上 下
162 / 379
伝説の終わり──もうひとつの始まり

【90】幸せの光景

しおりを挟む
『夜明け前に海の上から絢朱シンジュの方角を見ていただくと、幻想的な光景が見られることでしょう』
 鴻嫗トキウ城からの招待状には、なんとも興味深いことが書いてあった。深夜、忒畝トクセはバルコニーへと出る。

 一ヶ月ほど前に悠穂ユオが目を覚まし、一週間前には職務に復帰した。思ったよりも目覚めも回復も遅いようだったが、
「私は大丈夫だから。ほら、充忠ミナルさんと馨民カミンさんとみんなで結婚式に行って来て!」
 ずいぶんゆっくり休んだからと悠穂ユオは言った。母のことも、聖水セイナのこともどうにか切り出そうと思っていたら、
「私、お兄ちゃんのこと大好きだからね! ずっーと、ずっと好きだから!」
 と職務中に突然来て言い出し、忒畝トクセを驚かせた。
「どうしたの、急に」
 忒畝トクセが冷静に問うと、悠穂ユオは急に大人しくなり、下を向く。
「思ったの。お父さんが亡くなったとき、お兄ちゃんのこと……。何も悪くないのに責めちゃったから。あのときだって、私、お兄ちゃんのこと大好きだった。だから……今回、その、お兄ちゃん大変で……辛かっただろうし……」
 父が亡くなってから二年。その間に悠穂ユオはすっかり大人になったと実感し、もう子どものように抱き締めて頭をなでたら失礼かもしれないと寂しくもあった。今の悠穂ユオは現実を受け入れる準備があると判断し、聖水セイナのことを親戚だと話した。悠穂ユオは一瞬驚き。しかし、母と一緒にいた女性だと気づけば、忒畝トクセが説明するまでもなく。そして、
聖水セイナさんのことも、お兄ちゃんが留守の間は私がよくお話する。だから、ね、お兄ちゃん。お兄ちゃんはね、私にとっては大切な、大好きなお兄ちゃんだから! もう、何も心配しないでいいからね!」
 照れをごまかすような早口で悠穂ユオは言い、それは、母に似ていた。
「ありがとう」
 母の記憶がなくても、悠穂ユオは母に似ている。妹と母が重なり忒畝トクセは微笑む。
「僕も悠穂ユオのこと大好きだし、これからもずっと大切な存在だよ」
 その表情、声は父、悠畝ヒサセと重なるもの。──そうして、久しぶりに兄妹で父の墓参りをして、今に至る。

 暗い波を目にしていても、悠穂ユオを迎えに行った帰りとはまったく違う心持ちだ。無事に終わってよかったという安堵。それと、これから起こる見知らぬ現象を楽しみだと、まるで新たな人生の幕開けのような気持ち。
 まだ夜が明けない。けれど、絢朱シンジュの方から神秘的な光が見えてきた。絢朱シンジュまではまだ遠いが、美しく海が光輝いている。思わず、その美しさに見入りそうになったとき、忒畝トクセは何かを思い出し船の内部へと戻る。

充忠ミナル、起きて!」
 小声で言うが、起こし方はやさしくない。まだ寝ぼけている充忠ミナルに、
馨民カミンも起こして、すぐにバルコニーに来て!」
 コソッと言うなり、忒畝トクセはまたバルコニーへと戻る。すると、そこには──まるで朝日が海から出てくるかのように海面が輝かしい光を放っていて。幻想的な光景に息を呑む。
 ほどなくして、充忠ミナル馨民カミンが来た。目の前の光景にふたりは驚いているが、忒畝トクセは招待状を指さす。
「え? ああ、これのことなのか?」
「わあ、すごい……きれい……」
 充忠ミナル馨民カミンも息を呑み、見入る。

 やがて海の幻想的な光は徐々に消えていき、通常の海へと戻っていく。今度は朝日が辺りを照らし始める。



 絢朱シンジュに着くと、いつになく街は賑わっていた。いつも厳かな街が、緋倉ヒソウよりも賑わっている。『海胡カイウが光を取り戻した』と、街中お祭り騒ぎだ。
 街の人たちが言う意味はサッパリわからないが、喜びはヒシヒシと伝わってきた。この街の人たちも皆、これから行われる沙稀イサキ恭良ユキヅキの婚礼を祝福しているのだと、忒畝トクセたちは肌で感じる。

 鴻嫗トキウ城に到着後、会場へと三人は案内された。会場は鴻嫗トキウ城の敷地内、婚約発表をされたバルコニーの周辺だ。
 鐘が響き渡る。白のモーニングを着用した沙稀イサキが司祭に先導されて入場し、右側で待機。ほどなくして恭良ユキヅキも姿を現した。淡い桃色のウエディングドレスに身を包んだ恭良ユキヅキは、これ以上のない幸せを表情に浮かべている。
 となりにいるのは、大臣だ。恐らく会場にいる誰もが驚いたが、緊張している大臣を見て、当然自ら志願したわけではないのだろうと察する。そうなれば、大臣をこの役に使命したのは、誰か。推測するに恭良ユキヅキだろう。推測通りならば、意見できる者はいない。
 沙稀イサキの視線は一直線に恭良ユキヅキに注がれている。護衛のときの沙稀イサキからは想像できないような、やわらかい微笑み。尚且つ、照れるのを隠し切れないまま、それはそれはうれしそうに恭良ユキヅキを待っている。
 大臣の腕に置かれていた、恭良ユキヅキの手がスルリと離れる。
「ありがとう」
 微かに聞こえる程度の声。参列者には、やはり恭良ユキヅキの願いだったのかと周知される。けれど、恭良ユキヅキは動じることなく。ゆっくりと沙稀イサキに向き直し、差し出されている手を取る。
 結ばれる手は、交わされる微笑みは、見ている誰もを幸福で包む。数秒であるのに、永久を誕生させる。永遠を刻み、時は流れていく。
 ふたりが誓いの言葉を交わし、指輪の交換をしていく。その姿にこの場の者たちは魅了される。物語の始まりかのような、息を呑む美しい光景。
 本来ひとつである者同志が求め合い、ひとつになっていくような感覚に陥る。手を取り、微笑み合い、結ばれていく。一連の流れが実に自然なことに思え、感動すら覚える。神秘的な現象だ。

 挙式を終える鐘が響いた。ふと、忒畝トクセは幻想的な空間から現実に戻ったが、視界に映していた人物に驚く。
 忒畝トクセが無意識に見つめていたのは、ルイだった。ルイの微笑む先には──瑠既リュウキがいる。当たり前のように、ルイ瑠既リュウキに寄り添う。
 いや、当たり前なんだと忒畝トクセは思い直す。ルイは『お兄様の婚約者』と恭良ユキヅキは言っていた。沙稀イサキ恭良ユキヅキの立場が──これまでの出生と変わっても──ふたりが結婚したのだから、恭良ユキヅキにとって義姉になることは変らない。そういう意味でも、ふたりが結婚したのは、誰から見ても本当によかったのだろう。
 おかしいのは自身だと忒畝トクセは律する。貊羅ハクラの容態が回復に向かったときから、忒畝トクセルイの今のような笑顔を見たいと思っていた。あれから気にしないようにして、忘れたつもりでいたのに、この期に及んで再認識してしまったとは。
 忒畝トクセが会いたいと願っていたのは、ルイだった。それを、忒畝トクセは思い出したくなかった。それなのに、ルイの笑顔を遠目で見て鼓動が高鳴っている。忒畝トクセに向けられたものではないのに。
 恥じるように忒畝トクセルイから視線を外す。馬鹿げている。婚約者のある人を想うだなんて。まして、その婚約者に向ける表情に見とれていたなんて。恋愛対象に入ることが、まずあり得ない。何をどう考えてみても、『ない』しか答えは出ないのにと自らの感情を疑う。
忒畝トクセ、披露宴は向こうに移動だってよ」
 充忠ミナルの声に、悪夢は吹き飛ぶ。
「ああ、ありがとう。行こうか」
 きれいな挙式だったねと、新郎と新婦の話題で盛り上がりながら正門へと移動する。これから、鴻嫗トキウ城内で披露宴だ。

 披露宴の会場には、丸いテーブルがいくつも並んでいた。最大四人がひとつのテーブルに座れるように、椅子が配置されている。席は自由なようで、すでにたくさんの席が埋まっていた。その中に捷羅ショウラ羅凍ラトウ凪裟ナギサの姿もある。だが、忒畝トクセは違和感を持つ。
 四人座れるはずなのに、椅子がひとつ空いている。羅凍ラトウも結婚したはずだと忒畝トクセは思ったが、遠出ができない事情があるかもしれないと思い直す。
 捷羅ショウラ羅凍ラトウに会ったら一言だけでも祝いたいと思っていた忒畝トクセだったが、出遅れてしまい──。
忒畝トクセ?」
「はやく来いよ」
 馨民カミン充忠ミナルが呼ぶ。
 忒畝トクセは呼ばれるがままに着席。そのまま親友たちとの会話を楽しみ、新郎新婦の入場を待つ。
しおりを挟む
感想 16

あなたにおすすめの小説

彼女にも愛する人がいた

まるまる⭐️
恋愛
既に冷たくなった王妃を見つけたのは、彼女に食事を運んで来た侍女だった。 「宮廷医の見立てでは、王妃様の死因は餓死。然も彼が言うには、王妃様は亡くなってから既に2、3日は経過しているだろうとの事でした」 そう宰相から報告を受けた俺は、自分の耳を疑った。 餓死だと? この王宮で?  彼女は俺の従兄妹で隣国ジルハイムの王女だ。 俺の背中を嫌な汗が流れた。 では、亡くなってから今日まで、彼女がいない事に誰も気付きもしなかったと言うのか…? そんな馬鹿な…。信じられなかった。 だがそんな俺を他所に宰相は更に告げる。 「亡くなった王妃様は陛下の子を懐妊されておりました」と…。 彼女がこの国へ嫁いで来て2年。漸く子が出来た事をこんな形で知るなんて…。 俺はその報告に愕然とした。

[完結]思い出せませんので

シマ
恋愛
「早急にサインして返却する事」 父親から届いた手紙には婚約解消の書類と共に、その一言だけが書かれていた。 同じ学園で学び一年後には卒業早々、入籍し式を挙げるはずだったのに。急になぜ?訳が分からない。 直接会って訳を聞かねば 注)女性が怪我してます。苦手な方は回避でお願いします。 男性視点 四話完結済み。毎日、一話更新

選ばれたのは私ではなかった。ただそれだけ

暖夢 由
恋愛
【5月20日 90話完結】 5歳の時、母が亡くなった。 原因も治療法も不明の病と言われ、発症1年という早さで亡くなった。 そしてまだ5歳の私には母が必要ということで通例に習わず、1年の喪に服すことなく新しい母が連れて来られた。彼女の隣には不思議なことに父によく似た女の子が立っていた。私とあまり変わらないくらいの歳の彼女は私の2つ年上だという。 これからは姉と呼ぶようにと言われた。 そして、私が14歳の時、突然謎の病を発症した。 母と同じ原因も治療法も不明の病。母と同じ症状が出始めた時に、この病は遺伝だったのかもしれないと言われた。それは私が社交界デビューするはずの年だった。 私は社交界デビューすることは叶わず、そのまま治療することになった。 たまに調子がいい日もあるが、社交界に出席する予定の日には決まって体調を崩した。医者は緊張して体調を崩してしまうのだろうといった。 でも最近はグレン様が会いに来ると約束してくれた日にも必ず体調を崩すようになってしまった。それでも以前はグレン様が心配して、私の部屋で1時間ほど話をしてくれていたのに、最近はグレン様を姉が玄関で出迎え、2人で私の部屋に来て、挨拶だけして、2人でお茶をするからと消えていくようになった。 でもそれも私の体調のせい。私が体調さえ崩さなければ…… 今では月の半分はベットで過ごさなければいけないほどになってしまった。 でもある日婚約者の裏切りに気づいてしまう。 私は耐えられなかった。 もうすべてに……… 病が治る見込みだってないのに。 なんて滑稽なのだろう。 もういや…… 誰からも愛されないのも 誰からも必要とされないのも 治らない病の為にずっとベッドで寝ていなければいけないのも。 気付けば私は家の外に出ていた。 元々病で外に出る事がない私には専属侍女などついていない。 特に今日は症状が重たく、朝からずっと吐いていた為、父も義母も私が部屋を出るなど夢にも思っていないのだろう。 私は死ぬ場所を探していたのかもしれない。家よりも少しでも幸せを感じて死にたいと。 これから出会う人がこれまでの生活を変えてくれるとも知らずに。 --------------------------------------------- ※架空のお話です。 ※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。 ※現実世界とは異なりますのでご理解ください。

【完結】失いかけた君にもう一度

暮田呉子
恋愛
偶然、振り払った手が婚約者の頬に当たってしまった。 叩くつもりはなかった。 しかし、謝ろうとした矢先、彼女は全てを捨てていなくなってしまった──。

捨てられたなら 〜婚約破棄された私に出来ること〜

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
長年の婚約者だった王太子殿下から婚約破棄を言い渡されたクリスティン。 彼女は婚約破棄を受け入れ、周りも処理に動き出します。 さて、どうなりますでしょうか…… 別作品のボツネタ救済です(ヒロインの名前と設定のみ)。 突然のポイント数増加に驚いています。HOTランキングですか? 自分には縁のないものだと思っていたのでびっくりしました。 私の拙い作品をたくさんの方に読んでいただけて嬉しいです。 それに伴い、たくさんの方から感想をいただくようになりました。 ありがとうございます。 様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。 ただ、皆様に楽しんでいただけたらと思いますので、中にはいただいたコメントを非公開とさせていただく場合がございます。 申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。 もちろん、私は全て読ませていただきますし、削除はいたしません。 7/16 最終部がわかりにくいとのご指摘をいただき、訂正しました。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

今更気付いてももう遅い。

ユウキ
恋愛
ある晴れた日、卒業の季節に集まる面々は、一様に暗く。 今更真相に気付いても、後悔してももう遅い。何もかも、取り戻せないのです。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

愛人をつくればと夫に言われたので。

まめまめ
恋愛
 "氷の宝石”と呼ばれる美しい侯爵家嫡男シルヴェスターに嫁いだメルヴィーナは3年間夫と寝室が別なことに悩んでいる。  初夜で彼女の背中の傷跡に触れた夫は、それ以降別室で寝ているのだ。  仮面夫婦として過ごす中、ついには夫の愛人が選んだ宝石を誕生日プレゼントに渡される始末。  傷つきながらも何とか気丈に振る舞う彼女に、シルヴェスターはとどめの一言を突き刺す。 「君も愛人をつくればいい。」  …ええ!もう分かりました!私だって愛人の一人や二人!  あなたのことなんてちっとも愛しておりません!  横暴で冷たい夫と結婚して以降散々な目に遭うメルヴィーナは素敵な愛人をゲットできるのか!?それとも…?なすれ違い恋愛小説です。

処理中です...