上 下
287 / 379
幻想と真実を追う者

【15】幻影を追う者(2)

しおりを挟む
颯唏サツキ様!」
 大臣は失言だと叱咤する。
 颯唏サツキは迷う。目的のためならどんな犠牲も厭わないと決めてきたはずだった。琉倚ルイに会うまでは。
 けれど、大臣をここで言いくるめられない以上、きれいごとだけでは乗り越えられない。腹をくくろうとした、そのとき、
「わ、私は」
 と、琉倚ルイが呟く。
 颯唏サツキが力を緩めて琉倚ルイを覗き込むと、うつむき震えながら琉倚ルイははっきりと主張する。
「私は、颯唏サツキくんとは……結婚しない」
 小刻みに震える琉倚ルイに、颯唏サツキの力はスルリと抜け落ちた。琉倚ルイの瞳は大臣を見ていて──まるで、助けを求めるように涙をたっぷりと浮かべていた。
 琉倚ルイから手が滑り落ちた颯唏サツキに、言い難い胸の痛みが走る。瞳が潤んだ。くずれゆく颯唏サツキは、そのまま顔を伏せて跪き誓う。
「俺は断じて諦めません。貴女が認めてくれるまで……何日でも通い続けます」
 涙は引かなかったが、颯唏サツキ琉倚ルイを見上げる。琉倚ルイの視線は下がっていたが、颯唏サツキを視界に入れまいと頑なに拒絶していた。



 帰路は、颯唏サツキの方が重い空気を纏っている。撃沈だ。琉倚ルイを救いたいと願い、一瞬でも自らの動きによっては救えるのだと高を括った。どれほどおごり高ぶっていたか。己の傲慢さを思い知った。
 颯唏サツキにとって琉倚ルイは必須だ。あれほど嫌われたのなら、とにかく、次の一手を考えなければならない。

 意気消沈している姿に、大臣がため息交じりに話しかける。
颯唏サツキ様、ご結婚したい……なんて、聞いていませんでしたよ」
 己の過失だと言い放つ大臣に、颯唏サツキはゆっくりと視界を上げる。
「大臣」
 鴻嫗トキウ城まで、あとどれほどあるだろう。大臣の言った通りだ。長居をするような場所ではなかった。
「帰城したら、話がある」
 颯唏サツキは一言だけ言い、口を噤む。悪路が、体調不良に輪をかける。
「かしこまりました。……大丈夫ですか」
「大臣こそ。……忠告は受けた。自己責任だ」
 颯唏サツキのはやまる呼吸と、大臣のため息が混じり室内の空気をより重くする。老体の大臣だが、基礎体力は予想通り化け物並みらしい。ずっと剣に勤しんできた颯唏サツキが追い付かないほど。
 颯唏サツキと同年代のとき、大臣は、沙稀イサキは、──その、そもそもの基礎が違いすぎるのだ。
 恐らくは琉倚ルイも。涼舞リャクブ城の末裔として、沙稀イサキの婚約者として、どれだけの鍛錬を積んできたことか。琉倚ルイに力では勝てると踏んでいたが、力勝負を挑んだなら颯唏サツキは負けていたかもしれない。



 悪路が舗装された道になり、颯唏サツキの容態が徐々に落ち着きを取り戻す。窓から見える鴻嫗トキウ城に安堵する。所詮は温室育ちだと、なぶられた気分だ。

 馬車が見慣れた光景で止まり、大臣が降りる。伸ばされた手を取らずに颯唏サツキは地に足をつけた。
「これから……いいか?」
「はい」
 背筋を伸ばし、颯唏サツキは城内へと歩く。羅凍ラトウレキも、姉まで迎えに来てくれていたが、颯唏サツキは疲れた笑みを浮かべるしかできなかった。

 紫紺の絨毯を避け、淡々と歩く颯唏サツキのあとに従い歩く大臣は、途中から行先に気づいただろう。
「まさか……なぜ……」
 戸惑いが隠せないのは、当然だと颯唏サツキは大臣に共感する。颯唏サツキにだって、なぜあんな夢を見たのかと、疑いながら追った日を忘れたことがないからだ。

 鍵を取り出し、開錠する。見なくても大臣の表情は伝わってくるから、颯唏サツキは見ずに足を進める。
 すぐに着いてくる気配がなくても心配ない。
 大臣は知っているはずだし、のだから。

 颯唏サツキが足を止めた先は、紗如サユキ唏劉キリュウの描かれた絵画が掲げられている場所。『始まっている』と大臣に告げるには、これ以上に相応しい場所はない。颯唏サツキが絵画を見上げていると、大臣が入りづらそうに顔を出した。
 颯唏サツキには、この絵画に用はない。ちいさな机の前へと向かう。

「俺は、涼舞リャクブ城を再建したい」
「どういうことですか?」
 暗く沈んだままの颯唏サツキの声に、大臣は真意を問う。正面の窓を見つめていた視線を、おもむろに下げる。机の引き出しを開け、大金を次々と出していく。
 すべて並べたころには、すっかり机の上を占領するほどになっていた。
「これで涼舞リャクブ城の跡地を購入する。あの塔に関しても同様だ。そうすれば、琉倚ルイ姫を見ている使用人だって、それなりの生活には困らないはずだ」
 大臣が近づく足音が響く。疑問を抱えて当然だろう。颯唏サツキは机の上が見やすいように、敢えて体を避けた。
「これは……どうしたのですか?」
 容易に揃えられない大金だ。とても颯唏サツキひとりでどうにかできる金額ではない。大臣が工面しようとしても、難しい金額だろう。いくら温室育ちの颯唏サツキでも、そのくらいはわかる。だからこそ、颯唏サツキは打ち明ける。
「父上の遺した物だよ」
 颯唏サツキの重い告白に、大臣は首を横に振る。
沙稀イサキ様は何も。恭良ユキヅキ様も知らなかったのでは……」
「だろうね、誰にも言ってない」
サツ……、様?」
「やり残したことを、俺はしなくてはいけない」
 クロッカスの瞳は、悲しみを強くまとう。腰まであるクロッカスの髪が、シガラミのように見えた。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

優しく微笑んでくれる婚約者を手放した後悔

しゃーりん
恋愛
エルネストは12歳の時、2歳年下のオリビアと婚約した。 彼女は大人しく、エルネストの話をニコニコと聞いて相槌をうってくれる優しい子だった。 そんな彼女との穏やかな時間が好きだった。 なのに、学園に入ってからの俺は周りに影響されてしまったり、令嬢と親しくなってしまった。 その令嬢と結婚するためにオリビアとの婚約を解消してしまったことを後悔する男のお話です。

婚約破棄が成立したので遠慮はやめます

カレイ
恋愛
 婚約破棄を喰らった侯爵令嬢が、それを逆手に遠慮をやめ、思ったことをそのまま口に出していく話。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

捨てられたなら 〜婚約破棄された私に出来ること〜

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
長年の婚約者だった王太子殿下から婚約破棄を言い渡されたクリスティン。 彼女は婚約破棄を受け入れ、周りも処理に動き出します。 さて、どうなりますでしょうか…… 別作品のボツネタ救済です(ヒロインの名前と設定のみ)。 突然のポイント数増加に驚いています。HOTランキングですか? 自分には縁のないものだと思っていたのでびっくりしました。 私の拙い作品をたくさんの方に読んでいただけて嬉しいです。 それに伴い、たくさんの方から感想をいただくようになりました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただけたらと思いますので、中にはいただいたコメントを非公開とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきますし、削除はいたしません。 7/16 最終部がわかりにくいとのご指摘をいただき、訂正しました。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

私があなたを好きだったころ

豆狸
恋愛
「……エヴァンジェリン。僕には好きな女性がいる。初恋の人なんだ。学園の三年間だけでいいから、聖花祭は彼女と過ごさせてくれ」 ※1/10タグの『婚約解消』を『婚約→白紙撤回』に訂正しました。

処理中です...