冬の一陽

聿竹年萬

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少年期 大学生活編

(21)蟻の一穴

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 粗暴の王レオンが放つ眼光、殺気の類は尋常ならざるもので、模擬試合であろうと相対したものは構え合っただけで心胆寒からしめられる程であった。学内で卒業後の士官も選択肢に含める者はおよそほとんどが彼と手合わせの経験があるが、誰一人として彼には敵わないと覚えるほどであった。
 野次馬連中の内、少なからぬ者があのレオンに再戦する少年がどのような戦いをするのか、そうした興味に引っ張られていた。
 試合は低く鈍い音の連続で演武のような見栄えも伴わぬものであった。しかしながら、二人の戦いを見守るその多くの人々が眼前で展開される様相に目を奪われていた。
 模擬槍はその柄は木製で両端を布で巻いているため、打突音も模擬槍同士の打ち合いでも鈍い音が響くばかりで派手さはない。
 観衆の目には、不思議なことに二人は魔術を使わないで戦っているように見えた。
 しかしながら実情はそうでないことをレオンの不愉快そうな、焦るような表情が示していた。レオンは怒り、不快、もどかしさといったあらゆる感情をその表情に乗せて周囲にまき散らしていたが、フィンは実に対照的だった。
 フィンは伝う汗も拭わずに、ジッとレオンを見据えて戦っていた。フィンの目は、レオンを見ていたがレオンの目を見ていたわけではなく、レオンの全身をぼんやりと、見ていた。意図的に焦点を分散させて彼を観察していたのである。フィンは、実に余裕がなかった。微かな間隙を突いてはレオンの攻撃を何度も何度も邪魔をしていた。
 レオンは魔術を行使しなかったわけではなかった。火時計の爆ぜるのと同時にまずはいつものとて氷柱を無数に生成し、フィンに向けて発射しようとした。しかし、生成した氷柱の半分が自分の方に向かって突進してきたのである。その程度捌けないレオンではなかったが、フィンの仕出かしたことに強く驚愕した。
 他人が構築する魔術を途中から乗っ取る。そんな話は過去あたったどのような文献でも見たことが無かった。
 その後も火球を放つなり、石礫を飛ばそうとしたがその全てが途中で乗っ取られ、無効化されるか、あるいは逆手に取られてしまった。
 それを表情一つ変えずに実行し続けるフィンという存在が実に不愉快であった。

 レオンはフィンの様子を表情一つ変えないところで以て、余裕があるのだと感じだがその実際フィンの方も必死であった。
 いつか来るレオンとの再戦に向けて、積み重ねてきた煉瓦、いや石垣に蟻の一穴もないように必死で思考を走らせ続けている。学んだことを脳内に全て展開しつつ、レオンの取るであろう行動を予測しつつ、その対策をデータベースからピックアップし、即座に行動に移す。僅かな瑕疵があれば「僕がレオンならば絶対に気づいてそこを突く」と確信するからこそ、あのレオンの連撃を防げたことも魔術行使を阻害し簒奪したことも喜べないでいた。
 フィンは、自分はよく学び、よく鍛錬したと自負していた。しかし、学べば学ぶほど、鍛錬すれば鍛錬するほどレオンという人間が自分の及ばない存在だと自覚させられた。
 あるいはそれも当然かもしれないとも思えた。自分よりも少なくとも五年は早く在学していたのだから、それを追おうともそう追い付けるものではない。フィジカルでもインテリジェンスでも彼に敵わないと認めるまでには酷く時間がかかった。しかし、ようやくその事実を認めたとき、――その条件下でも負けてはならない場合、どのような要素が必要か――相手の勝ち筋を一つずつ一つずつ、途方もない作業になっても全て潰していくことしか、自分にはできないのだと理解した。

 狩猟も、振り返ってみれば似たようなものだった。狩猟対象の習性や動向を予測することも重要であるが、樹皮の剥がれた木、根元から倒れる草、風に混じって飛ぶ屎尿の匂い、地形、生息域、気温、環境あらゆる要素を森の中から発掘し、脳内で統合していく作業に他ならなかった。これらの要素が、学内のそこかしこに散らばるレオンの足跡になっただけの話でしかない、とフィンは理解した。
 その作業に向き合うことは相当に不愉快だった。先生の研究、先生との時間を何より優先したかったのに、レオンのことを理解するには相当の労力と時間と知識とが必要だった。
 しかし、その不愉快も今日ここでレオンに勝てば報われる。頭の片隅にレオンを飼育する必要もなくなる。絶対に負けるわけにはいかないという思いが、フィンに尋常ならざる集中力を発揮させていた。

「おい、さっきから守ってばかりじゃねえか」

 乱暴な言葉づかいでそう言い放ったのはフィンの方であった。口角を吊り上げ、目を見開き、さながらレオンの言うような具合であった。
 観衆は訝しんだ。フィンの言葉づかいには当然、先ほどから守ってばかりなのはフィンの方であるはずなのに、何故そのように挑発したのか。

「てめえ……」
 
 レオンがさらに眉間の皺を深くして低い声で唸る。フィンが今言った言葉は、自分がフィンに向けて言おうとした言葉と一言も違わなかったからである。
 フィンが自分の行動を模倣、予測し先回りして潰しにかかってきていることは理解していた。だが、その精度がこれほどまでとは思いもしなかった。どこまで見透かされているのか、どこまで先回りしているのか、底知れなさにますますレオンは不快感をあらわにする。
 既に観衆がレオンの殺気に当てられてドン引きしている。

「あれね、フィン君よく目の前で立ってられるよね」

 随分と暢気な声でオリヴァントが言う。

「うちのフィンは非常に優秀ですので」

 対するドロシーの返事は随分と素っ気ない態度であったが、それを耳にした周囲の人たちは心を温かにした。そしてドロシーも自分が割合恥ずかしいことを口走ったと自覚して耳を赤くした。
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