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遠き日々
【24】忠誠の証(3)
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悪夢を見たような感覚に囚われながら、払拭しようとすればするほど耳にした内容が繰り返され、刻み込まれる。
男は唏劉の部屋の近くを偶然通り、紗如が入っていくのを見たと話した。
すぐに出て来るのだろうと興味本位で扉を見ていたが、五分経っても十分経っても紗如は出ては来ない。
姫の身が心配になり、男は扉に耳を寄せた。すると、口論が聞こえたという。男は咄嗟にドアノブを回したと続けた。
ドアノブはあっさりと回り、驚きつつもそっと扉を開けた。声をかけるわけにもいかず、ゆっくり室内に進むと姫の喘ぎ声が微かに聞こえ、耳を疑いつつも足をはやめたという。
唏劉の背と、押し倒された紗如を見、すぐに伯父を呼びに走った。唏劉が姫と行為に及んでいると知った伯父は鬼の形相になり、唏劉の部屋へ突入。姫から唏劉を引きはがし、そのまま地下牢まで引きずった。
男は慌てて紗如に駆け寄ったが無礼と振り払われ、一時は姫の肌を見たかと追及を受け大変だったという。幸い、服は乱れていたものの、下着も見なかったと言い張った。
その後の野次馬の話で、唏劉は姫との行為をあっさりと認めたと聞く。
「ご覧の通りだ。言い訳もできない。私が姫を強引に犯したまで。どう処分されるのも覚悟の上だ。抵抗する気はない」
平然と兄は伯父に告げたそう。そうして、伯父は怒りのままに──留妃姫の静止に構わず、兄を。
自室に着き、世良は項垂れる。何をそこまで、あの我が儘姫を庇ったのかと。
もし、兄が否定すれば、姫の言動が露呈された。
立場上、兄は口が裂けても公言できなかったのだろう。
では、なぜ無難に姫を宥めて姫の言動をかわさなかったのか。
虚しさをどんなに重ねても、ひとつしか事実はない。
唏劉は姫を庇い、自ら汚名を被り全責任を負った。
悔しさと喪失感に打ちひしがれている世良に、内線が入る。紗如だ。
「元気?」
呼びかけてくる声は、何と憎々しいだろう。
「はい」
最短で返すも、
「そう。じゃあ、待っているわね」
と、一方的に電話は切れる。
仮に『いいえ』と一文字増やした言葉で返答したところで、紗如の言う内容は変わらなかっただろう。
馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う。呼ばれた理由は明白だ。やはり、情けを向けるのではなかった。
兄の代わりだ。当然ながら、世良はそういう意味で紗如に言い残したわけではない。けれど、紗如は別人と世良を見ていない。
行かないこともできた。
久し振りに顔を合わせて、込み上げた感情のままに──兄の犠牲とも取れる行動を『貴女が取らせた』と責めることもできた。
だが、世良はどちらもしなかった。
言われた通りに紗如の部屋を訪ね、求められるままに兄の代わりをした。
紗如は弱い。苛立つほどに。
己のために身を挺した人の死を受け止めれずに、その弟にすがってくる。
世良が相手にしなければ、紗如は兄の後を追うのだろう。
それは、兄の望むことでも、まして同志になりたいと願った留妃姫の望むことでもない。いや、ふたりにとっては最悪の事態か。
紗如とふたりきりの空間で、世良は紗如をベッドに投げつける。
誰もが本名で呼ばなくなったにも関わらず、紗如だけは『唏劉』と彼を呼ぶ。
生来の色も捨てたにも関わらず。
紗如対し、憎しみだけが募る。
世良を突き動かすのは、憎しみだけだ。
そうして、紗如を傷つけ、自らも傷ついていった。
それからも紗如は、たまに世良呼びつけ続けた。
会えば傷つけ合うだけの関係なのに、ポツリポツリと続く。繰り返す悲痛は、不可思議な悪循環だ。
紗如との関係に変化があったのは、更に一ヶ月ほどが過ぎたころ。
世良の部屋に紗如が現れギョッとすると、
「ありがとう」
と微笑んだ。
幸せそうな笑みに世良が言葉を返せずにいると、紗如はそっと腹部に両手をあてる。
すっと光が紗如を照らした。
その光景は希望の光に満ちていて、紗如の腹部に本来いるべき子が舞い戻ったかのように世良には思えた。
「私に言うことではありません。……ほら、お体に障るといけません」
初めて紗如にやさしい言葉をかけられ、世良は安堵する。──これで紗如との関係は終わるだろう。
力が抜けるかのように、気が楽になった。
誰かを憎しみ続けるのは、心の消耗が激しい。
紗如を気遣い、自室を出る。守るべき姫に付き添い、廊下を歩く。
幸せそうに紗如は笑っている。ようやく紗如も落ち着いたのだろうと、肩の荷が下りた。
これまで通り、静養していた部屋に行くと思い付き添っていた世良は、紫紺の絨毯を見て立ち止まる。
──そうか、本来は……。
この先の部屋で過ごすことが、紗如にとっては当たり前こと。
世良は歯車が正しく噛み合っていくように感じた。
ふと、紫紺の絨毯の奥に人を認めた。
女性の使用人が紗如を待っていた。世良は紗如から一歩後退する。
それに気づいた紗如は、世良に笑みを投げ使用人へと踏み出す。
ひとつの扉が開いた。
その扉から、姫の帰りを待っていたかのように、何人もの使用人が出てきて並ぶ。
遠ざかっていく紗如の背を見送りつつ、圧巻とする光景に世良は存在の遠さを実感する。
使用人たちが一様に深く頭を下げた。
紗如は一瞥して部屋へと入っていく。
使用人たちも紗如を追い入室すると、パタリと扉が閉まった。
本来の関係性を見せつけられ、世良はなぜか寂しさを覚える。けれど、手のかかっていたことが離れていくのは、どんなことでも似た感情を抱くものだと世良は己を納得させた。
男は唏劉の部屋の近くを偶然通り、紗如が入っていくのを見たと話した。
すぐに出て来るのだろうと興味本位で扉を見ていたが、五分経っても十分経っても紗如は出ては来ない。
姫の身が心配になり、男は扉に耳を寄せた。すると、口論が聞こえたという。男は咄嗟にドアノブを回したと続けた。
ドアノブはあっさりと回り、驚きつつもそっと扉を開けた。声をかけるわけにもいかず、ゆっくり室内に進むと姫の喘ぎ声が微かに聞こえ、耳を疑いつつも足をはやめたという。
唏劉の背と、押し倒された紗如を見、すぐに伯父を呼びに走った。唏劉が姫と行為に及んでいると知った伯父は鬼の形相になり、唏劉の部屋へ突入。姫から唏劉を引きはがし、そのまま地下牢まで引きずった。
男は慌てて紗如に駆け寄ったが無礼と振り払われ、一時は姫の肌を見たかと追及を受け大変だったという。幸い、服は乱れていたものの、下着も見なかったと言い張った。
その後の野次馬の話で、唏劉は姫との行為をあっさりと認めたと聞く。
「ご覧の通りだ。言い訳もできない。私が姫を強引に犯したまで。どう処分されるのも覚悟の上だ。抵抗する気はない」
平然と兄は伯父に告げたそう。そうして、伯父は怒りのままに──留妃姫の静止に構わず、兄を。
自室に着き、世良は項垂れる。何をそこまで、あの我が儘姫を庇ったのかと。
もし、兄が否定すれば、姫の言動が露呈された。
立場上、兄は口が裂けても公言できなかったのだろう。
では、なぜ無難に姫を宥めて姫の言動をかわさなかったのか。
虚しさをどんなに重ねても、ひとつしか事実はない。
唏劉は姫を庇い、自ら汚名を被り全責任を負った。
悔しさと喪失感に打ちひしがれている世良に、内線が入る。紗如だ。
「元気?」
呼びかけてくる声は、何と憎々しいだろう。
「はい」
最短で返すも、
「そう。じゃあ、待っているわね」
と、一方的に電話は切れる。
仮に『いいえ』と一文字増やした言葉で返答したところで、紗如の言う内容は変わらなかっただろう。
馬鹿馬鹿しいと鼻で笑う。呼ばれた理由は明白だ。やはり、情けを向けるのではなかった。
兄の代わりだ。当然ながら、世良はそういう意味で紗如に言い残したわけではない。けれど、紗如は別人と世良を見ていない。
行かないこともできた。
久し振りに顔を合わせて、込み上げた感情のままに──兄の犠牲とも取れる行動を『貴女が取らせた』と責めることもできた。
だが、世良はどちらもしなかった。
言われた通りに紗如の部屋を訪ね、求められるままに兄の代わりをした。
紗如は弱い。苛立つほどに。
己のために身を挺した人の死を受け止めれずに、その弟にすがってくる。
世良が相手にしなければ、紗如は兄の後を追うのだろう。
それは、兄の望むことでも、まして同志になりたいと願った留妃姫の望むことでもない。いや、ふたりにとっては最悪の事態か。
紗如とふたりきりの空間で、世良は紗如をベッドに投げつける。
誰もが本名で呼ばなくなったにも関わらず、紗如だけは『唏劉』と彼を呼ぶ。
生来の色も捨てたにも関わらず。
紗如対し、憎しみだけが募る。
世良を突き動かすのは、憎しみだけだ。
そうして、紗如を傷つけ、自らも傷ついていった。
それからも紗如は、たまに世良呼びつけ続けた。
会えば傷つけ合うだけの関係なのに、ポツリポツリと続く。繰り返す悲痛は、不可思議な悪循環だ。
紗如との関係に変化があったのは、更に一ヶ月ほどが過ぎたころ。
世良の部屋に紗如が現れギョッとすると、
「ありがとう」
と微笑んだ。
幸せそうな笑みに世良が言葉を返せずにいると、紗如はそっと腹部に両手をあてる。
すっと光が紗如を照らした。
その光景は希望の光に満ちていて、紗如の腹部に本来いるべき子が舞い戻ったかのように世良には思えた。
「私に言うことではありません。……ほら、お体に障るといけません」
初めて紗如にやさしい言葉をかけられ、世良は安堵する。──これで紗如との関係は終わるだろう。
力が抜けるかのように、気が楽になった。
誰かを憎しみ続けるのは、心の消耗が激しい。
紗如を気遣い、自室を出る。守るべき姫に付き添い、廊下を歩く。
幸せそうに紗如は笑っている。ようやく紗如も落ち着いたのだろうと、肩の荷が下りた。
これまで通り、静養していた部屋に行くと思い付き添っていた世良は、紫紺の絨毯を見て立ち止まる。
──そうか、本来は……。
この先の部屋で過ごすことが、紗如にとっては当たり前こと。
世良は歯車が正しく噛み合っていくように感じた。
ふと、紫紺の絨毯の奥に人を認めた。
女性の使用人が紗如を待っていた。世良は紗如から一歩後退する。
それに気づいた紗如は、世良に笑みを投げ使用人へと踏み出す。
ひとつの扉が開いた。
その扉から、姫の帰りを待っていたかのように、何人もの使用人が出てきて並ぶ。
遠ざかっていく紗如の背を見送りつつ、圧巻とする光景に世良は存在の遠さを実感する。
使用人たちが一様に深く頭を下げた。
紗如は一瞥して部屋へと入っていく。
使用人たちも紗如を追い入室すると、パタリと扉が閉まった。
本来の関係性を見せつけられ、世良はなぜか寂しさを覚える。けれど、手のかかっていたことが離れていくのは、どんなことでも似た感情を抱くものだと世良は己を納得させた。
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