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少年期 少年の進路編
(53)先生と弟子の楽しい雑談(議論)
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オルティア領は王都ロンゴミニアドの北に面する領地でカーラウド公爵の治世である。農耕牧畜が盛んで王都で取引されている食料の少なからぬ数がオルティア産である。肥料や農薬の研究開発も盛んで、王都大学を卒業した後にオルティア領で研究職になるという進路も、学生らの選択肢にスタンダードに上がるほどには良政下にあるという。
水源にも恵まれ平野部が多く農耕牧畜の適地に不便はしない。その一方で水害の憂き目に合うことも少なからず、またオルティア領北方に広がる樹林帯は魔獣の生息が多く確認されており、獣害も多発している。
オルティア領都はその樹林帯を背にするように構えられており、さながら魔獣の防波堤のようである。
――馬上にてドロシー語る。
「そうそう、貴方の故郷であるリスノザも実はオルティアの所領なのですよ? 河川と湿地帯とで領都とあの村を結ぶ道は敷設できなかったものの、王都に繋がる街道まで続く道路の管理はオルティア、しかして土地は国王の直轄下です納税も村長を通してオルティアに行われていますし、行商人交易ルートにリスノザを含めると助成金を出しているのも同じくオルティアです。知らず知らずお世話になっていたのですよ」
フィンとドロシーは王都の北方、リスノザに分岐する道を遥かに過ぎ行きて、オルティシエとロンゴミニアドの中間に位置する宿場町に至っていた。
大通りには荷馬車が南北に行きかい、道端には露店を開く者も多くあった。その様子を馬上から眺めつつ進む。いつもより視線が高いため周囲の様子がよく見える。
中でもフィンの目を引いたのは町中の看板の多さであった。至る所に看板が立ち並びひしめき合い実に壮観であった。
武具装具店。保存食でも味を楽しみたいあなたの店。熊肉今朝入荷。蜂蜜酒あります。干魚安売。いい娘います。その日の怪我はその日のうちに。
店名や屋号のみならず、その日の内に書いたらしい看板なども立ち並んでいる。
「看板の数がすごいでしょう。ここに立ち寄る人の多くはオルティアか王都に住居を持つ人なのですが、あらゆる店がああして文字情報で客引きをしていることから、客層の識字率が高いことが伺えますね。町の様子や道に見える生活様態からどのような人がそこを利用するのかが見えてくることもあります。特に商売人は人の属性に敏感なのでこうした商店居並ぶ通りでは顕著ですね」
「なるほど……。でも先生、王都は国立尋常学校もあって識字率も高いのにどうして看板が少ないのでしょうか。客層によって店構えが変わるというのであれば……あ、客層……?」
少年は質問をしようとして自ら答えに至ろとしていた。顎に手を当ててしばし思案する。
師は少年の言葉を待っていた。彼が自分の言葉に直すのをじっくりと。
「王都には様々な土地の人が訪れていて、それこそ学校の内容な村からの人も集まっていて、それが東西南北あらゆる土地から。それで定住しない人も多くいて、だから王都の居住者の識字率は高いものの文字情報による客引きがうまく働かない。ともするとオルティアの識字率は王都と同程度に高い水準とも言える……ということでしょうか」
師が自分の言葉を待っていると気が付いたフィンは、自信なさげに自分の考えを口にした。ちらりと師の表情を見ると、微笑んで見えた。普段のドロシーを知らない者からは無表情に見えるくらいのものであったが確かにほほ笑んでいた。
「素晴らしいですねフィン。よくそこまで考えられました。本当に日々よく学習している成果が身になっていると言えるでしょう。もう一つだけ付け加えさせていただきたいのですが、識字率とは別の要素もあるのではないかと私は考えています。王都では土地や場所の占有権に関する意識が非常に強くあります。公道とはいえ私有物を遠慮もなしに広げすぎては同業他者や住民からの印象を悪くする、と懸念して必要最低限の物のみ――その日の目玉商品などに絞って――路上に開陳している、という人の目による影響も強いのではないかと思っています。その論の補いとしては手持ち看板の人は王都でも……」
ドロシーは不意になにかを思ってか言葉が詰まる。
雑談は議論ではない、とは誰の言葉だったか。オリヴァントに指摘されたか別の知人であったかは思い出せないが、ドロシーは追加の説明を全て言い終えてから「しまった」と気が付いた。フィンが折角自分の考えを整理したどたどしくも開陳し、しかもよい見解であったというのに上からモルタルを糊塗するようなことを言ってしまった……。
(いや、でも意見の交換が行われない雑談とは何をそもそも話せばいいかもわからないですし……多分これは雑談の範疇では……?)
ドロシーの脳裏では今の自分の返答の是か非か、忙しく天秤が目まぐるしく上下運動している。
「確かにそれはあるかもしれませんね! 思い返してみますと手持ち看板の人がいるのは北本通側で多かったような気がします。逆に南、カーライル側の南本通に行ったときは文字看板は少なくて食事処なら料理の絵、武具店なら武具の絵を看板にしていましたね。もしかしたら王都の景観はその方角の町のモデルケースとも見れるのかもしれませんね」
フィンが師の言葉を受けて非常に楽しそうに返事をするのを見て、ドロシーは安堵した。どうやら無理に喜んでいる風を装っているわけでもないらしい。少しずつ少年の機微も見極められるようになってきているという認識もある。
二人はしばし馬上での議論(雑談)に花を咲かせた。やがて、話の内容が「方言や訛りを補うコミュニケーションツールとしての文語文」に差し掛かったころ、この日泊まる予定の宿の前に辿り着いた。
「それでは私は宿帳の記帳と馬屋の手配とをしてきますね。フィンは大通りから出ないことを約束としてお小遣いの範囲で散策してきてみるとよいでしょう。それこそ王都やカーライルとは異なる町並みから受ける重樹もあるでしょうから。くれぐれも大通りから外れないようにしてくださいね。またなるべく憲兵の姿が見える範囲内にいるように心がけてください。槍はカバーをかけた上でくれぐれも手放さないようにしてください。知らない人に声をかけられても不用意に近づかないようにし――」
諸般の注意を聞くこと数分後、小遣いを渡されたフィンはドロシーから言いつけられたことを反芻しながらゆるりと歩き出した。
水源にも恵まれ平野部が多く農耕牧畜の適地に不便はしない。その一方で水害の憂き目に合うことも少なからず、またオルティア領北方に広がる樹林帯は魔獣の生息が多く確認されており、獣害も多発している。
オルティア領都はその樹林帯を背にするように構えられており、さながら魔獣の防波堤のようである。
――馬上にてドロシー語る。
「そうそう、貴方の故郷であるリスノザも実はオルティアの所領なのですよ? 河川と湿地帯とで領都とあの村を結ぶ道は敷設できなかったものの、王都に繋がる街道まで続く道路の管理はオルティア、しかして土地は国王の直轄下です納税も村長を通してオルティアに行われていますし、行商人交易ルートにリスノザを含めると助成金を出しているのも同じくオルティアです。知らず知らずお世話になっていたのですよ」
フィンとドロシーは王都の北方、リスノザに分岐する道を遥かに過ぎ行きて、オルティシエとロンゴミニアドの中間に位置する宿場町に至っていた。
大通りには荷馬車が南北に行きかい、道端には露店を開く者も多くあった。その様子を馬上から眺めつつ進む。いつもより視線が高いため周囲の様子がよく見える。
中でもフィンの目を引いたのは町中の看板の多さであった。至る所に看板が立ち並びひしめき合い実に壮観であった。
武具装具店。保存食でも味を楽しみたいあなたの店。熊肉今朝入荷。蜂蜜酒あります。干魚安売。いい娘います。その日の怪我はその日のうちに。
店名や屋号のみならず、その日の内に書いたらしい看板なども立ち並んでいる。
「看板の数がすごいでしょう。ここに立ち寄る人の多くはオルティアか王都に住居を持つ人なのですが、あらゆる店がああして文字情報で客引きをしていることから、客層の識字率が高いことが伺えますね。町の様子や道に見える生活様態からどのような人がそこを利用するのかが見えてくることもあります。特に商売人は人の属性に敏感なのでこうした商店居並ぶ通りでは顕著ですね」
「なるほど……。でも先生、王都は国立尋常学校もあって識字率も高いのにどうして看板が少ないのでしょうか。客層によって店構えが変わるというのであれば……あ、客層……?」
少年は質問をしようとして自ら答えに至ろとしていた。顎に手を当ててしばし思案する。
師は少年の言葉を待っていた。彼が自分の言葉に直すのをじっくりと。
「王都には様々な土地の人が訪れていて、それこそ学校の内容な村からの人も集まっていて、それが東西南北あらゆる土地から。それで定住しない人も多くいて、だから王都の居住者の識字率は高いものの文字情報による客引きがうまく働かない。ともするとオルティアの識字率は王都と同程度に高い水準とも言える……ということでしょうか」
師が自分の言葉を待っていると気が付いたフィンは、自信なさげに自分の考えを口にした。ちらりと師の表情を見ると、微笑んで見えた。普段のドロシーを知らない者からは無表情に見えるくらいのものであったが確かにほほ笑んでいた。
「素晴らしいですねフィン。よくそこまで考えられました。本当に日々よく学習している成果が身になっていると言えるでしょう。もう一つだけ付け加えさせていただきたいのですが、識字率とは別の要素もあるのではないかと私は考えています。王都では土地や場所の占有権に関する意識が非常に強くあります。公道とはいえ私有物を遠慮もなしに広げすぎては同業他者や住民からの印象を悪くする、と懸念して必要最低限の物のみ――その日の目玉商品などに絞って――路上に開陳している、という人の目による影響も強いのではないかと思っています。その論の補いとしては手持ち看板の人は王都でも……」
ドロシーは不意になにかを思ってか言葉が詰まる。
雑談は議論ではない、とは誰の言葉だったか。オリヴァントに指摘されたか別の知人であったかは思い出せないが、ドロシーは追加の説明を全て言い終えてから「しまった」と気が付いた。フィンが折角自分の考えを整理したどたどしくも開陳し、しかもよい見解であったというのに上からモルタルを糊塗するようなことを言ってしまった……。
(いや、でも意見の交換が行われない雑談とは何をそもそも話せばいいかもわからないですし……多分これは雑談の範疇では……?)
ドロシーの脳裏では今の自分の返答の是か非か、忙しく天秤が目まぐるしく上下運動している。
「確かにそれはあるかもしれませんね! 思い返してみますと手持ち看板の人がいるのは北本通側で多かったような気がします。逆に南、カーライル側の南本通に行ったときは文字看板は少なくて食事処なら料理の絵、武具店なら武具の絵を看板にしていましたね。もしかしたら王都の景観はその方角の町のモデルケースとも見れるのかもしれませんね」
フィンが師の言葉を受けて非常に楽しそうに返事をするのを見て、ドロシーは安堵した。どうやら無理に喜んでいる風を装っているわけでもないらしい。少しずつ少年の機微も見極められるようになってきているという認識もある。
二人はしばし馬上での議論(雑談)に花を咲かせた。やがて、話の内容が「方言や訛りを補うコミュニケーションツールとしての文語文」に差し掛かったころ、この日泊まる予定の宿の前に辿り着いた。
「それでは私は宿帳の記帳と馬屋の手配とをしてきますね。フィンは大通りから出ないことを約束としてお小遣いの範囲で散策してきてみるとよいでしょう。それこそ王都やカーライルとは異なる町並みから受ける重樹もあるでしょうから。くれぐれも大通りから外れないようにしてくださいね。またなるべく憲兵の姿が見える範囲内にいるように心がけてください。槍はカバーをかけた上でくれぐれも手放さないようにしてください。知らない人に声をかけられても不用意に近づかないようにし――」
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