冬の一陽

聿竹年萬

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少年期 大学入学編

(15)フィンの目覚め

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 フィンが目を覚ましたのはレオンとの試合から三日後の夜のことだった。皮膚が異様にひりひりと痛み、自分と世界との境界が燃えているかのような感覚だった。そして、燃えるような痛みに晒されながら、自分の体の芯が酷い寒気があった。
 ここはどこだろうか、と少しずつ頭が働き始める感覚を思い出す。頭痛は相変わらずあるが堪えられない程ではなかった。上体を起こすと、すぐ傍らにドロシーが上半身だけをベッドに預けて寝息を立てていた。照明が上にあるおかげで、あれほど見たかった寝顔をようやくじっくり観ることが出来た。けれど、フィンにはそれを感動するだけの余裕がありはしなかった。
 負けた、ということだけは痛みや熱さにうなされながら何度も反芻していた。苦しさと悔しさに頭がおかしくなりそうになる度、誰かが――ドロシーがそうしてくれていたのだと思う――頭を撫でてくれると意識は仄暗い水の底に沈んでいったが、それでもよく覚えていた。
 酷く喉が渇いていた。枕元の引き出しの上に水差しがあったのでがぶがぶと飲み干した。少し品がなかったかもしれない。
 物の動く気配に気が付いてドロシーも目を覚ます。フィンが起きていることを認めると、ほっと胸を撫でおろしたが、すぐにいつもの調子で、「痛みはありませんか? だるさは? 体のどこかの感覚がない、動かないといった不具合はありませんか? その他違和感があれば必ず伝えてください。いいですね」と一息にフィンに投げかけた。
 フィンは、「大丈夫です」と言おうとして喉が上手く動いてくれないことに気が付いた。喉の奥からはコヒュッと気の抜けた音だけがした。再度、意識的に喉と舌を動かした。
「大丈夫、です。すみません」
「喉の調子が悪いんですね。失礼します」
 ドロシーは言うなり、フィンの首を両手で触れた。少し締めあげられるような心地だった。彼女の掌から魔力が放たれるのを感じると、すぐに喉の奥に感覚が戻ってきた。
「あ、あ。喋れます。ありがとうございます」
「他には何も問題ありませんか?」
「はい。少し、体が重いくらいのもので問題はありません」
「そうですか。ひとまずは安心しました。水分補給をしてくださ――」
 枕元の水差しが空になっているのを見てドロシーは呆れたようにこちらを睨んだ。睨んだと思うや否や小さく微笑んで、「本当に大丈夫そうで少し安心しました」と言った。
 また、心配させてしまった。そう気が付くと途端にフィンは堪らなく恥ずかしくなる。自分が相手にどのような啖呵を切ったのか。ドロシーにかっこいいところを見せようと考えていたこと。相手の発言の撤回を求めておきながら、結局手も足も出せなかったこと。そして、その結末。
「あれだけの無茶をしたのですから今しばらく休養を取り、体の回復に努めてください」
 ドロシーの細く柔らかい手がフィンを撫でる。ひんやりと心地よい。
「それと、レオン学生を相手に引き分けまで持ち込んだ実技を考慮して、国籍、学籍の取得が早まりそうです。あまり今回のことを褒めることは師として喜ばしくはありませんが、よく頑張りましたね。フィン」
「え、引き分け……ですか?」
「ええ。引き分けです。フィンにはその時の記憶がないのですね。あのときフィンが放った最後の魔力は彼が取り落とした槍を爆破し、その爆風に乗った槍の破片が彼を殴打し爆風に揉まれた彼自身も吹き飛ばされました。彼はすぐに体勢を立て直しましたが、それをオリヴァント学長は十分な一打と認めたのです」
「ですが、僕は気を失っていました」
「ええ、わかっています。ただ、貴方は最後まで倒れてはいませんでした。傍からはいつ気を失ったかはわからない状態でした。
 オリヴァント学長はそこで次のように審判しました。フィンは既に気を失っているが、レオン学生に一打を与えるために槍を取り落とさせ、自分が戦闘続行不能なように見せかけつつ槍を爆破することでレオン学生に攻撃を図り見事一打を挙げた。その知略と根性を評価し、引き分けとする。
 ということです。そしてその知略と実践を評価し、大学に特待生として迎える用意をする手配を開始しました」
 とんだ詭弁だと思った。自分は確かに負けていた。槍の爆発だって意図したものでなんかありはしない。けれど、引き分けという温情に頼ることで、ドロシーの選んだ弟子としての面目を守れるかと期待してしまい、「僕は負けました」と強固には主張できない気持ちだった。
 相手を文句ないほどに倒すつもりで挑んだ戦いで温情による引き分け。その結果のもたらすものは望む所であったが、当然フィンの心は晴れなかった。
 結局、一番の目的でもあった、ドロシーに今後心配をかけさせないという目標は達成できないどころか、普段にも増して心配させる結果になってしまっているのだ。
「ちなみにですがレオン学生の方は、余裕を残して勝てないようなら勝ちとは言えない。戦場でこの成果ならば評価はされない。俺の負けだ。
 と、そのように言っていました」
――本当に腹の立つ男だ、とフィンは思った。
「僕だって、僕の負けです」
 フィンは自分の目から零れる涙を止められなかった。
「せ、先生に心配をかけさせて、試合もぼろぼろで、僕は負けを認められなかったのに、そいつはその結果に向き合って。こんなダメなところばかりだなんて……」
 フィンの声は震えだし、最後には言葉にならなかった。
 堪らず、ドロシーは少年を抱きしめたくなった。「フィンは全然、ダメなんかじゃありませんよ」と言って聞かせて背中を叩いてあげたかった。ドロシーは拳を固く握りしめていた。苦しいくらいに力が込められていた。
「自分がダメなのだと、そう理解したなら、何が足りないのかが見えたなら話は実に簡単なことです。補えばいいのです。幸い我々は学び舎の子。暗闇を手探りに往くのではないのですから。我々大学は貴方の足元を照らす灯りです。フィン。貴方はもう折れてしまうのですか?」
 ドロシーは、自分の吐く言葉に怖気を覚えながらも解く。未熟な自分が何を口にしているのかと軽蔑する。しかし、この道を往くと決めたドロシーは、彼の絶望を一時の慰撫で済ますことを良しとしなかった。声は震えていないか。自分の臆病をフィンに見透かされていないか。ドロシーは心細くなった。
「いいえ」
 フィンは涙を拭うと、真っ直ぐにドロシーを見据えて言った。
「僕は、大丈夫です」
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