見知らぬ恋人

葉月零

文字の大きさ
上 下
6 / 14
ふたり暮らし

ふたり暮らし(3)

しおりを挟む
 部屋に戻ると、彼はさっそくビールを開けて、ひとつは私に。
「なっちゃんのこれからに、乾杯」
 私たちは缶ビールで乾杯して、ふうっと息をついた。
「ねえ、今日からここにいるの?」
「うん。あー、車に着替えあったんだわ。持ってくりゃよかったなあ。酔っぱらう前にとりにいかないとな」
 ベッドには新しいシーツと、布団と、マクラがふたつ。なんだか変ね、もう違和感感じなくなってる。
「なっちゃん、好きだよ」
 彼はそう言いながら、私をベッドの上へ。重なった唇から、同じビールの味がする。
「待って、お風呂、お風呂入りたい。汗ダクなの」
「いいじゃん、そんなの気にしないよ」
 それだけじゃない。私、やっぱり体の傷が気になるの。ほんとにもう、痣ないかしら。傷は残ってない? 無理矢理、彼の体から抜け出して、そのままバスルームへ。昨日は全然平気だったのに、どうしちゃったの?
 バスルームの鏡に映る体を隅々まで見てみる。三ヶ月前まであった痣は消えたような気がする、でも、薄く残ってる気もする。どうしよう、彼に指摘されたら、なんていうの? こんなおかしな場所に痣があったら、絶対変に思うよね。DV受けてたなんてわかったら……ひいちゃうよね……
 恐る恐る部屋に戻ると、彼はスマホを触りながら、ビールを飲んでいた。
「なっちゃん、すっぴん?」
 いけない、そうだった! メイク落としちゃった!
「へえ、全然かわいいじゃん! メイクしなくても全然いける」
「そ、そんなわけないでしょ。そんなに見ないで」
 顔を背ける私の濡れた髪を指に巻きつけて、色っぽい、ってささやいた。
「俺も風呂いってくるわ」
「着替えは?」
「さっきとってきた。あ、タオル使うね」
 バスルームからシャワーの音が聞こえて、私は、テーブルの彼のスマホを見つめてる。なにしてたんたろう。ネットみてただけ? ゲームとか、YouTubeとか……誰かと、LINEとか?
 無意識に手が伸びて、スマホに触れた。ダメよ、そういうのダメ! 
 バスルームのドアが開く音がして、慌ててドライヤーをかける。なにもなかった顔で、自分のスマホを見てるふり。
「ふー、スッキリ」
「ちょっと、服着てよ!」
「別にいいじゃん。パンツははいてんだから。安心してください、はいてますよ」
 自分で言って、自分で笑ってる。
「古い、それ」
 そういいながら、年齢を感じさせない引き締まった体に、私はドキドキしてる。どうしよう、ほんとに、タイプじゃないのに、こんなに惹かれちゃうなんて。
「やったげるよ」
 彼はドライヤーを取り上げて、私の髪にあてた。美容室以外で、人に髪を乾かしてもらうなんて初めて。なんだか気持ちいい。体の力が抜けてく感じがする。
「乾いたかな」
「うん、ありがとう。こんなの、初めてしてもらった」
「じゃ、俺も」
 え、乾かせってこと? ま、いいけど。
「髪、意外に長いんだ」
「そう? 伸びてるだけかも」
 確かに、根本は黒くなってて、白髪もちらほら。
「白髪ある」
「そりゃ、46だもん。白髪くらいあるよ」
 46! 年上じゃない!
「もっと若いと思ってた」
「なっちゃん、いくつだっけ」
「43よ。おばさんなの」
「そっか、見えないけど、話してるとさ、落ち着くから、同じ世代かなとは思ってた」
「私のほうが下だし!」
 彼はケラケラ笑って、ドライヤーを止めた。
「歳なんか関係ないよ。なっちゃん、ほんとキレイだし、かわいいもん」
 髪をかきあげる姿にドキっとして、そのまま、熱いキスを交わす。
 新しいマクラは、新しい匂いがして、私たちは、買ったばかりの肌掛け布団の上にもつれこんだ。
「大事にするから、なっちゃん」
 目を閉じると、耳元で彼の熱い息が聞こえる。今、Tシャツがめくれてる、どうしよう、痣、大丈夫かな。彼の固くて、熱い体を皮膚で感じながら、けんちゃんとは違う人と、セックスをしようとしている。ほんとに、サヨナラなんだ、けんちゃん、私、この人のこと、好きになるね。
 彼の唇と顎髭が、胸元まできて、ふと、彼が、あ、と言った。まさか、痣が残ってたの?
「ど、どうしたの?」
「いや……なんでもないよ」
 彼は優しく笑って、唇を胸元へ。でも、私はもう、そんな気になれない。
「なに、言ってよ」
「いや、その……ゴム買うの忘れたなって……」
「嘘よ、ねえ、私の体見て、何か思ったでしょ? ほんとのこと言ってよ!」
「なっちゃん、落ち着いて。どうしたんだよ」
 わからない、また吐き気が……手が震える、足も……
 トイレに駆け込んだけど、やっぱりなにも吐けない。私、どうしてしまったの? あんなに優しい彼なのに、どうして?
 トイレのドアを開けると、彼が目の前に立っていて、なにも言わないまま、優しく抱きしめてくれた。
「今日はもう寝ようか。明日から仕事だろ?」
 彼の胸の中で、涙が溢れてくる。
「ごめん、俺、焦りすぎたね。なっちゃんが許してくれるまで、待ってるから」
「そ、そうじゃないの……」
「泣かないで、さ、明日何時? アラームかけないとな」

 翌朝、目が覚めると、彼はまだ軽くイビキをかいて眠っていた。直にアラームが鳴り出して、彼もうーん、と目を覚ました。
「あー、よく寝たー。おはよ、なっちゃん」
「おはよう……義人」
 まだ、なんかなれないのよね、こう呼ぶの。
「布団で寝たの久しぶりだよ。俺の部屋、布団なくてさ」
「どうやって寝てるの?」
「寝袋。あんまり寝心地よくない」
 彼は笑って、軽くキスをくれた。
「準備するね。寝てていいよ」
「そんなわけにいかないよ。なっちゃんの東京初出勤だからね、ちゃんと見送らないと」
 って、あなたは仕事、行かないの? ルポライターって、どういう勤務形態なのかしら。
「スーツ、どれにしようかな」
 初出勤だし、紺が無難よね。
「それ? ダメだよ、もっとインパクトあるやつにしないと、なめなられるよ」
 インパクトって……まあ、そうよね。大阪から来たってだけで、バカにされそうだもん。
「その白いのは?」
「このジャケット? 仕事には着たことないよ」
「いいじゃん、かっこいい。下は、その右の黒いスカートがいいな」
「え、こんなタイトなスカート? スリットもかなり深いよ」
「それくらいビシッときめないと、東京のやつは見た目で判断するからな」
 なるほど、そんなもんなのね。
 服は決まったから、メイクしないと。仕事の時はちょっと濃いめ。アイメイクもしっかりしてと。リップは、ベージュが落ち着いてていいわね。服が派手だもん。
「おいおい、その色、なんか地味じゃね?」
「そう? 仕事の時はだいたいこれよ」
「うーんと、これがいいな」
 彼が選んだのは一番赤いリップ。けんちゃんに派手すぎるって怒られたから、一度しかつけたことない。
「派手すぎるよ」
「それくらいがいいんだよ。うん、いい。めっちゃ色っぽい。あー、キスしたいなあ」
 似合ってるのかな? 自分ではわかんないけど、彼がいいって言ってくれるなら。今日から違う自分になるんだもん。これくらい派手にしてもいいよね。
 髪はアップにまとめて、スーツに合うように。ストッキングを履いて、彼の選んだジャケットとスカートを着て。鏡に映った自分は、なんだか別人みたい。
「うわ! ちょっと……」
「やっぱりダメ?」
「いい女すぎて心配になってきた!」
 もう、なにそれ。思わず笑っちゃう。
「かっこいいなあ。あれ、なっちゃんの仕事って、なんだっけ」
「結婚相談所のカウンセラーよ。店長なの」
「店長! すげえ、なっちゃん、キャリアウーマンじゃん!」
 少し早いけど、遅刻するよりはいいよね。
「そろそろ行くね」
「えっ、もう? ちょっと待って。これ、つけてって」
 彼は耳からダイヤのピアスを外して、私の耳につけてくれた。
「これつけてたら、大丈夫だから。俺のお守り」
「大切なものなのに、いいの?」
「うん、なっちゃんのことも守ってほしいから」
 ほんとに、優しいのね。思わず、彼の胸に飛び込んで、軽く、キスなんてしちゃった。
「いってきます」
「うん、がんばれよ、なんかあったらいつでも電話して」
 梅雨だっていうのに、雨なんて全然降る気配もない。強い日差しに、日傘がいったなあ、なんて考えながら、私は駅の改札に入った。電車の窓ガラスに映る耳には、ダイヤが光ってる。今日からここを行くのね。今日から、何もかも新しくなるのね。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】聖女の手を取り婚約者が消えて二年。私は別の人の妻になっていた。

文月ゆうり
恋愛
レティシアナは姫だ。 父王に一番愛される姫。 ゆえに妬まれることが多く、それを憂いた父王により早くに婚約を結ぶことになった。 優しく、頼れる婚約者はレティシアナの英雄だ。 しかし、彼は居なくなった。 聖女と呼ばれる少女と一緒に、行方を眩ませたのだ。 そして、二年後。 レティシアナは、大国の王の妻となっていた。 ※主人公は、戦えるような存在ではありません。戦えて、強い主人公が好きな方には合わない可能性があります。 小説家になろうにも投稿しています。 エールありがとうございます!

帰らなければ良かった

jun
恋愛
ファルコン騎士団のシシリー・フォードが帰宅すると、婚約者で同じファルコン騎士団の副隊長のブライアン・ハワードが、ベッドで寝ていた…女と裸で。 傷付いたシシリーと傷付けたブライアン… 何故ブライアンは溺愛していたシシリーを裏切ったのか。 *性被害、レイプなどの言葉が出てきます。 気になる方はお避け下さい。 ・8/1 長編に変更しました。 ・8/16 本編完結しました。

冷血弁護士と契約結婚したら、極上の溺愛を注がれています

朱音ゆうひ
恋愛
恋人に浮気された果絵は、弁護士・颯斗に契約結婚を持ちかけられる。 颯斗は美男子で超ハイスペックだが、冷血弁護士と呼ばれている。 結婚してみると超一方的な溺愛が始まり…… 「俺は君のことを愛すが、愛されなくても構わない」 冷血サイコパス弁護士x健気ワーキング大人女子が契約結婚を元に両片想いになり、最終的に両想いになるストーリーです。 別サイトにも投稿しています(https://www.berrys-cafe.jp/book/n1726839)

【完結】一夜の関係を結んだ相手の正体はスパダリヤクザでした~甘い執着で離してくれません!~

中山紡希
恋愛
ある出来事をキッカケに出会った容姿端麗な男の魅力に抗えず、一夜の関係を結んだ萌音。 翌朝目を覚ますと「俺の嫁になれ」と言い寄られる。 けれど、その上半身には昨晩は気付かなかった刺青が彫られていて……。 「久我組の若頭だ」 一夜の関係を結んだ相手は……ヤクザでした。 ※R18 ※性的描写ありますのでご注意ください

ヤクザの若頭は、年の離れた婚約者が可愛くて仕方がない

絹乃
恋愛
ヤクザの若頭の花隈(はなくま)には、婚約者がいる。十七歳下の少女で組長の一人娘である月葉(つきは)だ。保護者代わりの花隈は月葉のことをとても可愛がっているが、もちろん恋ではない。強面ヤクザと年の離れたお嬢さまの、恋に発展する前の、もどかしくドキドキするお話。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

夫の不貞現場を目撃してしまいました

秋月乃衣
恋愛
伯爵夫人ミレーユは、夫との間に子供が授からないまま、閨を共にしなくなって一年。 何故か夫から閨を拒否されてしまっているが、理由が分からない。 そんな時に夜会中の庭園で、夫と未亡人のマデリーンが、情事に耽っている場面を目撃してしまう。 なろう様でも掲載しております。

処理中です...