上 下
40 / 379
招かざる者

【23】恋人(2)

しおりを挟む
「似合いすぎ」
 倭穏ワシズはうつむき、どこかソワソワしている。
「そんなに似合うと思わなかったんだもん。本当に、ここの人なんだって……思っちゃったんだもん。瑠既リュウキを、こんなに遠い存在の人に感じるなんて、思わなかった」
 怒っているような、それでいて照れた様子で涙声になる倭穏ワシズ瑠既リュウキは思わず手を伸ばし、うしろから抱き締める。
「バカだなぁ。なぁに言ってんの。俺は俺じゃん」
「ねぇ。瑠既リュウキ
「あん?」
「私のこと、本当に好きなの?」
 瑠既リュウキアヤにいるときと変わらぬ態度でいたつもりだが、倭穏ワシズは見えない壁を感じていたのかもしれない。
 それはそうだ。倭穏ワシズはただでさえ、貴族や城といったものと無関係の世界にいた。雑多で、いつも賑やかで、繁華街の中心にいた。鴻嫗トキウ城に突然来て、別世界に迷いこんだような錯覚、戸惑いを感じても仕方ない。
 いつになく元気がない声に聞こえた瑠既リュウキは、何も気づいていないかのように明るく返事をしてみせる。
「なぁ~に言ってんだよ」
「ハッキリ言ってよ!」
 怒りが爆破した。倭穏ワシズは、不真面目な口調が気に入らなかったようだ。瑠既リュウキはそれをまるっと受け止め、口調を改めて言う。
「ったく、愚問だな。愛してるよ」
「本当?」
 ふと振り向いた倭穏ワシズは、涙ぐんでいる。
 瑠既リュウキは驚く。ここまで追い詰めているとは思いもしなかった。
 目を丸くした瑠既リュウキを見て、倭穏ワシズは目を背ける。その様子に、瑠既リュウキは笑う。めったに見せないそぶりが愛らしく、そっと耳元に唇を近づける。
「ああ、何なら今ここで、いつも通り抱いてやろうか?」
 次の瞬間、倭穏ワシズを押し倒す。
 ただ、それに勢いはつかず。瑠既リュウキは両肘をついたまま、倭穏ワシズの頬と髪をなでまわし、ジッと見つめる。
 ふたりの視線は合ったまま──倭穏ワシズはいてもたってもいられなくなった。スッとすり抜けて上半身を起こすと、
「バカ! い~、い~わよ。もう……聞いた私が悪かったわっ」
 照れながら怒る。その様子には安堵が感じられ、
「はい、わかればそれでいい」
 と、瑠既リュウキ倭穏ワシズを強く包み込んだ。



 梛懦乙ナジュト大陸に到着する前の晩、倭穏ワシズは気丈にも、
「なんて言うのが正しいのか、話して」
 と、瑠既リュウキの問いに言った。瑠既リュウキの身分をわかっても、倭穏ワシズは一緒に鴻嫗トキウ城へと来ていたのだ。



 昨夜、船のバルコニーでのこと。

 船は進んでいた。夜は明け、よく晴れた空が広がっている。大陸の中でも温暖な楓珠フウジュ大陸にいたせいか、朝の空気はより冷たいものに感じられた。梛懦乙ナジュト大陸に近づいている証拠だ。
 瑠既リュウキは弟と会えるのも恐らく今回が最後だと思い、たくさん話したいと思っていた。
 ──しかし、今更何を。
 そう思いを巡らせていたときだった。
瑠既リュウキ
 静かな空気を背後からの声が揺らした。倭穏ワシズだ。
「目が覚めたら、また姿がなかったんだもん。もしかしてと思って、バルコニ─に来てよかった」
 風で揺られる髪を抑え、倭穏ワシズ瑠既リュウキのとなりまで来る。
「他の大陸は寒いとは聞いていたけど、本当ね。私たちがいた楓珠フウジュ大陸より、空気が冷たい。……体が冷える前に中に入ろう? そろそろ着くんでしょ」
 倭穏ワシズの声は、ただ瑠既リュウキの耳を通過した。気づけば、祖母から聞いた話を話していた。
「お前は、これから着く絢朱シンジュから鴻嫗トキウ城にかかる海の一部を、正式には何と呼ぶか……知っているか?」
 遠くの波を見たまま、瑠既リュウキ倭穏ワシズに問いかける。
「え?」
 瑠既リュウキはぼんやりしているようなのに、その表情はどこかさみしそうに見えて、倭穏ワシズは言葉を詰まらせる。
絢朱シンジュにいる人たちでさえも、半数くらいしか知らないような話だ。楓珠フウジュ大陸で生まれたお前は知らなくて当然か」
 終わってしまいそうな口ぶりに、倭穏ワシズは咄嗟に口を開いた。
「なんて言うのが正しいのか、話して」
 閉じかけた瑠既リュウキの口は、促されるように動き始める。
海胡カイウというんだ。これは鴻嫗トキウ城の者が婚式の前夜のみに開かれる、聖なる泉の『懐迂カイウ』に由来している。その儀式は、清い体のままのふたりが暗い泉の中で婚約者を捜すらしい。同時刻に離れた場所から視界も聴覚もなく、さまよって探し当てるんだ。心底愛し合う者同士なら、朝を迎えるまでに出逢える。そして、それが誓いの証拠。ふたりが愛を誓えたなら、泉は海胡カイウと共鳴をして祝福し、美しく光り輝いて絢朱シンジュの街にも喜びを伝えるのさ。……もっとも、この数百年間は輝いてないらしいから、忘れられちまっても仕方のないことけどな」
 冷たい風の吹く中、倭穏ワシズは言葉を失った。瑠既リュウキの声までもが悲しそうに聞こえた理由がわかってしまった気がして。この船に乗ってから、彼が見せる悲しげな表情の意味までわかってしまった気がして。
 今まで意識したことがなかった。それに、今更気づいた。瑠既リュウキは髪も瞳も、高貴な血を継ぐ者しか持ちえないクロッカスの色だ。
 ──どうして、そんなことに、今まで気づかなかったのか。いや、見ないふりをしていて、一緒にいるうちに見慣れてしまって、忘れてしまっていただけだったのかもしれない。
 確かに瑠既リュウキヨシに抱きかかえられて、初めてアヤに来たとき──その髪は、長髪だった。
 アヤに来て数日が経ったころ、瑠既リュウキは泣きながら長い髪を切っていた。倭穏ワシズは偶然目にしてしまい、その場から逃げた。当時はふしぎに思っていたが、数年後にはわかった気になっていた。
 倭穏ワシズが十五歳のとき、初めて瑠既リュウキと結ばれた。恋人になって結ばれたわけじゃない。あれは、慰めだった。そのとき、瑠既リュウキ倭穏ワシズ以上に震えて、崩れ落ちていきそうな心に耐えながら、アヤに来る前のことを、誰にも言えないことを教えてくれた。
「少女の人形のように扱われていた」
 倭穏ワシズの体験よりも幼いときに、尚且つ、同性からの体験はどんなに辛かっただろう。──髪を切ったときに泣いていた理由は、ずっとその思い出が刻まれていたからだと倭穏ワシズは勘違いしていた。
 長髪を短く切る──その行動は貴族にとって、生家との決別を意味する。瑠既リュウキがいくら少女のような扱いを受けても、髪を切らずに耐えたのは、そういう理由だ。切ったときの思いは倭穏ワシズにはわからない。だが、泣いていた理由は、その行動の意味を噛み締めていたからで。
 瑠既リュウキは、負の感情は滅多に見せない。瑠既リュウキと恋人になってからも、倭穏ワシズは気を惹きたくて浮気をしても、怒りもしない。しんみりする話も、パッと明るくしてみせる。人見知りの激しかった彼が、いつの間にかそんな人になって──だから、忘れてしまっていた。
「さて、悪かったな。冷えただろ、入るか」
 無口になった倭穏ワシズを見、瑠既リュウキは肩に触れる。倭穏ワシズはコクンとうなづくだけで、瑠既リュウキは更に言葉を続ける。
「あ~あ。だ~から待ってりゃあよかったのに」
「私、船降りたらすぐ帰ってもいいよ」
「あのな」
「だって、連れてきたくなかったんでしょ」
「余計な心配をするからな、お前は」
 互いに言葉を被せる様な勢いで話していたが、倭穏ワシズが何も言えなくなったと感じた瑠既リュウキは肩を抱き寄せ、頭をなでる。
「はい。俺にとったら懐かしい風でも、お前にとったら単に冷たい風だ。ほら、行くぞ」
 倭穏ワシズをパッと離し歩き出す瑠既リュウキ。その手を倭穏ワシズは引っ張り、強く握った。
 それだけで、彼女の不安が瑠既リュウキに痛いほど伝わった。

 絢朱シンジュに着く前からふたりは船の出入り口にいた。降りてから、倭穏ワシズは船をふり返った。戻った方が迷惑にならないのではないかと思って。
 それに気づいた瑠既リュウキ倭穏ワシズの手を引いた。
「折角来たんだから、俺の生まれた家……観光だと思って見ていけばいいじゃん」
 この言葉を聞いて、倭穏ワシズはようやく瑠既リュウキが生家を知られたくなかったんだと気づいた。気づかれたからこそ、来いと言っている。
「そうね……一生の思い出になりそうだから、思いっきり楽しむとするわ!」
 倭穏ワシズの返事に、瑠既リュウキはうれしそうに笑った。

 絢朱シンジュから木々を避けて道を進めば、すぐに半球体や円錐の臙脂エンジ色の屋根が見えてきた。外観はアーチを描いている部分が多く、独特な形状が懐かしい。緋倉ヒソウ絢朱シンジュも、鴻嫗トキウ城の大きさに敵わない。

 呆然と見上げながら歩く倭穏ワシズの手を引き、鴻嫗トキウ城には正門から入った。
瑠既リュウキが帰ったと言えば、大臣は飛んでくる」
 そう門番に伝えたら、本当に大臣は飛んできた。そして、
「俺の恋人」
 と、倭穏ワシズを紹介したのだった。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

優しく微笑んでくれる婚約者を手放した後悔

しゃーりん
恋愛
エルネストは12歳の時、2歳年下のオリビアと婚約した。 彼女は大人しく、エルネストの話をニコニコと聞いて相槌をうってくれる優しい子だった。 そんな彼女との穏やかな時間が好きだった。 なのに、学園に入ってからの俺は周りに影響されてしまったり、令嬢と親しくなってしまった。 その令嬢と結婚するためにオリビアとの婚約を解消してしまったことを後悔する男のお話です。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

【完結】引きこもりが異世界でお飾りの妻になったら「愛する事はない」と言った夫が溺愛してきて鬱陶しい。

千紫万紅
恋愛
男爵令嬢アイリスは15歳の若さで冷徹公爵と噂される男のお飾りの妻になり公爵家の領地に軟禁同然の生活を強いられる事になった。 だがその3年後、冷徹公爵ラファエルに突然王都に呼び出されたアイリスは「女性として愛するつもりは無いと」言っていた冷徹公爵に、「君とはこれから愛し合う夫婦になりたいと」宣言されて。 いやでも、貴方……美人な平民の恋人いませんでしたっけ……? と、お飾りの妻生活を謳歌していた 引きこもり はとても嫌そうな顔をした。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

義妹が大事だと優先するので私も義兄を優先する事にしました

さこの
恋愛
婚約者のラウロ様は義妹を優先する。 私との約束なんかなかったかのように… それをやんわり注意すると、君は家族を大事にしないのか?冷たい女だな。と言われました。 そうですか…あなたの目にはそのように映るのですね… 分かりました。それでは私も義兄を優先する事にしますね!大事な家族なので!

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。

処理中です...