冬の一陽

聿竹年萬

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少年期 大学生活編

(16)唇に着いたシチュー

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 ドロシー教授の弟子がレオン相手に引き分けた、という話は瞬く間に学内に知れ渡っていた。中には冗談だろうと考えた者もあったが、取り繕うことも忘れて不機嫌そうなレオンを見てそれが事実だと認識した。
 数十年にわたり弟子も助手も取らず研究にばかり没頭していたあの孤高のドロシー教授が弟子を、というだけでも大いに注目を集めた話題であったが、フィン、ドロシー、レオンの当人らの望まぬ形で名を広めることとなった。
 そしてその弟子フィンの様子はといえば齢十一にして勤勉で努力家、知らないことは多いが知ろうとする熱意が人並外れていた。時には講座をあまり持たない教授に依願し講座を開いてもらったり、研究者に特異性の高い研究を行う者があれば教えを乞いに伺うなど、その行動力にも皆目を見張った。
 その一方でドロシーの下働きにも余念なく取り組み、口さがない者はその様子を見て、十人並みの働きを一人の人間に詰め込んだ、と評した。
 また、フィンという弟子を得てドロシー教授の活動も活発化した。レポート、論文の発表件数が増え、特に各種属性魔術の新規性ある習得指導論や治癒魔術指導論等の教育論への取り組みが増えていた。
 一方で従来からの研究対象である魔術スクロールの応用方法の提唱レポートも増えていった。
 学生間では噂が立った。あまりにも二人が幼い姿なので、実はやりたいことが多すぎて体が足りないと考えた大魔術師が自分の肉体と魂を二つに分けて作った者があの二人なのではないかと。誰もが冗談でそう口にしていたが、元は一つの体なのではないかと思うくらいにこの師弟は一緒に過ごしていた。なお、全くの余談ではあるが、本気でこの戯言を口にしていた一部の学生は魂魄論基礎と生物運動基礎の両単位を落としていた。
 やがて、また冬が訪れる。二人の出会って一年が経とうとしていた。


 外には深々(しんしん)と雪が降っている。魔術の施された石畳の道に雪は積もらないが、それでも雪はなお深々(ふかぶか)と寒さを呼び込むようだった。
 レストランサークレットは大学職員御用達の食事処で、酒類の品揃えも良く、また料理も事前に予約をすればその内容を合わせてくれるので、接待や打合せ、行き詰まった研究の愚痴、弱音の吐露、様々なドラマの現場とままなることが多いのであった。
「お待たせいたしました。ロベルトリフシチューでございます」
 フィンとドロシーの前に並々よそうわれたブラウンのシチューが運ばれる。具にはたっぷりのキノコ類。早速口に運ぶとまろやかさと酸味とが一週間の疲労をほぐしてくれるようだった。
 この料理は事前にドロシーがわざわざ依頼したものだと言う。キノコのことを考え続けるのが大変疲れたので、考えるのをやめて食べたいのです、とそう言っていた。
「先生、美味しいですね」
「ええ」
 ドロシーは難しそうな顔をしたまま気のない返事をする。わざわざ要望したシチューも意の外だ。眉間に皺が寄っている。目からは光が消えている。ここしばらく研究の進みが捗らず、頭の中身がよそに出かけてしまっているようである。
「……フヨウタケのことですか?」
「ええ」
「先生の専門分野はスクロール魔術だと思ってたんですが、そういえばどうしてフヨウタケの研究なんてしてたんですか?」
 フィンの質問に、ようやくドロシーは眉間の皺を解いた。フィンからの質問は不思議と心の緊張を和らげてくれる。
「今は亡き人から引き継いだ研究なのです。門外漢ではありますが、彼女の研究がこのまま放置されることは受け入れがたく、私は今しばらくフヨウタケの研究に務めています」
 ドロシーはシチューを口に運んだ。上唇に少量、シチューがついた。
「その方は何を?」
「文化人類学の物好きな方でした。彼女が最後にやり残したことが何故か、フヨウタケの研究だったのです」
 また、難しい顔をする。
「その……その学問は社会構造や文化や種族の比較研究、という分野だと聞いたのですが……」
「だから大変に難儀しているのです。とにかく標本を集め、それぞれ観察してみても彼女が導くであろう結論に到着できないのです」
 シチューを口に運ぶ手だけは止まらずに、また頭の中身がよそに出かけようとするドロシーを見て、とにかく話題を振らねばとてフィンは「そういえば」と切り出した。
「フヨウタケって面白いですよね。フヨウタケの近くに生える草木は頑丈に育つんです」
 ドロシーは、その目を丸く開いてフィンの方を見た。
「……頑丈な草木の近くにフヨウタケが生える、ではなくてですか?」
「はい。木材やカヤが欲しい時はまずフヨウタケを探すんです。そこで生える植物は頑丈になるか、そのうち頑丈になるので」
「そのうち、なる……?」
 ドロシーの瞳に知性の光が灯るのをフィンは見た。
「フィンは、本当に凄いですね」
 深く深く溜息のように息を吐きながら、ドロシーが賞賛する。微かに師の表情が可笑しさに笑い出すような印象に見え、フィンも相好を崩した。元気が出たようでうれしかった。
「僕は何もしていませんよ、先生」
 ドロシーは随分なペースでシチューを口に運ぶ。すぐにもどかしくなって皿の縁に口を付けて飲み干してしまった。
「フィン、研究室に戻りましょう。これでようやく彼女の研究が成就するはずです」
「先生待ってください!」
 ドロシーが俄かに腰を上げたのをフィンは慌てて制止する。彼女はすぐに駆けだしたいのを堪えて、「どうしたのです」と返す。
「先生、今日のサークレットのデザートは果肉たっぷりのシードルケーキです……!」
「そ……それは、確かに性急に過ぎました。失礼しました」
 ドロシーとフィンは、すぐに研究に取り掛かりたいという気持ちを抱えながらもケーキを堪能すると二人で雪の街を早足で大学に向かった。ローブのフードを頭から被って駆ける二人の様子は、さながら雪を喜び遊ぶ子供の用であった。

 その後、フヨウタケについて小論文が発表される。
 いわく、このフヨウタケは魔力を行使する構造を有しており、子実体周辺の植物から栄養分を分けてもらう一方で硬度化魔術を施している。そのため、フヨウタケを中心に植物は外的要因からの落命が少なく、長命化、果実をよく実らせ動物や虫をよく呼び寄せ、動物媒を活性化させる。フヨウタケは子実体を中心にメトロポリスを発達させる。
 その見解に反論もあったが、検証が重なるにつれてドロシーの唱えた論が補強されていくことになった。

 論文を上梓してからしばらくして、研究室で少しの暇をドロシーは持て余していた。したいこともあるし、すべきこともあったが、肩の荷が下りたような気分をドロシーは堪能していた。革張りの椅子の背もたれにもたれかかりながら天井を眺めている。
「ようやく、あの人たちの研究の全てを終えられたのですね」
 暖炉の火が薪を鳴らす音を聞きながら、研究室でドロシーが誰に言うともなくそう呟いていたのが、フィンには不思議と寂しかった。
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