやばい、アレを無くしたら……
「あ、あった……よかったぁ……」
 思わず呟いて、全裸のままへたり込んだ。命以下、財布以上に大切な、警察手帳。一回失くしてるからな、今度失くしたら、マジでやばいんだよ。あー、目が覚めた。シャワーでも浴びるか。
 しかし、昨日の記憶は一切ない。あの女、誰なんだろう。確か、居酒屋で飯食って、その後、通りすがりのバーに寄って……そこまでは覚えてるんだけど、それ以降の記憶が一切ない。シャワーを浴びて、鏡を見る。そこにいるのは、二日酔いの冴えないオヤジ。はあ、何やってんだろ。髭……まあいいか、どうせ現場だしな、めんどくせえ。
 スーツを着て、財布を出した。このホテル、前払いだったんだろうか。もし後払いなら、金払わないと。わかんねえな、一応、置いとくか。そんなに高いホテルには思えないけど、2万で足りるか?
 部屋に戻ると、女のバッグが投げてある。テーブルに2万を置いて、その上に女のバッグを置いた。これで見逃さないだろう。あー、でも、誤解されるとやばいからな、ホテル代って書いとくか。メモとボールペンは……
「ちょっと、さっきから何やってんの?」
「あー、起こしたかな。これ、ホテル代ね、ここに置いとくから」
「マジでうるさいのよ、静かにして!」
 静かにメモにホテル代、と書いて、静かに部屋を出た。さて、仕事仕事。と、待てよ、俺、ここまでどうやって来たんだろう。そして、ここは……どこなんだろう。スマホのGPSは、ビル街のせいか、くるくる回りっぱなし。どうしたもんか。そうこうしてる間に、また電話がかかってきた。
「まだ? 中ちゃん、めっちゃ機嫌悪いんだけど」
 後ろで、中津の怒鳴り声が聞こえる。
「あのさ、御堂くん……悪いんだけど、迎えにきてもらえないかな」
「ええー、今から? どこにいるの、家?」
「それがさ、わかんなくて……」
「はあ? おまえまたかよ! なんか目印ないの?」
「ホテルの名前ならわかんだけど……」
「ほんといい加減にしろよ! 今から行くから酒抜いて待ってろ」
 くそっ、御堂みたいな軟派野郎に説教くらうとは! しかし、ここは我慢だ。迎えに来てもらわねえとな。

 20分ほどして、御堂が迎えに来てくれた。現場で中津が機嫌が悪いと、ブツブツ言ってる。
「で、また知らない女と寝てたわけ?」
「そうなんだよ、記憶は全然ないんだけどさあ、でも裸だったから、そういうことだと思うんだよね」
「おまえさ、いつか刺されんぜ、絶対」
 御堂は笑って、タバコに火をつけた。
「おい、パトカーは禁煙だ」
「誰も見てないじゃん、そこの灰皿とって」
 全く、灰皿まで設置して、バレたら俺の責任だろう!
「で、何があったわけ」
「なんか、男の変死体。クルマん中で死んでたらしい」
 現場は、国道沿いの、ショッピングモールの駐車場。夜が明けてきて、明るくなりつつある。
「遅い!」
 中津の怒鳴り声が頭に響く。
「悪い悪い、ちょっと手間取ってさ」
「辰巳、酒臭い、また二日酔い?」
「うーん、飲み過ぎたかなあ……で、ガイシャは?」
 中津は思いっきり嫌な顔で、咳払いをした。
「被害者は宮川俊雄、53歳、住所不定。元大阪府警の刑事」
 元刑事か、これが退官後の末路かと思うと、恐ろしい、定年まではなんとかしがみつかねえとな。
「今は何やってるんだよ」
「自称探偵。浮気調査と人探しがメインみたいだね」
 男はハンドルにかぶさるように死んでいる。車の中は異臭がして、思わず口を覆った。
「車上生活者か、ひでえな。死因は?」
「側頭部を殴られたことによる脳挫傷かな。ここで殴られたわけじゃなくて、殴られた後、ここに移動してきて死んだって感じだね」
 汚く伸びた髪をかき分けると、血が滲んでいる。
「2カ所あるな。傷も違う、別の物で殴られたのか」
「なに、二日酔いでも、ちゃんとみてんじゃん。たぶん、2発目の傷が致命傷だね」
「これ、なんだ?」
 髪と血に赤い砂利が混じっている。
「鑑識にまわしてる、それから、船橋が着歴調べてんだけど……遅くて」
「船橋か……」
 俺たちは、顔を見合わせて、ため息をついた。
 中津とは警察学校からの同期で、もう長い付き合いだ。刑事になって、初めて配属された暴対課で同じだった。俺は5年で配属が変わって、捜査一課へ。中津は所轄をまわって、去年からまた同じ班に。現場で鍛えられただけあって、的確な捜査と、迅速な判断、刑事としては、かなり優秀。そして、誰もが忘れてるけど、一応、女だ。
「中津さーん!」
 遠くから、船橋が走ってきた。
「あ、班長、おはようございます!」
 でかい声だな……頭いてえ。
「はい、おはよう、船橋くん、今日も元気だね」
「はい! 班長、携帯電話の通話履歴を調べました!」
「そ、そう、ああ、もうちょっと、声、小さくて大丈夫だから」
 船橋は新卒のキャリア組。最近は、育成にも気を使う。すぐにパワハラだとかなんだとか、うるせえからなあ。
「で、なにがわかったのかな?」
「はい、最後の通話は昨夜23時半ごろです。相手は、野江聡子という女性です」
「野江聡子、オンナか?」
「はい、女性です」
 いや、そうじゃなくて。
「恋人かってことだよ、船橋くん」
 どこに行ってたのか、女と聞くと、すぐに出てくる、御堂。こいつは刑事のくせに、いつも洒落たスーツを着て、女もとっかえひっかえ。捜査一課で15年、ずっと一緒だ。
「えーと、そこまでは……でも契約情報から住所がわかりました」
「よし、じゃあ御堂、あんた行ってきて。辰巳もね」
「えっ、俺? 俺も行くの?」
「御堂ひとりじゃ何するかわかんないでしょ」
 はあ、俺は、女が病的に苦手。プライベートはもちろん、仕事でもダメだ。取り調べも聞き込みも、本当にダメ。俺が唯一まともに話ができるのは、この中津、ただひとり。

「野江聡子ちゃんかあ、絶対美人だ、知的な感じがするなあ」
 運転しながら、御堂はご機嫌だ。どんな女かもわからないのに、なにがそんなに嬉しいのか。
「容疑者にちゃん付けかよ」
「話聞くだけだろ? 容疑者じゃないよ」
 通勤ラッシュが始まったのか、道は混み始めている。御堂も眠気とたたかっているらしく、しきりに話しかけてきて、鬱陶しい。
「昨日の子、どんな子だったの?」
「まつ毛がずれてたな」
「ああ、ツケマだろ? つけまつ毛。まつ毛バサバサ系かあ、俺はあんまりだなあ」
「おまえにも好みがあったんだな」
「まあね、好みはあるけど、基本、18歳以上の可愛い子なら誰でもOK」
 病気だな、マジで。
「一真は、どんな子がタイプなの?」
「別にねえな。普通でいい」
「普通ねえ、地味系ってこと?」
「派手な女よりはいいかもな」
「俺さ、実はめっちゃタイプのイメージがあるんだよね。髪はストレートのロングで、ファッションもメイクも、シンプルな感じ。笑顔がかわいくて、そうだなあ、スキニージーンズとか、さらっと履いてる、スタイルいい子がいいなあ」
「高校生か、お前は。っていうか、まだつかねえのか?」
「そんなイライラすんなって、ハゲてもしらないよ」

 警察官になって25年、刑事になって20年。暴対のころは手柄あげて、ガツガツやってたけど、今はもう、なんでもソツなくこなす、中間管理職。若い頃みたいな熱意もなくなってしまった。フロントガラスにうつる自分を見て、うんざりする。隣の御堂は、大卒だけど、キャリアから外れた現場組だ。歳は2つ上だけど、俺よりずっと若く見える。
「えーと、ここかな」
 着いたのは、閑静な住宅街の中にある、小洒落たマンションだった。デザイナーズマンションってやつか、中から、小洒落たやつらがご出勤だ。
「いいね、こんなとこに住んでるんなんて、絶対イケてる系だよ」
 御堂は喜んでるけど、俺は憂鬱。一番苦手な部類の女だ。
 オートロックのインターホンを押すけど、反応はない。
「もう出かけちまったか」
 もう一度押すと、はい、と女の声がした。
「野江聡子さんですか」
「そうですけど」
 周りを見回して、警察手帳をカメラに向けた。
「辰巳と申します、少し、お話を伺いたいのですが」
 意外にすんなり、女はどうぞ、とオートロックを開けた。
 ウキウキと、エレベーターの中で、御堂は髪をなおして、ネクタイのチェック。ああ、髭、剃ってくりゃよかったなあ。まさかこんなマンションに来るハメになるとは……


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