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少年期 少年の進路編
(64)待つ者の苦しさ(side:ドロシー)
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「皆さん、ご安心ください。魔獣の討伐にはムイロ様への助勢として王都でも指折り槍使いフィンが向かいました。またこちらの公民館にあっては及ばずながら魔術教練士の資格を持っております私ドロシーが防衛に当たりますのでどうか心穏やかに。続く避難者の保護と誘導とを何卒よろしくお願い申し上げます」
先ほどまで明るかった雰囲気も鏑矢の音と続く警鐘の音とにすっかり霧散されてしまっていた。気安く笑っていた者もはしゃいでいた子供も一様に不安げな様子であった。
この場にいる人々に対して「安心してください」という言葉がどれほど無意味なものであるか、既に喪失を先にしている方々の心を安んじうるには自分の言葉ではあまりにも無力であった。
婦人らは即座に館内から木戸を閉じて閂をかけ、部屋は蝋燭の灯りを頼りにするばかりである。ドロシーは灯火の魔術を使い、部屋を日中のような明るさにした。
暗く視界の効かない空間は人を不安にさせる。ともかくも今は安全と安心との確保が急がれた。
その点で言えばフィンがムイロを追走したのは正しい判断であったとドロシーも確信していた。また自分がここに残って、魔術による防衛を買って出ることも正しい判断であったと確信している。
事実、先ほどまで不安げだった子供らも広間の隅の方でではあるが子供同士で遊び始めていた。婦人会の面々も落ち着きを取り戻し、後に出てくるであろう怪我人に対応すべく治療具の準備、また軽微な武具の装備を始めていた。
ドロシーは公民館を出て門扉近くで索敵用の結界を張った。魔獣の接近があれば即座に知らせる術式である。夜目の効かない身である以上、こうした手段を用いらざるを得ないのである。
――もし夜目が効く身體であったならフィンと一緒についてあげられたのでしょうか。
せめて耳が聡ければ、夜でも通る目であれば、よく効く鼻であったなら、一般的なエルフ程度に頑健な肉体であったなら、弟子を死地に一人見送るようなことをしないで済んだのではなかろうか。いや、弟子の方をこちらに残して自分が戦闘に赴くことができたのではなかろうか。
(いけない。それ以上このことを思考したら、気持ちが引きずられてしまう……)
現在おかれた状況下、最も正しい判断を下せている自身はあった。少なくともムイロと共に行けば戦闘区域であっても傍には護衛、正規兵がいるはずで……違う、フィンは守られるために臨戦しているのではなく、戦うために向かったのであるから保護を勘定に入れるのは間違いだ。
(ダメ……。思考から冷静さが欠けてきている。これ以上思考を続けても不安になるだけだ。これ以上何も考えちゃいけない……っ!)
きっとフィンのことだから我が身も顧みず最前線に飛び込んでいくだろう。彼は咄嗟の思考がいつだって現実的で効果的であるが、そこに自分の身の安全という項目はいつだって欠如している。オルティアを守る、魔獣を倒すという目標をひとたび設定してしまえば、その目標達成のために最適な行動を彼は取る。取れてしまう。そうしたとき彼が主に戦う場所は決して後衛などではないということは、彼の戦い方をよく把握しているドロシーにはすぐに予測できてしまった。
(国王からの遣い、客分扱いとして護衛をムイロ様が付けてくだされば――ムイロ様はあの年であっても根っからの貴族だ。自領の民にとって最善の選択、フィンの活用を迷うことなく選択するのは間違いないこと、ですね)
深く息を吸えない。呼吸が荒くなる。すぐにでも駆けだしてフィンのもとに向かいたくなる。
(フィンが今どこにいるかもわからないくせに)
耳鳴りが酷い。警鐘の音がけたたましい。
自分の判断も選択も振る舞いも間違いなく正しいものだと理解している。出来得ることは為している。そう理解しているのにそれとはまったく対極の行動に、全身が駆り立てられようとしている。大声で彼の名前を叫びながら探し回りたい。まともに戦闘能力もないのに彼の傍で彼の無事を確かめたい。
やがて避難者が集まり始めていた。魔獣の襲撃がそれほどにまで頻繁にあるのか、あるいは避難訓練の賜物であるのか、だれもが恐慌に陥ることなく整然としている。
酷い頭痛にドロシーは額の汗を拭う。避難者の来る方向、流れからおおよその襲撃地点が推測できてしまった。今すぐに駆け出してフィンのもとに向かいたくて仕方がなくなってしまった。
(避難者を、見捨てて?)
自分の歩みが門扉を越えようとしていることに気が付き、息が詰まる。足が震えてしまう。
様々な感情と情報と欲求とが脳裏を埋め尽くし思考が煩いくらいだというのに、いちいちどこか冷静な自分が、「役に立たないのに」「たくさんの人を見捨てるわけにもいかないのに」「まるでムイロ様とフィンを信用していないみたいな考え方だ」「何度考え直してもシミュレーションしても今の立ち位置が正しいのに」と適切に選択を進めている。
ドロシーは頭上高らかに灯火の術を放ち、避難所の目印となるようにした。もはや前にも後ろにも勧めなくなってしまったドロシーは公民館の門扉の真ん前で避難者を誘導することしかできなくなってしまっていた。
先ほどまで明るかった雰囲気も鏑矢の音と続く警鐘の音とにすっかり霧散されてしまっていた。気安く笑っていた者もはしゃいでいた子供も一様に不安げな様子であった。
この場にいる人々に対して「安心してください」という言葉がどれほど無意味なものであるか、既に喪失を先にしている方々の心を安んじうるには自分の言葉ではあまりにも無力であった。
婦人らは即座に館内から木戸を閉じて閂をかけ、部屋は蝋燭の灯りを頼りにするばかりである。ドロシーは灯火の魔術を使い、部屋を日中のような明るさにした。
暗く視界の効かない空間は人を不安にさせる。ともかくも今は安全と安心との確保が急がれた。
その点で言えばフィンがムイロを追走したのは正しい判断であったとドロシーも確信していた。また自分がここに残って、魔術による防衛を買って出ることも正しい判断であったと確信している。
事実、先ほどまで不安げだった子供らも広間の隅の方でではあるが子供同士で遊び始めていた。婦人会の面々も落ち着きを取り戻し、後に出てくるであろう怪我人に対応すべく治療具の準備、また軽微な武具の装備を始めていた。
ドロシーは公民館を出て門扉近くで索敵用の結界を張った。魔獣の接近があれば即座に知らせる術式である。夜目の効かない身である以上、こうした手段を用いらざるを得ないのである。
――もし夜目が効く身體であったならフィンと一緒についてあげられたのでしょうか。
せめて耳が聡ければ、夜でも通る目であれば、よく効く鼻であったなら、一般的なエルフ程度に頑健な肉体であったなら、弟子を死地に一人見送るようなことをしないで済んだのではなかろうか。いや、弟子の方をこちらに残して自分が戦闘に赴くことができたのではなかろうか。
(いけない。それ以上このことを思考したら、気持ちが引きずられてしまう……)
現在おかれた状況下、最も正しい判断を下せている自身はあった。少なくともムイロと共に行けば戦闘区域であっても傍には護衛、正規兵がいるはずで……違う、フィンは守られるために臨戦しているのではなく、戦うために向かったのであるから保護を勘定に入れるのは間違いだ。
(ダメ……。思考から冷静さが欠けてきている。これ以上思考を続けても不安になるだけだ。これ以上何も考えちゃいけない……っ!)
きっとフィンのことだから我が身も顧みず最前線に飛び込んでいくだろう。彼は咄嗟の思考がいつだって現実的で効果的であるが、そこに自分の身の安全という項目はいつだって欠如している。オルティアを守る、魔獣を倒すという目標をひとたび設定してしまえば、その目標達成のために最適な行動を彼は取る。取れてしまう。そうしたとき彼が主に戦う場所は決して後衛などではないということは、彼の戦い方をよく把握しているドロシーにはすぐに予測できてしまった。
(国王からの遣い、客分扱いとして護衛をムイロ様が付けてくだされば――ムイロ様はあの年であっても根っからの貴族だ。自領の民にとって最善の選択、フィンの活用を迷うことなく選択するのは間違いないこと、ですね)
深く息を吸えない。呼吸が荒くなる。すぐにでも駆けだしてフィンのもとに向かいたくなる。
(フィンが今どこにいるかもわからないくせに)
耳鳴りが酷い。警鐘の音がけたたましい。
自分の判断も選択も振る舞いも間違いなく正しいものだと理解している。出来得ることは為している。そう理解しているのにそれとはまったく対極の行動に、全身が駆り立てられようとしている。大声で彼の名前を叫びながら探し回りたい。まともに戦闘能力もないのに彼の傍で彼の無事を確かめたい。
やがて避難者が集まり始めていた。魔獣の襲撃がそれほどにまで頻繁にあるのか、あるいは避難訓練の賜物であるのか、だれもが恐慌に陥ることなく整然としている。
酷い頭痛にドロシーは額の汗を拭う。避難者の来る方向、流れからおおよその襲撃地点が推測できてしまった。今すぐに駆け出してフィンのもとに向かいたくて仕方がなくなってしまった。
(避難者を、見捨てて?)
自分の歩みが門扉を越えようとしていることに気が付き、息が詰まる。足が震えてしまう。
様々な感情と情報と欲求とが脳裏を埋め尽くし思考が煩いくらいだというのに、いちいちどこか冷静な自分が、「役に立たないのに」「たくさんの人を見捨てるわけにもいかないのに」「まるでムイロ様とフィンを信用していないみたいな考え方だ」「何度考え直してもシミュレーションしても今の立ち位置が正しいのに」と適切に選択を進めている。
ドロシーは頭上高らかに灯火の術を放ち、避難所の目印となるようにした。もはや前にも後ろにも勧めなくなってしまったドロシーは公民館の門扉の真ん前で避難者を誘導することしかできなくなってしまっていた。
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