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思い出
【41】恋心
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鐙鷃城に戻った瑠既は、一直線に宮城研究施設へ向かう。思った通り誄は宮城研究施設にいて、娘たちはいない。孫好きな義両親が見てくれているに違いない。
「瑠既様!」
お帰りなさいと、誄は瑠既に近づく。
「ただいま」
両手を広げて受け止めようとしたとき、誄は足を止めた。
不思議に思った瑠既が視線を追えば、手元で──誄から見れば、書類は裏面で見えないはずだ。それなのに、誄はなぜか青ざめていく。
「そう……です、よね……」
うつむく誄に、瑠既は疑問符が浮かぶ。何を連想したのだろうかと。ただ、認知書だと軽々しく言えないわけで。
「誄姫、実は話しがあって……」
「はい」
「本当は、今言うものじゃないのかもしれないんだけど……」
「はい」
誄は、何かを覚悟しているかのように返事をする。
瑠既の不安は増すばかりだが、言わないわけにもいかない。誄のお腹への負担も心配だが、何かを覚悟してくれている分、いいのかもしれないと解釈する。
「これを……書こうと思っている」
はらりと誄の前に認知書を出す。
誄はぎゅっと目をつぶり──恐る恐る目の前の紙を覗き見る。そうして、釘付けになり、目を見開いて瑠既を見上げる。
「え……、あの……」
混乱する誄を前に、瑠既はようやく誄が想像した物が浮かんだ。──瑠既は克主研究所から戻ってきたと誄は思っていたはずだ。忒畝と会ったと、何を話したと想像したのか。
別れを、告げられると誄は思ったのだろう。
そんな食い違いに瑠既は笑いそうになる。しかし、笑えるほど能天気でもない。誄があっけにとられているのなら、余計にきちんと話さなければならない。
「話しを、聞いてくれますか?」
いつになく緊張がだだもれになる。けれど、誄はそれをしっかりと受け止める。
「はい」
迷わない返事に心が締めつけられ、ぎゅっと誄を抱きしめる。
「今まで、話したことないけど……」
どこから話せばいいのか、どこを話せばいいのかと迷う。伝えたいのは、どんな目に遭ったかではない。どう生きてきたかでもない。大事な家族として過ごしてきた人たちとの出会いだ。
「俺、十四歳のときから綺っていう宿屋にいたんだ。そこの亭主が叔さんって言って……叔さんの娘が……倭穏だった」
誄の息を飲む音が聞こえる。
「誄姫が知っている通り、俺は倭穏と帰ってきた。それで、倭穏は……絶命したと、俺も思っていたし、誄姫も大臣からそう聞いていたと思う。けど、違っていた」
瑠既は叔から聞いた話を告げる。そうして、留の存在を知ったとも。
「息子は……留は、倭穏にそっくりだった。愛しかったし、うれしかった。ずっと一緒にいたいとも思ったけど、叔さんから孫まで奪えない。だから、俺は親父だと告げずに出てきた」
ずっと黙って聞いていた誄が、すっと息を吸う。黎より先に産まれた息子をどう思うのか──瑠既がどう言われても受け止めようと心に決めていると、
「うらやましいです」
と、驚くようなことを誄は言った。そして──。
「私も、いつか……息子がほしいです。瑠既様に、そっくりの」
さすがの瑠既も、これには火がついたように顔が熱くなる。
「あのさ」
照れ隠しは無理だと判断した瑠既は、開き直ることにした。
「誄姫は、自覚がないんでしょう? 俺が、惚れているって」
今度は誄が顔を赤く染める。──だが、抱きしめ合っているふたりは、互いの顔の色も歪み具合も知るところではない。
「俺が誄姫の傍にいられるのは、血筋のお陰なんだけどな。それがなけりゃ、到底触れられない」
瑠既の自信のなさは、昔からだ。それを沙稀の傍にいることで補っていた。祖母にかわいがられることで自信を持っていいような気がしていた。それだけで、口にしたことが本音だ。
目を見開く誄に、軽く唇を合わせる。子どものころに交わしたような、秒針がひとつ動くほどの短いもの。
それなのに、なぜかふたりして余計に照れてしまって顔を背ける。
ふと、瑠既はゆるむ口元を戻せないまま、誄を横目で見る。赤面して困っている様子の誄は、どうしようもなくかわいく見えて──やわらかい頬に手を添えて顔を正面にし、今度は秒針が刻む音をしっかり鼓膜が何度か反響させる間、そっと唇を重ねる。
耳が澄んで、室内が静まり返っている。
静けさと程よい緊張が室内の空気にまとい、ふたりきりの空間であると強調された。瑠既は誄の気持ちを確認しようと、屈んだ背を伸ばす。
すっと瑠既が離れれば、誄の視線が追いかけてきた。その視線は艶やかで、名残惜しさを孕んでいる。駆け引きはこれだけで、充分だ。
「この機会に俺がどれだけ誄姫に惚れているか、しっかり覚えてもらうのも……よさそうですね?」
結婚して何年も経ち、娘がふたりもいてお腹の中にも新たな命が宿っているにも関わらず──恋愛の一歩を踏み込もうと宣言し、落とすつもりが、
「はい」
潤んだ瞳とほんのりと開いた唇に、瑠既が落ちる。ただし、ひとりでは落ちていかない。落ちた恋の泉に、誄も沈め──まるで聖なる泉にふたりで身を浸しているかのような錯覚を抱いた。
無事に認知の手続きが終わり、子どもたちへの話は必要なときが来たら話そうとなった。叔へは通知が届く。瑠既が連絡を入れておくと言ったら、大臣が提出前に叔へ連絡すると言っていた。大臣は、頑なに接点を持たせたくないのか、叔への心配を減らしたいのか。
後者だとよい方へと気持ちを受け取って、任せる。
留は気づいていたが、叔が告知するとは限らない。いや、一任したのだ。任せるべきだし、どちらにしても、今後、瑠既から会いには行けない。留から会いに来ることも、まずないだろう。
必要なときが来たら子どもたちに話そうと言った誄は、瞬時に状況を判断したのかも知れない。
月日が流れ、無事に三人目の娘が産まれた。三度目の出産を終えた誄は体調の回復がはやく、久し振りに家族揃って連れて鴻嫗城へ赴く。
出生の届けのために皆で大臣に顔を出そうとしていたが、歩くのに慣れた彩綺がグイグイと瑠既を引っ張った。
「あっち、あっち!」
「瑠既様!」
お帰りなさいと、誄は瑠既に近づく。
「ただいま」
両手を広げて受け止めようとしたとき、誄は足を止めた。
不思議に思った瑠既が視線を追えば、手元で──誄から見れば、書類は裏面で見えないはずだ。それなのに、誄はなぜか青ざめていく。
「そう……です、よね……」
うつむく誄に、瑠既は疑問符が浮かぶ。何を連想したのだろうかと。ただ、認知書だと軽々しく言えないわけで。
「誄姫、実は話しがあって……」
「はい」
「本当は、今言うものじゃないのかもしれないんだけど……」
「はい」
誄は、何かを覚悟しているかのように返事をする。
瑠既の不安は増すばかりだが、言わないわけにもいかない。誄のお腹への負担も心配だが、何かを覚悟してくれている分、いいのかもしれないと解釈する。
「これを……書こうと思っている」
はらりと誄の前に認知書を出す。
誄はぎゅっと目をつぶり──恐る恐る目の前の紙を覗き見る。そうして、釘付けになり、目を見開いて瑠既を見上げる。
「え……、あの……」
混乱する誄を前に、瑠既はようやく誄が想像した物が浮かんだ。──瑠既は克主研究所から戻ってきたと誄は思っていたはずだ。忒畝と会ったと、何を話したと想像したのか。
別れを、告げられると誄は思ったのだろう。
そんな食い違いに瑠既は笑いそうになる。しかし、笑えるほど能天気でもない。誄があっけにとられているのなら、余計にきちんと話さなければならない。
「話しを、聞いてくれますか?」
いつになく緊張がだだもれになる。けれど、誄はそれをしっかりと受け止める。
「はい」
迷わない返事に心が締めつけられ、ぎゅっと誄を抱きしめる。
「今まで、話したことないけど……」
どこから話せばいいのか、どこを話せばいいのかと迷う。伝えたいのは、どんな目に遭ったかではない。どう生きてきたかでもない。大事な家族として過ごしてきた人たちとの出会いだ。
「俺、十四歳のときから綺っていう宿屋にいたんだ。そこの亭主が叔さんって言って……叔さんの娘が……倭穏だった」
誄の息を飲む音が聞こえる。
「誄姫が知っている通り、俺は倭穏と帰ってきた。それで、倭穏は……絶命したと、俺も思っていたし、誄姫も大臣からそう聞いていたと思う。けど、違っていた」
瑠既は叔から聞いた話を告げる。そうして、留の存在を知ったとも。
「息子は……留は、倭穏にそっくりだった。愛しかったし、うれしかった。ずっと一緒にいたいとも思ったけど、叔さんから孫まで奪えない。だから、俺は親父だと告げずに出てきた」
ずっと黙って聞いていた誄が、すっと息を吸う。黎より先に産まれた息子をどう思うのか──瑠既がどう言われても受け止めようと心に決めていると、
「うらやましいです」
と、驚くようなことを誄は言った。そして──。
「私も、いつか……息子がほしいです。瑠既様に、そっくりの」
さすがの瑠既も、これには火がついたように顔が熱くなる。
「あのさ」
照れ隠しは無理だと判断した瑠既は、開き直ることにした。
「誄姫は、自覚がないんでしょう? 俺が、惚れているって」
今度は誄が顔を赤く染める。──だが、抱きしめ合っているふたりは、互いの顔の色も歪み具合も知るところではない。
「俺が誄姫の傍にいられるのは、血筋のお陰なんだけどな。それがなけりゃ、到底触れられない」
瑠既の自信のなさは、昔からだ。それを沙稀の傍にいることで補っていた。祖母にかわいがられることで自信を持っていいような気がしていた。それだけで、口にしたことが本音だ。
目を見開く誄に、軽く唇を合わせる。子どものころに交わしたような、秒針がひとつ動くほどの短いもの。
それなのに、なぜかふたりして余計に照れてしまって顔を背ける。
ふと、瑠既はゆるむ口元を戻せないまま、誄を横目で見る。赤面して困っている様子の誄は、どうしようもなくかわいく見えて──やわらかい頬に手を添えて顔を正面にし、今度は秒針が刻む音をしっかり鼓膜が何度か反響させる間、そっと唇を重ねる。
耳が澄んで、室内が静まり返っている。
静けさと程よい緊張が室内の空気にまとい、ふたりきりの空間であると強調された。瑠既は誄の気持ちを確認しようと、屈んだ背を伸ばす。
すっと瑠既が離れれば、誄の視線が追いかけてきた。その視線は艶やかで、名残惜しさを孕んでいる。駆け引きはこれだけで、充分だ。
「この機会に俺がどれだけ誄姫に惚れているか、しっかり覚えてもらうのも……よさそうですね?」
結婚して何年も経ち、娘がふたりもいてお腹の中にも新たな命が宿っているにも関わらず──恋愛の一歩を踏み込もうと宣言し、落とすつもりが、
「はい」
潤んだ瞳とほんのりと開いた唇に、瑠既が落ちる。ただし、ひとりでは落ちていかない。落ちた恋の泉に、誄も沈め──まるで聖なる泉にふたりで身を浸しているかのような錯覚を抱いた。
無事に認知の手続きが終わり、子どもたちへの話は必要なときが来たら話そうとなった。叔へは通知が届く。瑠既が連絡を入れておくと言ったら、大臣が提出前に叔へ連絡すると言っていた。大臣は、頑なに接点を持たせたくないのか、叔への心配を減らしたいのか。
後者だとよい方へと気持ちを受け取って、任せる。
留は気づいていたが、叔が告知するとは限らない。いや、一任したのだ。任せるべきだし、どちらにしても、今後、瑠既から会いには行けない。留から会いに来ることも、まずないだろう。
必要なときが来たら子どもたちに話そうと言った誄は、瞬時に状況を判断したのかも知れない。
月日が流れ、無事に三人目の娘が産まれた。三度目の出産を終えた誄は体調の回復がはやく、久し振りに家族揃って連れて鴻嫗城へ赴く。
出生の届けのために皆で大臣に顔を出そうとしていたが、歩くのに慣れた彩綺がグイグイと瑠既を引っ張った。
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