上 下
72 / 88

72『魔女の秘伝』の書

しおりを挟む
 エマはミルクピッチャーを手に取ると左手で口元を隠し囁いた。
 いまはテーブルの長さがありがたかった。
 ルーンを唱えるエマの声は絶対に聞こえないだろう。

 ちなみに、読み取ったシロップの中身はスイモアなどと可愛らしいものではなかった。
 エマを殺す気満々の内容だった。ご丁寧にヘビの毒まで混ぜてある。

(念のために動物由来の毒を混ぜたのね…)

 皇太后はまっすぐとエマの方を向いている。この威厳ある人がこんな姑息な嘘をつくようには思えなかった。
 ホージ侯爵はエマに目もくれず自分の紅茶をすすっているが、その悠然とした態度がかえって違和感たっぷりだ。
 それに『問題点を潰す』と言っていた。

 この毒はきっと侯爵の仕業だ。
 今エマが死んだとしたら、毒をすすめた皇太后が公然とエマを毒殺したことになる。

 マリアンヌはというと、絶対的な安全圏から見せ物でも見るような顔をしている。

(彼女はこの毒のことを知ってるの?
それにしても…何なのこの無邪気さ!あー腹立つ!)

 エマはカップの紅茶にシロップ全てを垂らしスプーンでかき混ぜる。
 ゆっくりとスプーンでルーンをかき、そしてティーカップの縁で雫をきって引き上げた。
 大きく息をはき、カップを持ち上げる。

(『魔女』探しはやっぱりルイス王子との結婚が目的か…。これを飲んでルイス王子と結婚するつもりなんてさらさらないけど…やっぱり悔しいじゃない。魔女ドリスの跡を継いだ『魔女』は私なのに、こんな卑怯な人たちの前で証明しないっていうのはっ!)

「エマッ!止めろ!」

 ジークヴァルトが声をあげるが、エマは紅茶をゆっくりと飲み干した。

 勢いで置いた空のカップと皿がカシャンと高い音を響かせた。

「んんっ、ん、」

「エマッ!!」

 ジークヴァルトが椅子を倒して駆け寄りエマを抱き込むが、手で口を抑えたエマはされるがままになっていた。

 応える余裕がなかった。

 たっぷり入れたシロップの絡みつくような甘ったるさといろいろ混ざった変な味で自然と眉間に皺が寄り、口の中の気持ち悪さが尋常じゃない。

「…甘っま、不味まっずっ」

(植物毒でヘビ毒を相殺したのはいいけど、もっと味を調整するんだった!)

「こ、こんなことあるはずがない!」

 何も起こらないことに一番反応したのは、やはりホージ侯爵だった。

「トリックだ、この娘の仕組んだトリックだっ!」

 予想なら、エマは殺人級の劇薬を飲んで今ごろ悶え苦しんでいるはずなのだから。

 怒鳴りながら立ち上がりエマを指差す。

「毒を消しただと?!
あり得ない!どんな手を使った!
ああそうだ、卑しく下賤な者は人の物をスリとる手技に長けていると聞く。
すりかえたのだな?
そうなのだろう!
こうなることを見越してあらかじめ用意していたのだな!」

 言っていることがめちゃくちゃだ。

「何という計算高い恐ろしい女だ!
田舎娘が『魔女』だと言い張ってスルスルとこんなところまで入り込んでいることが証拠ではないかっ!
お前はあの村に来る前はどこで何をしていた?
さぞ、人には言えん辛酸を舐め生きる術を身につけたんだろ!
今まで何人を騙し何人に取り入った!」

 ダンッ!!

 ジークヴァルトがテーブルを叩きつけ、侯爵の口撃こうげきを遮った。

「皇太后様っ!どのようにお考えでしょうかっ!」

 ジークヴァルトがエマをかばいながら、怒りをあらわに皇太后へたずねるが、さえぎられ無視されたホージ侯爵がジークヴァルトに噛みつく。

「こうなったら確たる証拠を見せてもらおうではないかっ!お前たちはあの本を持っているのだろうな!」

 ジークヴァルトが冷たい視線だけをホージ侯爵に向け、

「あの本…『魔女の秘伝レシピ』などというものは作り物だと彼女は言っている」

と、冷静に答えると、ホージ侯爵は「はっ!次はそうきたか!」と吐き捨て、

「皇太后様、私は示された場所でこのマリアンヌとあの本を見つけたのです!」

と助けを求めた。 

 成り行きを静かにみていた皇太后は、不機嫌にため息をついた。

「侯爵…落ち着きなさい。
だが、品物をすり替えるという手品もあることだし、侯爵が納得できない気持ちもわかるかしら」

 これにはさすがにルイス王子も黙っていなかった。

「皇太后っ!毒をあおらせておいて効かなければ納得できないとはっ!
いい加減にして頂きたいっ!」

 だが、この抗議に皇太后は

「まあまあ、お前が私に声を荒げるなんて姿初めてみたわ」

と大げさに驚き、ホホホと笑った。
 そんな態度に気色けしきばんだルイス王子が口を開こうとすると、皇太后はこう提案した。

「ルイス、これで終わりにしましょう。
あの本、この娘は読めるかしら?」


✳︎

 皇太后の命令でそれはすぐに運ばれてきた。
 侍従が文箱のような木箱をエマの前にうやうやしく置く。

 この世界のどの言語でもなく、誰にも読めない『魔女の秘伝』。
 ついにこの場に引っ張り出せた。

 エマがジークヴァルトとルイス王子に希望したのは、コレをみること。
 皇太后とホージ侯爵たちの管理下にあるためチャンスはこの場しかない。

 ジークヴァルトに聞いた文字の特徴は、直線だけではなく曲線も多く使われているらしい。
 ルーン文字の特徴は木や石などに刻み付けやすい直線的な形だ。
 だから可能性は低いが、エマが自分の目で確かめなければならない。

 もしも、ルーン文字で書かれていればこの世に残してはならない。
 なんとしても本を灰にしなければ!

 以前ジークヴァルトに「読め」と言われた場合どうするのか聞かれたが、エマは「考えがあるので任せて下さい」と自信の満ちた目で答えてみせた。

 答えは簡単。
 ルーン文字で書かれた書物ならーーーペンダントにある薬でこの場の全員を昏睡させて本を奪って逃げる。

(幸いここはコンサバトリー。
味方になってくれそうな植物もたくさんある。)

 そして、それ以外の文字で書かれていればーーー

(はっきり言って無計画ノープラン
覚えてる調合のレシピを適当に言って読んでるフリでもする?
どうせ誰にも読めないんだし。
どうにもならなくなったら、やっぱり逃げる!
毒草の密売もあの薬のこともジークヴァルト様たちがきちんと正してくれるはず………私がいなくなっても。)

 傍らに立つジークヴァルトの存在を感じながらそう思った。

 固唾を飲み蓋に手をかけそっと持ち上げると、中には冊子が入っていた。
 少し古さを感じた。
 表紙には厚めの紺色の紙が使われていて、題名も何も書かれていない。

 蓋を箱の横にそっと置き、いよいよ冊子を手に取る。
 厚さは30~40ページほどだろうか、大きさはB5サイズくらいだ。

 右手にのせて左手の指先で表紙をめくった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『完結』人見知りするけど 異世界で 何 しようかな?

カヨワイさつき
恋愛
51歳の 桜 こころ。人見知りが 激しい為 、独身。 ボランティアの清掃中、車にひかれそうな女の子を 助けようとして、事故死。 その女の子は、神様だったらしく、お詫びに異世界を選べるとの事だけど、どーしよう。 魔法の世界で、色々と不器用な方達のお話。

白い結婚を言い渡されたお飾り妻ですが、ダンジョン攻略に励んでいます

時岡継美
ファンタジー
 初夜に旦那様から「白い結婚」を言い渡され、お飾り妻としての生活が始まったヴィクトリアのライフワークはなんとダンジョンの攻略だった。  侯爵夫人として最低限の仕事をする傍ら、旦那様にも使用人たちにも内緒でダンジョンのラスボス戦に向けて準備を進めている。  しかし実は旦那様にも何やら秘密があるようで……?  他サイトでは「お飾り妻の趣味はダンジョン攻略です」のタイトルで公開している作品を加筆修正しております。  誤字脱字報告ありがとうございます!

悪役令嬢はお断りです

あみにあ
恋愛
あの日、初めて王子を見た瞬間、私は全てを思い出した。 この世界が前世で大好きだった小説と類似している事実を————。 その小説は王子と侍女との切ない恋物語。 そして私はというと……小説に登場する悪役令嬢だった。 侍女に執拗な虐めを繰り返し、最後は断罪されてしまう哀れな令嬢。 このまま進めば断罪コースは確定。 寒い牢屋で孤独に過ごすなんて、そんなの嫌だ。 何とかしないと。 でもせっかく大好きだった小説のストーリー……王子から離れ見られないのは悲しい。 そう思い飛び出した言葉が、王子の護衛騎士へ志願することだった。 剣も持ったことのない温室育ちの令嬢が 女の騎士がいないこの世界で、初の女騎士になるべく奮闘していきます。 そんな小説の世界に転生した令嬢の恋物語。 ●表紙イラスト:San+様(Twitterアカウント@San_plus_) ●毎日21時更新(サクサク進みます) ●全四部構成:133話完結+おまけ(2021年4月2日 21時完結)  (第一章16話完結/第二章44話完結/第三章78話完結/第四章133話で完結)。

【完結】聖女の私を処刑できると思いました?ふふ、残念でした♪

鈴菜
恋愛
あらゆる傷と病を癒やし、呪いを祓う能力を持つリュミエラは聖女として崇められ、来年の春には第一王子と結婚する筈だった。 「偽聖女リュミエラ、お前を処刑する!」 だが、そんな未来は突然崩壊する。王子が真実の愛に目覚め、リュミエラは聖女の力を失い、代わりに妹が真の聖女として現れたのだ。 濡れ衣を着せられ、あれよあれよと処刑台に立たされたリュミエラは絶対絶命かに思われたが… 「残念でした♪処刑なんてされてあげません。」

追放された薬師は騎士と王子に溺愛される 薬を作るしか能がないのに、騎士団の皆さんが離してくれません!

沙寺絃
ファンタジー
唯一の肉親の母と死に別れ、田舎から王都にやってきて2年半。これまで薬師としてパーティーに尽くしてきた16歳の少女リゼットは、ある日突然追放を言い渡される。 「リゼット、お前はクビだ。お前がいるせいで俺たちはSランクパーティーになれないんだ。明日から俺たちに近付くんじゃないぞ、このお荷物が!」 Sランクパーティーを目指す仲間から、薬作りしかできないリゼットは疫病神扱いされ追放されてしまう。 さらにタイミングの悪いことに、下宿先の宿代が値上がりする。節約の為ダンジョンへ採取に出ると、魔物討伐任務中の王国騎士団と出くわした。 毒を受けた騎士団はリゼットの作る解毒薬に助けられる。そして最新の解析装置によると、リゼットは冒険者としてはFランクだが【調合師】としてはSSSランクだったと判明。騎士団はリゼットに感謝して、専属薬師として雇うことに決める。 騎士団で認められ、才能を開花させていくリゼット。一方でリゼットを追放したパーティーでは、クエストが失敗続き。連携も取りにくくなり、雲行きが怪しくなり始めていた――。

あなたに忘れられない人がいても――公爵家のご令息と契約結婚する運びとなりました!――

おうぎまちこ(あきたこまち)
恋愛
※1/1アメリアとシャーロックの長女ルイーズの恋物語「【R18】犬猿の仲の幼馴染は嘘の婚約者」が完結しましたので、ルイーズ誕生のエピソードを追加しています。 ※R18版はムーンライトノベルス様にございます。本作品は、同名作品からR18箇所をR15表現に抑え、加筆修正したものになります。R15に※、ムーンライト様にはR18後日談2話あり。  元は令嬢だったが、現在はお針子として働くアメリア。彼女はある日突然、公爵家の三男シャーロックに求婚される。ナイトの称号を持つ元軍人の彼は、社交界で浮名を流す有名な人物だ。  破産寸前だった父は、彼の申し出を二つ返事で受け入れてしまい、アメリアはシャーロックと婚約することに。  だが、シャーロック本人からは、愛があって求婚したわけではないと言われてしまう。とは言え、なんだかんだで優しくて溺愛してくる彼に、だんだんと心惹かれていくアメリア。  初夜以外では手をつけられずに悩んでいたある時、自分とよく似た女性マーガレットとシャーロックが仲睦まじく映る写真を見つけてしまい――? 「私は彼女の代わりなの――? それとも――」  昔失くした恋人を忘れられない青年と、元気と健康が取り柄の元令嬢が、契約結婚を通して愛を育んでいく物語。 ※全13話(1話を2〜4分割して投稿)

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

三年目の離縁、「白い結婚」を申し立てます! 幼な妻のたった一度の反撃

紫月 由良
恋愛
【書籍化】5月30日発行されました。イラストは天城望先生です。 【本編】十三歳で政略のために婚姻を結んだエミリアは、夫に顧みられない日々を過ごす。夫の好みは肉感的で色香漂う大人の女性。子供のエミリアはお呼びではなかった。ある日、参加した夜会で、夫が愛人に対して、妻を襲わせた上でそれを浮気とし家から追い出すと、楽しそうに言ってるのを聞いてしまう。エミリアは孤児院への慰問や教会への寄付で培った人脈を味方に、婚姻無効を申し立て、夫の非を詳らかにする。従順(見かけだけ)妻の、夫への最初で最後の反撃に出る。

処理中です...