見知らぬ恋人

葉月零

文字の大きさ
上 下
3 / 14
非タイプ

非タイプ(3)

しおりを挟む
 あの日からもう三ヶ月。体中にあった痣も消えて、痛みと戦うこともなくなった。
「名前、聞いていい?」
 ああ、そうだ。私、新幹線に乗ってたんだ。
「俺、藤岡……藤岡義人」
 少し声を落として、彼は名刺を出した。
「へえ、ルポライター! かっこいい」
「昔は新聞社に勤めてたんだけど、やめちゃってさ。今はフリーで気楽にやってる」
 人は見た目によらないものね。物書きさんには見えないけど。
「森宮奈都です」
「ナツ? どんな字書くの?」
「奈良の奈に、都。奈良出身なの。親が郷土愛強くて」
「なるほどね、いい名前だ。ところでさ、なっちゃん、横浜着いたらなんか予定あるの?」
 なっちゃん! ほんと慣れ慣れしいんだから。
「別にないわ、ホテルで寝るだけ」
「じゃ、メシでもどう? うまい店あるから、案内するよ」
 まあ、ホテルでコンビニでなんか買って食べるくらいだし……なんか楽しいし、行ってみてもいいかな。名刺まで出してるんだから、変な人じゃないでしょ。
「そうね、お願いします」
「やった、何が好き? 中華とか、イタリアンとか、なんでもいいよ、食べたいものいいなよ」
「藤岡さんのオススメで」
「俺のオススメ? ならいい店あんだよ。取材で行った店なんだけどさ……」

 そういえば、最後にけんちゃんと外でご飯食べたの、いつだろう。彼は和食が好きで、料亭とか割烹とか、なんか高そうなお店に連れて行ってもらったっけ。あんまり味がしなくて、気を使うだけだったけど。

「さ、着いたよ」
 新横浜について、大きなスーツケースを軽々と運んでくれる。
「すみません、重いでしょ」
「大丈夫、これでも鍛えてるから」
 彼のオススメのお店は、アジアの創作料理で、食べたことのないものがたくさん出てきた。おいしい、とはいえないけど、店の雰囲気もよくて、堅苦しくなくて、私はすっかり楽しんでる。
「なっちゃん、酒、いける?」
「そんなに強くないけど、もう少し飲みたいかな」
 なんて、年甲斐もなく、甘えちゃった。
「それじゃ、次行こうか」
 彼は右手にスーツケースを引いて、左手で私の手を握った。私もなんとなく、彼に身を預けて、私たちは夜の街を、手を繋いで歩いている。
 連れてきてくれたショットバーは、さっきの店と違って、落ち着いた感じ。薄暗い照明に、お香の香り。なんだか、若い時に戻ったみたい。
「何飲む?」
「そうね、じゃあ、スプモーニ」
「スプモーニと、俺は、バーボン、ロックで」
 軽くグラスを合わせて、彼は私の顔をじっとみてる。さっきまであんなにオシャベリだったのに、なんかドキドキするじゃない。
「かわいいな、なっちゃん、俺のタイプ」
「からかわないでって言ってるじゃない」
「マジでいってんだけどなあ。ねえ、カレシいるの?」
 カレシ……か。
「いないわ。あなたは?」
 冷静を装ったけど、内心、ちょっとドキドキしてる。いたって、別にいいんだけど。タイプじゃないし、こんな遊び人、絶対ダメだし。
「いないんだよなあ、ねえ、なっちゃん、俺のカノジョになってよ」
「何言ってるの」
 なんて余裕のあるフリしたけど、ほっとしてる自分がいたりして。
 ネクタイをはずして、少し緩んだ首元から、チラチラ、鎖骨が見える。ごつごつした彼の男っぽい体つきは、シャツの下からうっすら見えるよう。どうせ遊びよね、もう会うこともないだろうし、誘ってみる?
「今日このホテルに泊まるの、場所わかる?」
 スマホを覗き込む彼のうなじから、香水とちょっと汗の匂いがして、けんちゃんとは違う色気に、クラっときてる。
「ああ、ここね、わかるわかる。歩いてもいける距離だ」
「ちょっと酔ったかなあ、眠くなってきちゃった」
 うーん、わざとらしかったかな? 彼は私の髪を撫でて、立ち上がった。
「送っていくよ」
 さっきよりずっと、私は彼に体を寄せて、彼は私の手をぎゅって握る。側から見たら、恋人同士かな? おじさんとおばさんだけど、仲良さそうに見えるかな? 無口になった彼は、時々私の方を見て、目が合うたびに微笑んでくれる。
 チェックインを済ませて、スーツケースを部屋に入れてくれた。
「あー、疲れた」
 無造作にベットに身を投げた私。オトナだもん、誘ってるの、わかるよね?
「そうだ、なっちゃん、連絡先教えてよ。またメシ行こうぜ」
 彼は、鏡台の椅子に座って、スマホを取り出した。
「え、ええ、いいわ」
 電話番号を交換して、登録してる。もうそんなことどうでもいい。早く、お酒はいってないと、私、こういうことできないんだから!
「登録完了っと。じゃ、帰るわ」
「え? 帰っちゃうの?」
「疲れてんだろ? ゆっくり休みなよ」
 嘘、冗談でしょ。自分で言うのもなんだけど、歳の割にはキレイなはずよ? まあ、そりゃ、40超えたおばさんだけど……あんなにタイプだなんだと言ってたじゃない!
「おやすみ、なっちゃん。また連絡するわ」
 信じられない。なに、ふられたわけ? なんで、なんでよ!
「なによ、意気地なし! バーカ!」
 閉まったドアに向かって大声出したら、隣の部屋から壁がどんどんと鳴った。
「あ、すみません……」
 壁に向かって謝って、ジーンズを脱いだ。
「もうねよっかな」
 まったく、私ってつくづくダメね。何人も結婚させてきたのに、自分は全然うまくいかない。若い頃は恋人もとっかえひっかえ、結婚なんかそのうちって思ってたけど、30になった頃、勤めていた保険会社が外資に買収されて、適当に仕事してた営業の私は、すぐにリストラされてしまった。そのあと、結婚相談所に転職して、気がついたら35を超えて、恋人もできなくなって、不倫。43になって、私ももう結婚は諦めようと、東京行きを決めた。本店で成績上げて、稼ぎまくってれば、ひとりでも老後は大丈夫でしょって。
「だからといってよ。ワンナイトまでふられるなんて」
 ふうとため息をついて、服を脱ごうとしたとき、電話が鳴った。見覚えのある番号。これって……どうしよう、出るべき?
 迷っている間に、コールがきれて、もう一度鳴り始めた。
「……はい」
 電話の向こうから、久しぶりの声が聞こえる。
「奈都?」
「うん。けんちゃん」
「東京、もういったんか」
 彼の声は落ち着いていて、出会ったころの、優しいトーンだった。
「今、横浜。明日引っ越しなの」
「そうか。元気か?」
「元気よ、けんちゃんは?」
「相変わらずや。秋ごろにそっちで学会があるから、会えたら会おうか」
 答えにつまる私に、彼はすこし気まずそうに言った。
「悪かったと思ってる。奈都には、酷いことしてたって。許してくれとは言わん。でもな、奈都がおらんようになって、おまえの存在が、なんていうか……大事にせなあかんかったのにな……」
 彼は声を少し詰まらせて、鼻を啜った。
「ごめん、よかったらな、考えといてくれ」
「うん、わかった」
 あの人が、泣くなんて……やっぱり優しい人なのよ。きっと、彼もいろいろあって疲れてたのね。秋か、その頃には私もこっちの生活に慣れてるかな。
「さてと、お風呂お風呂」
 下着をとろうとして、え、また電話? 今度は誰?
「あー、なっちゃん! 寝てた?」
 この人か。もう、なんなの?
「今日はありがとうございました。美味しかったです」
「おいおい、そんなビジネスライクな言い方すんなよ」
 ふったくせに、なに言ってるのよ。
「ところで、何か用?」
「言い忘れたんだけど、明日引っ越しだろ? 手伝うよ」
「いい、悪いわ。業者さんに頼んでるから大丈夫よ」
「遠慮すんなって、何時? 迎えにいくわ」
「11時までにはつきたいから、9時ぐらいに出るつもりよ」
「オッケー、9時ね! ロビーで待ってて、じゃ、おやすみ」
「ちょっと、そんな……」
 一方的に電話は切れて、暗くなった画面を眺める。なんて強引な人なの! 勝手に決めるなんて! まあ、どうせこないでしょ、酔ってたみたいだし。
「お風呂は明日でいっか。もう疲れた」
 下着のままベッドに倒れて、ああ、意識が……これから大丈夫なのかしら、私、ほんとに……
しおりを挟む

処理中です...