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『第二部【後半】幻想と真実』 未来と過去に向かって
【1】兄
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沙稀の葬儀が終わり、鴻嫗城が落ち着きを取り戻したときのこと。瑠既は大臣に呼ばれた。
大臣の部屋に入るまでは明るい光が城内に差し込んでいたというのに、気持ちが反映されたかのように影が室内を覆う。
「どういうことだ」
対面する大臣の一言を聞き、瑠既は明らかに不機嫌な声を出す。
「ですから……」
「黎も彩綺も……沙稀が『俺の双子の弟』だと、すでに理解している。誰よりも誄姫は……俺にだって消せない、決して消させたくない『事実』だ。それなのにどうして? どうして、よりにもよって大臣がそんなことを言うんだ!」
声は次第に荒いものに変わっていた。そして、悔しそうに一度口を閉じる。
両手に自然と力が入り、拳は震えている。
「大臣が一番よくわかっていると思ってた。沙稀は……沙稀は大臣のことを信頼していた。それなのに……」
「それは、貴男がいなかったからです。……それだけです」
大臣の声が止まり、沈黙が流れる。
大臣の部屋から一歩出れば明るく、眩しい光が包む城内が広がっているだろう。けれど、それは遠い景色のようで、こことはまるで別世界だ。
「庾月様と颯唏様に、沙稀様が育った環境をお伝えしたくはありません」
「話すべきだろう」
鴻嫗城の歴史を継ぐ上で外せない女子継承だけなら話せないことはない。紗如に娘がいなかった、それだけを伝えれば済む。
けれど、恭良が鴻嫗城の姫として育ったこと、沙稀が剣士として名を遺したことについては矛盾しかない。沙稀の名が有名過ぎることが仇となった。
「あんなに酷なことを……ご本人が話すなら仕方ないとしても、話さずに済むのなら……」
「それは避けては通れないことだ。沙稀がいない今、大臣が話せないと言うなら俺が話したっていい」
「本気ですか?」
「もちろん」
神妙な面持ちの大臣に対し、瑠既は微かに笑う。だが、返ってきた言葉は瑠既が予想だにしなかったもの。
「それは貴男が知られたくない……幼少期を、我が子に話せというのと同じかもしれませんよ」
瞬時、瑠既の鼓動は強く打つ。忘れかけていた遠い記憶を呼び起こして。
「それは……酷いな」
「脅しになりましたか? 申し訳ありません」
反省感が一切感じられない声の温度に、瑠既はちいさく笑う。
「そうじゃない。『知っていたのに』黙っていたことだ。それと、それにも関わらず俺を鴻嫗城に残したことだ」
嘲笑うように言ったのに、大臣は受け流し変わらず感情を含めずに言葉を発する。
「私は紗如様の願いを叶えたいだけです」
「母上は『沙稀の存在を鴻嫗城から消すこと』なんて、望まない」
「そうですかね」
「あ?」
遠くに視線を投げた大臣に、瑠既は異論があると短く告げた。けれど、大臣は瑠既を気にかける様子なく、どこか懐かしそうに口を開く。
「紗如様も留妃姫も、鴻嫗城に『縛られて』いらっしゃったのかもしれません。ですが……それに従っていらしたのはなぜだとお思いですか」
ふたりの姿を瑠既が見ていたのは幼いころだ。そのころ、彼はまだその重みを感じていなかった。いや、今でさえ理解しているかと問われれば、『否』かもしれない。
「従うしか……なかったから?」
迷いが過分に含まれる。
見越していたかのように、大臣はしみじみと言う。
「私は、そうは思っていません。何かと不平を言っても、生家は愛おしいものです。皆……その想いがあったからこそ、鴻嫗城はここまで続いてきたです」
ふと、大臣は瑠既をじっと見た。
「私は鴻嫗城を守らねばなりません。何を捨てて、何を裏切ったとしても。……それは、沙稀様も同じでした」
瑠既は口を一文字にしたままだ。
大臣の言うことも一理ある。確かに沙稀は、鴻嫗城を存続させるためなら命を捨てることも厭わなかっただろう。己の存在を消して鴻嫗城が存続するなら、迷わずにそうしたかもしれない。
まるで沙稀の意思であるかのようにも聞こえた。ただ、それを瑠既は首を縦には振れない。
「だから、沙稀の存在を……鴻嫗城から消すと?」
「そうです」
「違うな」
強い否定を瑠既はした。
似たようなことを本人から瑠既は聞いた気がする。当時の沙稀に迷いがなかったかと言われれば、そうかもしれない。ただ、悔いがないかと問えば否だろう。
「大臣には、知られたくないことがあるんだ。庾月と颯唏に」
大臣は驚いたまま瑠既に視線を向ける。
瑠既は大臣をじっと見たまま言う。
「恭良は大臣の娘だろ? だから、沙稀の存在を『外部』にしたい。結果、俺は『恭良の兄』になって庾月と颯唏には『恭良』が継承していたことになる。つまり、鴻嫗城の代々の歴史は変わらない……そうだろ?」
強い口調はいわば疑念ではなく、確定事項と受け取れる。
大臣は諦めたかのようにため息をし、うすむき、微かな笑みを浮かべた。
「瑠既様が納得して下さるのであれば、それで構いません」
「否定も、肯定もしないのか。卑怯だな」
瑠既が言うと、大臣は顔を上げた。その表情は苦笑いだ。
「否定も肯定も、するメリットが私にないだけですよ」
「嘘だな」
瑠既は大臣から視線を外し、言葉を続ける。
「もし、俺じゃなく沙稀が言っていたら……大臣は否定するはずだ」
「どうでしょう?」
「俺には知られてもいいけど、沙稀には知られたくないと思ってるんだろ?」
「それは……違いますよ。瑠既様」
大臣の眉はより一層下がる。
「私は、貴男にも沙稀様にも……誰にも知られてはいけないことしかないのです」
観念するように言った大臣の言葉は、部屋の中で浮いて固まる。
瑠既は間を置くように部屋の中を見渡す。
その光景は、以前から見る『大臣の部屋』で変わりない。
業務に必要な物しか置かれていない。大臣は常にここにいるのに、業務に必要なものしかないのだ。
「すみません。これから羅凍様がいらっしゃいますので……お話は以上で宜しいでしょうか」
何十年も鴻嫗城にいるにも関わらず、『大臣』という痕跡は見つけられないほどに。
「いつから……鴻嫗城の綱を引いていた」
瑠既が言ってしまったのは、その絶望からだったのかもしれない。
「答えろよ」
明らかな敵視。
大臣の表情は悲しみに変わる。今度は大臣が空を見上げた。
「沙稀様が亡くなってしまってからです。今の恭良様には……お任せできる状態ではありません。ですが、庾月様と颯唏様にこのバトンは、きちんとお渡ししなければなりません」
「それだけか?」
「それだけです」
弱々しく頭を大臣は垂れる。
それでも、瑠既の敵視は薄れない。──それに大臣も気づいたのだろう。
「本当ですよ。隠しておきたいことは山ほどある私ですが、嘘は極力言いたくありません。嘘は苦手なんです」
雰囲気が変わった──いや、以前からの大臣に戻ったという方が正しい。
けれど、その姿を見た瑠既は悔しそうに表情を歪めた。
「わからなくなったよ、大臣が」
言葉を置き去りにするように、瑠既は大臣の部屋を後にする。
瑠既が廊下に出ると、明るい日差しが城内に差し込んでいた。
当たり前に通っていた廊下を、瑠既は初めて特別な場所のように感じる。右手側には、幼いころによく過ごした場所、近年では娘たちが生まれたころからともに過ごした中庭が見える。
ふと、視界の端に人影を感じ、咄嗟に視線を向ける。
眩しいほどの光に包まれた人物は、黒髪の剣士だった。
短髪といっても無理をすれば結わけるほどの長さはあり、耳は隠れている。その姿が妙に帰城したころの己と重なって見えた。
瑠既は我に返るように視線を外す。
心が一瞬、無防備になっていた。なぜだか沙稀と似た雰囲気を感じていて──いや、沙稀と親睦が深かったと聞いていた人物だ。不思議ではないのかもしれない。
だからと言って、初対面のようなものだ。鴻嫗城に仕える人物だと紹介を受け、一言、二言あいさつを交わして以来。
そういえば、大臣が先ほど『羅凍が来る』と言っていた。そう思い返せば、誰かがいると驚くことでもなかったわけで。
鐙鷃城へ戻るなら背を向けることになる。しかし、それでは羅凍に気づき踵を返すかのようで印象は悪いと言えるだろう。
心情にほだされて、風景に吸い込まれたのが運の尽きだ。ならば、無言ですれ違った方が無難と言える。
遠回りになるが、瑠既は羅凍とすれ違うことを選んだ。
大臣の部屋に入るまでは明るい光が城内に差し込んでいたというのに、気持ちが反映されたかのように影が室内を覆う。
「どういうことだ」
対面する大臣の一言を聞き、瑠既は明らかに不機嫌な声を出す。
「ですから……」
「黎も彩綺も……沙稀が『俺の双子の弟』だと、すでに理解している。誰よりも誄姫は……俺にだって消せない、決して消させたくない『事実』だ。それなのにどうして? どうして、よりにもよって大臣がそんなことを言うんだ!」
声は次第に荒いものに変わっていた。そして、悔しそうに一度口を閉じる。
両手に自然と力が入り、拳は震えている。
「大臣が一番よくわかっていると思ってた。沙稀は……沙稀は大臣のことを信頼していた。それなのに……」
「それは、貴男がいなかったからです。……それだけです」
大臣の声が止まり、沈黙が流れる。
大臣の部屋から一歩出れば明るく、眩しい光が包む城内が広がっているだろう。けれど、それは遠い景色のようで、こことはまるで別世界だ。
「庾月様と颯唏様に、沙稀様が育った環境をお伝えしたくはありません」
「話すべきだろう」
鴻嫗城の歴史を継ぐ上で外せない女子継承だけなら話せないことはない。紗如に娘がいなかった、それだけを伝えれば済む。
けれど、恭良が鴻嫗城の姫として育ったこと、沙稀が剣士として名を遺したことについては矛盾しかない。沙稀の名が有名過ぎることが仇となった。
「あんなに酷なことを……ご本人が話すなら仕方ないとしても、話さずに済むのなら……」
「それは避けては通れないことだ。沙稀がいない今、大臣が話せないと言うなら俺が話したっていい」
「本気ですか?」
「もちろん」
神妙な面持ちの大臣に対し、瑠既は微かに笑う。だが、返ってきた言葉は瑠既が予想だにしなかったもの。
「それは貴男が知られたくない……幼少期を、我が子に話せというのと同じかもしれませんよ」
瞬時、瑠既の鼓動は強く打つ。忘れかけていた遠い記憶を呼び起こして。
「それは……酷いな」
「脅しになりましたか? 申し訳ありません」
反省感が一切感じられない声の温度に、瑠既はちいさく笑う。
「そうじゃない。『知っていたのに』黙っていたことだ。それと、それにも関わらず俺を鴻嫗城に残したことだ」
嘲笑うように言ったのに、大臣は受け流し変わらず感情を含めずに言葉を発する。
「私は紗如様の願いを叶えたいだけです」
「母上は『沙稀の存在を鴻嫗城から消すこと』なんて、望まない」
「そうですかね」
「あ?」
遠くに視線を投げた大臣に、瑠既は異論があると短く告げた。けれど、大臣は瑠既を気にかける様子なく、どこか懐かしそうに口を開く。
「紗如様も留妃姫も、鴻嫗城に『縛られて』いらっしゃったのかもしれません。ですが……それに従っていらしたのはなぜだとお思いですか」
ふたりの姿を瑠既が見ていたのは幼いころだ。そのころ、彼はまだその重みを感じていなかった。いや、今でさえ理解しているかと問われれば、『否』かもしれない。
「従うしか……なかったから?」
迷いが過分に含まれる。
見越していたかのように、大臣はしみじみと言う。
「私は、そうは思っていません。何かと不平を言っても、生家は愛おしいものです。皆……その想いがあったからこそ、鴻嫗城はここまで続いてきたです」
ふと、大臣は瑠既をじっと見た。
「私は鴻嫗城を守らねばなりません。何を捨てて、何を裏切ったとしても。……それは、沙稀様も同じでした」
瑠既は口を一文字にしたままだ。
大臣の言うことも一理ある。確かに沙稀は、鴻嫗城を存続させるためなら命を捨てることも厭わなかっただろう。己の存在を消して鴻嫗城が存続するなら、迷わずにそうしたかもしれない。
まるで沙稀の意思であるかのようにも聞こえた。ただ、それを瑠既は首を縦には振れない。
「だから、沙稀の存在を……鴻嫗城から消すと?」
「そうです」
「違うな」
強い否定を瑠既はした。
似たようなことを本人から瑠既は聞いた気がする。当時の沙稀に迷いがなかったかと言われれば、そうかもしれない。ただ、悔いがないかと問えば否だろう。
「大臣には、知られたくないことがあるんだ。庾月と颯唏に」
大臣は驚いたまま瑠既に視線を向ける。
瑠既は大臣をじっと見たまま言う。
「恭良は大臣の娘だろ? だから、沙稀の存在を『外部』にしたい。結果、俺は『恭良の兄』になって庾月と颯唏には『恭良』が継承していたことになる。つまり、鴻嫗城の代々の歴史は変わらない……そうだろ?」
強い口調はいわば疑念ではなく、確定事項と受け取れる。
大臣は諦めたかのようにため息をし、うすむき、微かな笑みを浮かべた。
「瑠既様が納得して下さるのであれば、それで構いません」
「否定も、肯定もしないのか。卑怯だな」
瑠既が言うと、大臣は顔を上げた。その表情は苦笑いだ。
「否定も肯定も、するメリットが私にないだけですよ」
「嘘だな」
瑠既は大臣から視線を外し、言葉を続ける。
「もし、俺じゃなく沙稀が言っていたら……大臣は否定するはずだ」
「どうでしょう?」
「俺には知られてもいいけど、沙稀には知られたくないと思ってるんだろ?」
「それは……違いますよ。瑠既様」
大臣の眉はより一層下がる。
「私は、貴男にも沙稀様にも……誰にも知られてはいけないことしかないのです」
観念するように言った大臣の言葉は、部屋の中で浮いて固まる。
瑠既は間を置くように部屋の中を見渡す。
その光景は、以前から見る『大臣の部屋』で変わりない。
業務に必要な物しか置かれていない。大臣は常にここにいるのに、業務に必要なものしかないのだ。
「すみません。これから羅凍様がいらっしゃいますので……お話は以上で宜しいでしょうか」
何十年も鴻嫗城にいるにも関わらず、『大臣』という痕跡は見つけられないほどに。
「いつから……鴻嫗城の綱を引いていた」
瑠既が言ってしまったのは、その絶望からだったのかもしれない。
「答えろよ」
明らかな敵視。
大臣の表情は悲しみに変わる。今度は大臣が空を見上げた。
「沙稀様が亡くなってしまってからです。今の恭良様には……お任せできる状態ではありません。ですが、庾月様と颯唏様にこのバトンは、きちんとお渡ししなければなりません」
「それだけか?」
「それだけです」
弱々しく頭を大臣は垂れる。
それでも、瑠既の敵視は薄れない。──それに大臣も気づいたのだろう。
「本当ですよ。隠しておきたいことは山ほどある私ですが、嘘は極力言いたくありません。嘘は苦手なんです」
雰囲気が変わった──いや、以前からの大臣に戻ったという方が正しい。
けれど、その姿を見た瑠既は悔しそうに表情を歪めた。
「わからなくなったよ、大臣が」
言葉を置き去りにするように、瑠既は大臣の部屋を後にする。
瑠既が廊下に出ると、明るい日差しが城内に差し込んでいた。
当たり前に通っていた廊下を、瑠既は初めて特別な場所のように感じる。右手側には、幼いころによく過ごした場所、近年では娘たちが生まれたころからともに過ごした中庭が見える。
ふと、視界の端に人影を感じ、咄嗟に視線を向ける。
眩しいほどの光に包まれた人物は、黒髪の剣士だった。
短髪といっても無理をすれば結わけるほどの長さはあり、耳は隠れている。その姿が妙に帰城したころの己と重なって見えた。
瑠既は我に返るように視線を外す。
心が一瞬、無防備になっていた。なぜだか沙稀と似た雰囲気を感じていて──いや、沙稀と親睦が深かったと聞いていた人物だ。不思議ではないのかもしれない。
だからと言って、初対面のようなものだ。鴻嫗城に仕える人物だと紹介を受け、一言、二言あいさつを交わして以来。
そういえば、大臣が先ほど『羅凍が来る』と言っていた。そう思い返せば、誰かがいると驚くことでもなかったわけで。
鐙鷃城へ戻るなら背を向けることになる。しかし、それでは羅凍に気づき踵を返すかのようで印象は悪いと言えるだろう。
心情にほだされて、風景に吸い込まれたのが運の尽きだ。ならば、無言ですれ違った方が無難と言える。
遠回りになるが、瑠既は羅凍とすれ違うことを選んだ。
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