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43覚悟

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 遠慮するエマをまた強引に馬車に乗せ必ず店まで送るようにと御者に命じた。そして、公爵家の玄関を正門へ向けて出発した馬車が、邸内に植わる木々で見えなくなるまで見送った。

 ジークヴァルトは、再び読書棟へ戻るとソファに深く腰を掛けた。
 ふとエマのティーカップが目に入りローテーブルの向かい側に手を伸ばすと、それを手に取る。両手で包み込むと、自然と口角が上がった。

(謝罪できてよかった。)

 優しいエマなら真摯に謝罪すれば受け入れてもらえるという期待はあったが、あんなに緊張し、相手の反応が怖いと思ったのは初めてではないだろうか。
 そして、ゆるして欲しいと言ったジークヴァルトにエマがただうなずいただけなのに、それをみた途端にあんなに胸につかえていたものがすっと消え去り軽くなった。
 人の心はなんと複雑で単純なのか。

(あの本屋で会えたのは幸運だった。)

 エマを見つけた時の胸の高鳴りは、彼女に対する特別な気持ちをもう誤魔化しようがなかった。

 誤解という濃い霧が晴れてしまえば、今まで見ようとしなかった自身の気持ちが鮮明に目の前に広がった。
 結局のところきっかけはいつからだと問われれば、春の舞踏会で彼女を初めて見たときからだと素直に認めるしかない。

 頬が熱を持つのを感じ、ティーカップを持つ手に力がこもる。
 今になって心臓が苦しいほどに大きく脈動し、頬はますます熱くなる。
 エマに対する自分の想いに気づいてしまった。気づいてしまえば落ちるのは一瞬だ。

(背に回した手が思いがけずエマの髪に触れたときは危なかった。)

 指を髪に差し込み肩を引き寄せ抱きしめたい衝動をおしこめるのに手が少し震えていたかも知れないと思うと、そんな無様な姿をしていた自分に苦笑した。

 だが、

(それにしても…)

と、考えるのはエマが『植物図鑑』に興味があると言ったこと。

 どうしてそんなものに興味があるのかと何気なく話を振ってみたが、当然無難な答えしか返ってこなかった。

 エマに魔女については何も聞けなかった。
 何の後見こうけんもない魔女が自分の身分を明かすことがどれほど危険なことなのか彼女は充分わかっているのだろう。

(いまの俺との関係では、彼女が俺に真実を明かし頼ってくれるはずはない。
逆に、こちらからそのことを口にすることは彼女を警戒させ、今の関係でさえ壊れることも充分ありえる。
わずかでもそんな可能性があるならば、やはり、このまま何も明らかにせず…、誰にも、エマにもえて口にするべきではない)

 そんなことを考えてしまうほど、二人だけの時間を持てたことはジークヴァルトにとって得難えがたく、次の機会を期待してしまうものだった。

 エマとの会話は、読んだ本の話に終始したが気負いがなくとても自然でざっくばらんで、それでいて要点がまとまり、機知きちに富んだもので好感はどんどん増していった。

 そして、それはエマが紅茶を淹れ直している時だった。
 最初は、手際の良い手元に目がいった。
 仕事のために爪の先は短く切られていたが、健康的な艶があった。丁寧に繊細な茶器を扱う指は細く長く、その所作をとても上品だと思った。
 視線をあげれば、夏服からすらりと伸びるたおやかな腕。さらに白い首すじに伝う一筋の汗。その汗が首元の白いえりに向かって伝い流れた。
 それを目にした途端、ジークヴァルトは強烈にエマを女性として意識した。

 すると、急にエマの周りの男たちのことが気になった。
 ロイのことを聞いたとき、ロイが好きだと言われ頭の中が真っ白になった。だが、すぐに兄のようだと言われると途端に力が抜けた。エマの些細な一言に翻弄される自分に可笑しくなった。
 アルベルトがエマに全く意識されていないことには失笑しそうになり、では自分のことはどうかと聞こうとしたが勇気がなかった。
 だが、呼び名はどうしても訂正したかった。
 どうでもいいアルベルトが名前で呼ばれているのが余計にジークヴァルトを刺激したーーー


ジークヴァルトは、覚悟を決める。

足搔あがいてみるか…)

 皇太后の占いがたがえたことは今まで一つもない。

 だが、エマがルイス王子にも他の誰にもかれていないのであれば、謁見ので初めて会った時のようなエマからの好意を取り戻せるよう足掻いてみようとジークヴァルトは思った。

(あとの面倒ごとはそれからだ。まずは、エマをこのまま市井に放置しておくことは気が気でない。何か理由を付けて早急に警備をしなければ。)

 ジークヴァルトがそう思う気掛かりが二つあった。

(いま世間に出回っている、あの・・植物。
エマならあの植物と出会う可能性があるかも知れない。知れば彼女は必ず調べようとするだろう。そうなれば無用な危険に巻き込んでしまう。
そして、ホージ侯爵の動向…)

 ジークヴァルトは、両手の中にあるエマのティーカップをじっと見つめ優しくひとぜすると静かに皿に戻し、読書棟を出た。
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