上 下
339 / 376
『第三部 因果と果報』 救いの代償

4▶神樂 2:由来

しおりを挟む
「僕も」
「だよね! 絶対合格したい」
馨民カミンは平気でしょ?」
 はははと忒畝トクセが笑うと、馨民カミンがうれしそうに笑みを返す。
忒畝トクセもね!」
 家の前に着いた馨民カミンが『またね』と手を振る。
 忒畝トクセも『またね』と手を振り返し、となりの家へと入って行く。──ふたりは家族会がなくても頻繁に会ってきた幼馴染みだ。

「ただい……」
「おかえり!」
 家に入るなりギュッと抱き締められ、忒畝トクセの声は途中で消える。
 抱き締められている人物が誰なのか忒畝トクセにはすぐわかる。こんなに感情的に抱き締めてくる大人は、ふたりしかいない。
 抵抗せず身を任せていると、今度はグッと体を離される。
 きれいな目鼻立ちは、母で間違いない。
 大きく見開かれた藤鼠色の瞳に、忒畝トクセはじっと見つめられた。
「大丈夫だった? いつもみたいに、問題解けた?」
「うん、僕はあんまり緊張とか……」
「あ~! よかった~!」
 再びギュッと忒畝トクセは抱き締められ──正直、苦しいが、母がこうして一喜一憂してくれるのが忒畝トクセはうれしい。
 ふと、スリッパで歩く音が聞こえ、忒畝トクセは父が来たと感じる。
悠李ユリさん、忒畝トクセを潰さないでくださいね」
 パッと、抱き締められていた腕が忒畝トクセから離れた──と思ったのも束の間。今度はふわっと体が浮く。
悠畝ヒサセくん……私、大事な息子を潰したりしないわよ」
 藤鼠色のふんわりとした三つ編みが忒畝トクセの頬をくすぐる。母の腕に居心地のよさを感じつつ、父の声がした方を見れば、妹も一緒だ。
「お兄ちゃ~ん!」
 やっと会話ができるようになった妹が手を伸ばす。忒畝トクセは自然と笑みを浮かべていた。
悠穂ユオ、ただいま」
 思わず手を伸ばす。
 その刹那、また忒畝トクセの体が少し浮いた。
「おかえり、忒畝トクセ
 今度は母に変わり、父に抱き上げられている。
 父に見つめられ、忒畝トクセはなぜか気恥ずかしくなった。
「ただいま」
 父は、忒畝トクセの憧れだ。
 父はやさしい。怒ることがあるとすれば、怪我をする危険があるときくらいだっただろうか。
「体に負担をかけないでくださいね、悠李ユリさん」
 母に寄りそうと、父は囁くように言った。母とも仲睦まじく、怒った姿を思い出す方が難しい。
 でも、きっと母はムッとした表情を浮かべている。照れ隠しだ。
 そろそろまた兄弟が増える。妹か、弟か。忒畝トクセにとっては、まだ答えのないこと。近頃の一番の楽しみだ。
 ストンと椅子に座らせられれば、アップルティーのいい香りがしてきた。父の大好きな紅茶の匂いだ。
「お疲れ様。さぁ、みんなでケーキの時間にしよう」
「わ~い! ケーキ~!」
 妹のうれしそうな声に、忒畝トクセの頬が緩む。
悠穂ユオ、お兄ちゃんが食べさせてあげる」
「ほんと~? わ~い!」
 父のとなりに座っていた妹がぴょんと椅子から飛び降り、忒畝トクセに駆けてくる。危ないと忒畝トクセは慌てたが、
「お兄ちゃん大好き~!」
 妹がキュッとつかんでくれば、不安は吹き飛び。
「僕も。悠穂ユオが大好きだよ」
 飛び込んで来たような妹を大切に抱き締める。
「となりに座って食べようね」
「は~い!」
 やさしく言えば、妹は忒畝トクセの腕から離れ、大人しく座った。

 白緑色の髪と薄荷色の瞳。
 忒畝トクセと同じ色彩であり、父とも同じ。

 かつて、伝説の女神とされた者の血を継ぐと言われ、それが苗字の由来と聞く。父が末裔であり、最後のひとりだったらしい。
 ただし、知る者は少ない。それでよかったと忒畝トクセは思う。
 この平穏が愛おしく、永遠に続いてほしいと願うから。



 およそ一ヶ月後、合格発表は紙での通知を受ける。

 大丈夫と思っても、実際に合格通知を手にするまではドキドキするもの。ほどよい緊張感を持ちながら、忒畝トクセは日々を過ごした。

 そして、通知はやってくる。
 忒畝トクセの場合は両親が勤務しているため、父から手渡された。きっと、馨民カミンも同様だ。

 忒畝トクセは受け取った封筒をドキドキしながら開封する。
 そうして、三つ折りにされた一枚の紙をじっと見つめながら開く。

 文字を見て、パッと笑む。
「合格したよ!」
 うれしそうな笑みを両親に向ける。
 忒畝トクセの弾んだ声に、わぁと歓喜が上がり、両親にも笑顔が咲く。妹はまだ理解できないのか、目をパチクリする。
「来月から学校に行くんだよ」
 妹に視線を合わせ、忒畝トクセはとニコニコと告げる。

 その光景を、両親は顔を見合わせ微笑み合う。
 恐らく、両親は忒畝トクセの合格を事前に知っていたに違いない。

 穏やかな空気の中、電話が鳴る。
 忒畝トクセは不意に顔を向けた。パタパタと母が駆け、受話器に手を伸ばす。
「はい……あら、酉惟ユイ?」
『ええ、元気よ』と続く。終始にこやかに話は交わされ、電話は手短に終わった。
 カチャリと受話器を置いた母が忒畝トクセを呼ぶ。
馨民カミンちゃんも受かったって」
 母の満面の笑みに、忒畝トクセも満面の笑みになる。信じていたが、やはり事実となれば喜びは格別だった。



 そうして迎えた、初登校の日。忒畝トクセは鞄を背負い、自宅を出る。試験の日のような堅苦しい格好ではなく、ラフな格好で。

「おはようございます」
 忒畝トクセがとなりの家へと顔をのぞかせると、
忒畝トクセくん!」
『おはよう』とウェーブのかかった小豆色の髪が波打った。同色の瞳が潰れる。──馨民カミンの母、釈来シャクナだ。
 釈来シャクナは父と幼馴染みだったらしい。だからか『おばさん』ではなく、忒畝トクセは物心ついたころから、
釈来シャクナさん、おはようございます」
 と、名前で呼んでしまう。
 釈来シャクナがまた、にこりと笑顔になる──と同時、
「おはよう!」
 今度は馨民カミンが飛び出してきた。すると、すぐにうしろから泣き声交じりに聞こえる。
「お姉ちゃん! 行っちゃ嫌!」
忒畝トクセ! はやく行こ!」
「え? あれ? 馨凛カリンちゃん?」
「ああ、もう! いいの!」
「だめだよ」
「だって! 馨凛カリンったら、つかんだら離さないのよ?」
「それは、馨民カミンのことが大好きだからでしょう?」
 怒ったような馨民カミン忒畝トクセは宥める。
トク兄ちゃん~! お姉ちゃん連れて行かないでぇ~……」
 涙声の幼子を釈来シャクナは抱き上げる。
「こら、馨凛カリン忒畝トクセくんを悪者みたいに言わないの」
「だってぇ~……」
 ヒック、ヒックと我慢するような声に、忒畝トクセはギュッと胸が痛くなった。
馨凛カリンちゃん、僕ら、ちょっと学校に行ってくるんだよ。……そうだ、何年かしたら、馨凛カリンちゃんも行くでしょう?」
 玄関と飛び出した馨民カミンとは反対に、忒畝トクセは玄関から身を乗り出す。
「ね? そうしたら三人で一緒に行けるよ?」
 妹をあやすように言うと、馨凛カリンはじぃ~っと忒畝トクセを見た。ボロボロとこぼした涙をグイグイと手で拭う。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

魔王と囚われた王妃 ~断末魔の声が、わたしの心を狂わせる~

長月京子
恋愛
絶世の美貌を謳われた王妃レイアの記憶に残っているのは、愛しい王の最期の声だけ。 凄惨な過去の衝撃から、ほとんどの記憶を失ったまま、レイアは魔界の城に囚われている。 人界を滅ぼした魔王ディオン。 逃亡を試みたレイアの前で、ディオンは共にあった侍女のノルンをためらいもなく切り捨てる。 「――おまえが、私を恐れるのか? ルシア」 恐れるレイアを、魔王はなぜかルシアと呼んだ。 彼と共に過ごすうちに、彼女はわからなくなる。 自分はルシアなのか。一体誰を愛し夢を語っていたのか。 失われ、蝕まれていく想い。 やがてルシアは、魔王ディオンの真実に辿り着く。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...