冬の一陽

聿竹年萬

文字の大きさ
上 下
62 / 71
少年期 少年の進路編

(64)待つ者の苦しさ(side:ドロシー)

しおりを挟む
「皆さん、ご安心ください。魔獣の討伐にはムイロ様への助勢として王都でも指折り槍使いフィンが向かいました。またこちらの公民館にあっては及ばずながら魔術教練士の資格を持っております私ドロシーが防衛に当たりますのでどうか心穏やかに。続く避難者の保護と誘導とを何卒よろしくお願い申し上げます」

 先ほどまで明るかった雰囲気も鏑矢の音と続く警鐘の音とにすっかり霧散されてしまっていた。気安く笑っていた者もはしゃいでいた子供も一様に不安げな様子であった。
 この場にいる人々に対して「安心してください」という言葉がどれほど無意味なものであるか、既に喪失を先にしている方々の心を安んじうるには自分の言葉ではあまりにも無力であった。

 婦人らは即座に館内から木戸を閉じて閂をかけ、部屋は蝋燭の灯りを頼りにするばかりである。ドロシーは灯火の魔術を使い、部屋を日中のような明るさにした。
 暗く視界の効かない空間は人を不安にさせる。ともかくも今は安全と安心との確保が急がれた。

 その点で言えばフィンがムイロを追走したのは正しい判断であったとドロシーも確信していた。また自分がここに残って、魔術による防衛を買って出ることも正しい判断であったと確信している。

 事実、先ほどまで不安げだった子供らも広間の隅の方でではあるが子供同士で遊び始めていた。婦人会の面々も落ち着きを取り戻し、後に出てくるであろう怪我人に対応すべく治療具の準備、また軽微な武具の装備を始めていた。

 ドロシーは公民館を出て門扉近くで索敵用の結界を張った。魔獣の接近があれば即座に知らせる術式である。夜目の効かない身である以上、こうした手段を用いらざるを得ないのである。

――もし夜目が効く身體であったならフィンと一緒についてあげられたのでしょうか。

 せめて耳が聡ければ、夜でも通る目であれば、よく効く鼻であったなら、一般的なエルフ程度に頑健な肉体であったなら、弟子を死地に一人見送るようなことをしないで済んだのではなかろうか。いや、弟子の方をこちらに残して自分が戦闘に赴くことができたのではなかろうか。

(いけない。それ以上このことを思考したら、気持ちが引きずられてしまう……)

 現在おかれた状況下、最も正しい判断を下せている自身はあった。少なくともムイロと共に行けば戦闘区域であっても傍には護衛、正規兵がいるはずで……違う、フィンは守られるために臨戦しているのではなく、戦うために向かったのであるから保護を勘定に入れるのは間違いだ。

(ダメ……。思考から冷静さが欠けてきている。これ以上思考を続けても不安になるだけだ。これ以上何も考えちゃいけない……っ!)

 きっとフィンのことだから我が身も顧みず最前線に飛び込んでいくだろう。彼は咄嗟の思考がいつだって現実的で効果的であるが、そこに自分の身の安全という項目はいつだって欠如している。オルティアを守る、魔獣を倒すという目標をひとたび設定してしまえば、その目標達成のために最適な行動を彼は取る。取れてしまう。そうしたとき彼が主に戦う場所は決して後衛などではないということは、彼の戦い方をよく把握しているドロシーにはすぐに予測できてしまった。

(国王からの遣い、客分扱いとして護衛をムイロ様が付けてくだされば――ムイロ様はあの年であっても根っからの貴族だ。自領の民にとって最善の選択、フィンの活用を迷うことなく選択するのは間違いないこと、ですね)

 深く息を吸えない。呼吸が荒くなる。すぐにでも駆けだしてフィンのもとに向かいたくなる。

(フィンが今どこにいるかもわからないくせに)

 耳鳴りが酷い。警鐘の音がけたたましい。
 自分の判断も選択も振る舞いも間違いなく正しいものだと理解している。出来得ることは為している。そう理解しているのにそれとはまったく対極の行動に、全身が駆り立てられようとしている。大声で彼の名前を叫びながら探し回りたい。まともに戦闘能力もないのに彼の傍で彼の無事を確かめたい。

 やがて避難者が集まり始めていた。魔獣の襲撃がそれほどにまで頻繁にあるのか、あるいは避難訓練の賜物であるのか、だれもが恐慌に陥ることなく整然としている。

 酷い頭痛にドロシーは額の汗を拭う。避難者の来る方向、流れからおおよその襲撃地点が推測できてしまった。今すぐに駆け出してフィンのもとに向かいたくて仕方がなくなってしまった。

(避難者を、見捨てて?)

 自分の歩みが門扉を越えようとしていることに気が付き、息が詰まる。足が震えてしまう。
 様々な感情と情報と欲求とが脳裏を埋め尽くし思考が煩いくらいだというのに、いちいちどこか冷静な自分が、「役に立たないのに」「たくさんの人を見捨てるわけにもいかないのに」「まるでムイロ様とフィンを信用していないみたいな考え方だ」「何度考え直してもシミュレーションしても今の立ち位置が正しいのに」と適切に選択を進めている。
 ドロシーは頭上高らかに灯火の術を放ち、避難所の目印となるようにした。もはや前にも後ろにも勧めなくなってしまったドロシーは公民館の門扉の真ん前で避難者を誘導することしかできなくなってしまっていた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

処理中です...