上 下
59 / 376
王位継承──前編

【36】言いたかった言葉(2)

しおりを挟む
 妙なヤキモチをやいて気を引きたいのかと思い、瑠既リュウキはつい、笑ってしまう。
「それは何? 俺の気持ちを理解してて、そんなの言ってんの?」
 返事はない。
 しかし瑠既リュウキには、倭穏ワシズの表情を見なくても容易に想像できる。
 今までも倭穏ワシズは、妙にヤキモチをやくことがあった。それは、彼女の自信のなさによるもの。自分に自信がないという気持ちは、瑠既リュウキにはよく理解できる。
 鴻嫗トキウ城を出てからというもの、ロクな経験はない。長い間、同性とも異性とも何十人もの相手をさせられ、学びからは遠のき、学力と呼べる程度のものもない。アヤに来てから居場所ができたと思っていても、ヨシに出て行けと言われたら、それさえも失う。
 そう思えば倭穏ワシズの劣等感はちいさいものだと言いたくもなるが、大小を決めるのは本人だ。
 だから、嫉妬をされるとうれしくなってしまう。変にヤキモチをやく倭穏ワシズはかわいくて仕方ない。
「ほら、こっち向きな」
 瑠既リュウキの思った通り、倭穏ワシズは子どもがグズるような顔をしていた。予想通りの反応に、瑠既リュウキの頬はゆるむ。
 ──まったく。
 ふしぎだった。こんなに安心して、まるで自分ではないかのようにおだやかな気持ちになれる。こんな気持ちになれるのは、倭穏ワシズといるときだけだ。
「俺は、お前を愛してる。知ってるだろ? わかってるだろ? 俺が倭穏ワシズをここに連れてきたくなかったのは今みたいに、こんな風にお前が感じたら嫌と思ったからだ。俺はね、ずっとお前と結婚したくて、その了承を得るためにここに来たんだよ」
 いつになく、素直に言えた言葉。やっと言えた、言いたかった言葉。
 本当は、この先も出生を伝える気はなかった。だが、もし、結婚してから出生の話になったら。正式に鴻嫗トキウ城から出ていれば、笑い話として話せるときがくるかもしれないと思っていた。
 沙稀イサキの王位継承が終われば──いや、本人にその意思がなく、たとえ現状のままだとしても。沙稀イサキの件のあとに今後の話を大臣とすれば、それで済む。もし、沙稀イサキを正規の立場に戻せなかったとしても、わざわざきたことは無意味ではない。本人の意志を無視して強制するつもりは元々ないし、本人の意志が確認できたのなら、それで充分だ。
 目の前の倭穏ワシズは、大きく見開いた瞳に涙をためている。
「安心した?」
 頬がゆるんだまま瑠既リュウキは問う。すると倭穏ワシズはハッとし、口を大きく開く。
「そ、そんなこと……瑠既リュウキが考えてるだなんて、一度も聞いたことないわよ」
「俺だって、こんな風に言うなんて……思ってもなかったよ。プロポーズする前に、こんな話するなんてさ。格好のひとつもつきやしない。……だから、ほら。安心したなら忘れちゃいなさい」
「嫌よ、もったいない」
 強い口調に、瑠既リュウキは恥ずかしさが込み上げる。珍しく、顔が熱くなる。
 倭穏ワシズ瑠既リュウキの気持ちを知っても照れるでも、驚くでもなかった。ただ、うれしいとも言わなかったが、倭穏ワシズの想いは伝わってくる。
「帰ったら、きちんと言ってあげるから」
 そろそろ恥ずかしさの限界だ。
「ね」
 念押しの一言。
 これには周囲に花が咲くほど、倭穏ワシズは喜んだ。満足そうに笑う。
「仕方ないなぁ。じゃ、忘れられなくても。忘れたフリしててあげるわよ」
 その笑顔は、まるでウエディングドレスを着ているかのようだった。



 瑠既リュウキが目を覚ますと、倭穏ワシズは目の前で横たわっていた。頬に冷たいものを感じる。──涙だ。
 涙を拭い、そっと、倭穏ワシズの頬に触れる。やさしくなで、頬を滑らせる。人差し指の側面で顎を少し持ち上げ、親指でかすかに唇に触れる。
 顔を近づける。息を吹き込むように──いや、普段と変わらぬように唇を重ねる。

 ──愛している。
 幼いころに、深く教え込まれた行為の意味を、瑠既リュウキは忘れはしない。愛しさを伝える、重大な行為。
 だからこそ、口づけは鴻嫗トキウ城にとって正式な婚約が成立する行為でもある。愛しい人にだけ、捧げる行い。
 祖母に教え込まれたこの仕来りを、瑠既リュウキは幼いながらに夢見ていた。おとぎ話のように、キラキラとしたものだった。憧れだった。なんてロマンチックで胸が幸せでいっぱいになるのだろうと。憧れ、夢見て、幸せをつかもうとしたからこそ、『家族の前で』という条件もきっちり含むよう実行した。『懐迂カイウ』が清い体と認めるのは、婚約のときの、ただ一度だけの口づけだから──。
懐迂カイウ』のことを諦めてからも、忘れたことはない。だからこそ、苦しみ続けてきた。
 想いを言葉にしなくても、伝わればいいといつも思いながら倭穏ワシズにはしてきた。そうして、いつも伝わっていると思えるような反応を、倭穏ワシズは返してくれていた。
 しかし、今は。
 ただ、静かに。
 何も反応がないことに、現実と夢が交錯する。浸み込んでくるように感じる、眼球の潤い。

 ゆっくりと唇を離す。再び、倭穏ワシズの頬に触れる。そっと触れる手は、確かに残っている倭穏ワシズの体温を伝えてくる。
「なぁ、起きろよ。もう……そんな風に俺の気を引くようなそぶりを続けなくていいんだよ、なぁ……。一緒にはやく帰ろうぜ。帰って、泌稜ヒイズの丘に行って、また馬鹿みたいにふざけあってさ……プロポーズして、お前の照れる顔見てさ、ウエディングドレス着てはしゃぐ姿見てさ、ヨシさん男泣きさせてさ……」
 徐々に詰まる声を抑えるように、倭穏ワシズの手に自らの手を重ねる。その手は、消えていく声の変わりに力を増していった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

淫らな蜜に狂わされ

歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。 全体的に性的表現・性行為あり。 他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。 全3話完結済みです。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

兄を溺愛する母に捨てられたので私は家族を捨てる事にします!

ユウ
恋愛
幼い頃から兄を溺愛する母。 自由奔放で独身貴族を貫いていた兄がようやく結婚を決めた。 しかし、兄の結婚で全てが崩壊する事になった。 「今すぐこの邸から出て行ってくれる?遺産相続も放棄して」 「は?」 母の我儘に振り回され同居し世話をして来たのに理不尽な理由で邸から追い出されることになったマリーは自分勝手な母に愛想が尽きた。 「もう縁を切ろう」 「マリー」 家族は夫だけだと思い領地を離れることにしたそんな中。 義母から同居を願い出られることになり、マリー達は義母の元に身を寄せることになった。 対するマリーの母は念願の新生活と思いきや、思ったように進まず新たな嫁はびっくり箱のような人物で生活にも支障が起きた事でマリーを呼び戻そうとするも。 「無理ですわ。王都から領地まで遠すぎます」 都合の良い時だけ利用する母に愛情はない。 「お兄様にお任せします」 実母よりも大事にしてくれる義母と夫を優先しすることにしたのだった。

もう死んでしまった私へ

ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。 幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか? 今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!! ゆるゆる設定です。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

処理中です...