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『A』
【A-1】(1)
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『A』
1.アネモネ(Anemone)
多年草。一般的に春先に咲く花。
花言葉──「はかない希望」「消えた希望」「はかない恋」「見放される」「固い誓い」「薄れゆく希望」「あなたを愛します」「恋の苦しみ」「極限の愛」「悲しい思い出」「期待」「失望」「堅忍」「見捨てる」「嫉妬のための無実の犠牲」「真実」「無邪気」「辛抱」……
2.赤
赤のアネモネは、その色にふさわしく情熱的な花言葉となっているが、それはアネモネの花の伝説にも関係している。
美しい神が命を落として、彼を愛する者が流した血からアネモネの花が作られたという伝説がある。
赤は、血と命の色だとも言われている。
3.もうひとつの『A』は──彼女が背負う深い深い業。
物心がついたころから、彼女はひとりだった。
いや、本当にひとりだったわけではない。彼女の周囲にはたくさんの人がいた。
女性が多かった。
着替え、髪の毛の手入れ、食事を見守る人、学びを教える人。それらは皆、女性だった。
彼女は、皆が人形のように扱うと感じていた。
人形は『人』ではない。
だから彼女は、いつしか感情は不要だと思うようになり、皆が望むがままの『お人形』でいようと心に決める。
皆が望むのは『彼女』というひとりの『人』ではなく、この城に必要な『姫』。
皆に望まれるような『姫』という呼称の『お人形』でいようと過ごす。
清らかで、賢くて、朗らか。
楽しくなくても、おかしくなくても、彼女は笑って過ごした。
笑っているお人形さんはかわいらしくて、皆が好いてくれるから。
彼女はいつもひとり。
肉親はいるようでいない。
彼女の父は存命しているが、会話をした記憶は彼女にはない。
──私の名前、知っているのかしら。
時折、彼女はそんなことを思う。ちなみに、彼女の名は『恭良』という。
母はいない。
けれど、自身が生きているのだから『いらした』と思わなくてはいけないと彼女は自らに言い聞かせ過ごした。
それでも、母の記憶はひと欠片もない。
写真を見たこともないのだから、実感は持つことは不可能だった。
そんな彼女だが、ひとりではなくなるときが日に数時間ある。
護衛の大臣と一緒にいるときだ。
大臣は彼女を『姫』として扱うが、『ひとりの女の子』として扱ってくれている気がしていた。──大臣だけが、怒ってくれるから。
「恭良様、聞いていらっしゃいますか」
「聞いています」
大臣の怒った声をうれしく思う恭良の声が弾む。
けれど、毎回このような反応をもらう大臣にとったら、疲労困憊だ。脱力した表情を大臣が浮かべ、恭良は自身が笑っていたと自覚する。
『ごめんなさい』と言っても、笑みがこぼれてしまう。
──ごめんね。うれしくて、楽しいの。
恭良は心の中でそっと呟く。
恭良は大臣に興味を持ち、色々と聞いた。
けれど、大臣がまともに答えたのは、年齢くらいだ。
「そうですね……恭良様のご年齢に三十くらい足すと、私の年齢になります」
足す数字まで曖昧だが、恭良が大臣について知っているのはこれくらいだ。だが、恭良にとっては、こんな曖昧なことであっても満足なのだ。
はっきりと『知らない』と恭良が自覚していることもある。
それは、大臣の名前だ。大臣は『世良』と名乗っているが、その名前は仮名だと聞いた。
「『良』が同じでうれしい」
いつだったか、恭良がそう言ったとき、大臣は気まずそうに仮名だと告げたのだ。『王は本名ですよ』とまで付け加えて。
大臣の返答に、恭良はしょげず、むくれもしなかった。
「知っているわ。お父様も『世良』というのよね」
と、にっこりと笑い、流した。
そんなやりとりを過去にしていても、恭良は密かに『良』は大臣とお揃いだと宝物のように大事なものにしている。
──いいの。本当の名前は知らなくても。
彼女にとっては唯一の拠り所が大臣だった。彼女は大臣と楽しく過ごしたあと、こうして独り言を心の中で呟く。
──大臣の中で結局私は『姫』ってこと。それだけのこと。だから、わたしも『大臣』と呼ぶの。それでいいの。
彼女なりの自衛だ。期待を希望のように持っていれば、失ったらその分大きな傷を負う。傷を最小限に済ませるために、恭良は敢えて自ら地位を意識する。
地位を盾にすれば、存分に甘えられるから。甘えているときだけは、『ひとりの女の子』でいられるのだ。
五歳の彼女は、こんな女の子だった。
いつのころだったか大臣に教えられたことをきっかけに、お気に入りになった場所が彼女にはあった。
中庭の花畑だ。
「紗如様は、この場所がお好きだったのですよ」
一言聞いた瞬間、景色がとても輝いて見えた。『特にあの花がお好きでした』と続いた大臣の言葉が遠くに聞こえるほど一瞬にして世界がやさしく見え、母という存在の意味を感じた気になった。
そのとき以来、中庭は母との唯一の繋がりを感じる場所だった。
ただ、彼女が母のことを大臣にもっと聞こうとすると、
「あまり紗如様のことを存じませんので」
と言い、大臣は話を終わらせた。
何度かタイミングをみて改めて聞いても、大臣の返答は変わらない。だから、彼女は勝手な想像している。
──大臣は、お母様のことが好きだったのかな。
もし、そうであったのなら母も大臣が好きだったらよかったのに、とまで想像を膨らませる。
1.アネモネ(Anemone)
多年草。一般的に春先に咲く花。
花言葉──「はかない希望」「消えた希望」「はかない恋」「見放される」「固い誓い」「薄れゆく希望」「あなたを愛します」「恋の苦しみ」「極限の愛」「悲しい思い出」「期待」「失望」「堅忍」「見捨てる」「嫉妬のための無実の犠牲」「真実」「無邪気」「辛抱」……
2.赤
赤のアネモネは、その色にふさわしく情熱的な花言葉となっているが、それはアネモネの花の伝説にも関係している。
美しい神が命を落として、彼を愛する者が流した血からアネモネの花が作られたという伝説がある。
赤は、血と命の色だとも言われている。
3.もうひとつの『A』は──彼女が背負う深い深い業。
物心がついたころから、彼女はひとりだった。
いや、本当にひとりだったわけではない。彼女の周囲にはたくさんの人がいた。
女性が多かった。
着替え、髪の毛の手入れ、食事を見守る人、学びを教える人。それらは皆、女性だった。
彼女は、皆が人形のように扱うと感じていた。
人形は『人』ではない。
だから彼女は、いつしか感情は不要だと思うようになり、皆が望むがままの『お人形』でいようと心に決める。
皆が望むのは『彼女』というひとりの『人』ではなく、この城に必要な『姫』。
皆に望まれるような『姫』という呼称の『お人形』でいようと過ごす。
清らかで、賢くて、朗らか。
楽しくなくても、おかしくなくても、彼女は笑って過ごした。
笑っているお人形さんはかわいらしくて、皆が好いてくれるから。
彼女はいつもひとり。
肉親はいるようでいない。
彼女の父は存命しているが、会話をした記憶は彼女にはない。
──私の名前、知っているのかしら。
時折、彼女はそんなことを思う。ちなみに、彼女の名は『恭良』という。
母はいない。
けれど、自身が生きているのだから『いらした』と思わなくてはいけないと彼女は自らに言い聞かせ過ごした。
それでも、母の記憶はひと欠片もない。
写真を見たこともないのだから、実感は持つことは不可能だった。
そんな彼女だが、ひとりではなくなるときが日に数時間ある。
護衛の大臣と一緒にいるときだ。
大臣は彼女を『姫』として扱うが、『ひとりの女の子』として扱ってくれている気がしていた。──大臣だけが、怒ってくれるから。
「恭良様、聞いていらっしゃいますか」
「聞いています」
大臣の怒った声をうれしく思う恭良の声が弾む。
けれど、毎回このような反応をもらう大臣にとったら、疲労困憊だ。脱力した表情を大臣が浮かべ、恭良は自身が笑っていたと自覚する。
『ごめんなさい』と言っても、笑みがこぼれてしまう。
──ごめんね。うれしくて、楽しいの。
恭良は心の中でそっと呟く。
恭良は大臣に興味を持ち、色々と聞いた。
けれど、大臣がまともに答えたのは、年齢くらいだ。
「そうですね……恭良様のご年齢に三十くらい足すと、私の年齢になります」
足す数字まで曖昧だが、恭良が大臣について知っているのはこれくらいだ。だが、恭良にとっては、こんな曖昧なことであっても満足なのだ。
はっきりと『知らない』と恭良が自覚していることもある。
それは、大臣の名前だ。大臣は『世良』と名乗っているが、その名前は仮名だと聞いた。
「『良』が同じでうれしい」
いつだったか、恭良がそう言ったとき、大臣は気まずそうに仮名だと告げたのだ。『王は本名ですよ』とまで付け加えて。
大臣の返答に、恭良はしょげず、むくれもしなかった。
「知っているわ。お父様も『世良』というのよね」
と、にっこりと笑い、流した。
そんなやりとりを過去にしていても、恭良は密かに『良』は大臣とお揃いだと宝物のように大事なものにしている。
──いいの。本当の名前は知らなくても。
彼女にとっては唯一の拠り所が大臣だった。彼女は大臣と楽しく過ごしたあと、こうして独り言を心の中で呟く。
──大臣の中で結局私は『姫』ってこと。それだけのこと。だから、わたしも『大臣』と呼ぶの。それでいいの。
彼女なりの自衛だ。期待を希望のように持っていれば、失ったらその分大きな傷を負う。傷を最小限に済ませるために、恭良は敢えて自ら地位を意識する。
地位を盾にすれば、存分に甘えられるから。甘えているときだけは、『ひとりの女の子』でいられるのだ。
五歳の彼女は、こんな女の子だった。
いつのころだったか大臣に教えられたことをきっかけに、お気に入りになった場所が彼女にはあった。
中庭の花畑だ。
「紗如様は、この場所がお好きだったのですよ」
一言聞いた瞬間、景色がとても輝いて見えた。『特にあの花がお好きでした』と続いた大臣の言葉が遠くに聞こえるほど一瞬にして世界がやさしく見え、母という存在の意味を感じた気になった。
そのとき以来、中庭は母との唯一の繋がりを感じる場所だった。
ただ、彼女が母のことを大臣にもっと聞こうとすると、
「あまり紗如様のことを存じませんので」
と言い、大臣は話を終わらせた。
何度かタイミングをみて改めて聞いても、大臣の返答は変わらない。だから、彼女は勝手な想像している。
──大臣は、お母様のことが好きだったのかな。
もし、そうであったのなら母も大臣が好きだったらよかったのに、とまで想像を膨らませる。
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