上 下
12 / 115

つっかれた

しおりを挟む
爽やかな冷風が頬を打った。見上げると雲が真綿のように漂い、雲の切れ目から濃さを増した蒼空が広がっている。散在している木々の葉は黄色に赤に染め始めたばかりか緑色と絡まりモザイク模様をつくっている。それは季節の変わり目を表しているようだ。

私は街並みを散策している。建築外壁、屋根、建物の並び、道路の路面などまるで写真からそのまま出てきたかのような景観だ。平坦な石畳にルネサンス様式のシンメトリーとバランスが強調された整然とした建物が並んでいる。まるで中世のイタリアかヨーロッパを思わせるような造りだ。

「フィクションの世界なのにリアルだ」

ここは外国のどこでもない仮想世界。だからなのか一見、美しい街並みに対して素直に情緒を感じることができない。

「ここってそもそもなんていうの?国の名前は?」

「国の名前はパリアーブル王国

「パイナップル?」

「違う、パリアーブル」

まぎらわしい名前だ。しかも微妙に言いにくいし。

「僕たちがいるのはその首都ハイヌ。ここは市街の中心部らしいよ」

「へー」

道理で大きくて賑やかなはずだ。大体を把握したいが今日は約束があるので今日中には全部は回れそうにない。私はポケットにしまった懐中時計を見た。
12時15分だった。
日中のせいか行き交う人の数が増えてきている。

「そろそろ行くか」

まだ、早い気もするが人が増え始めて『レイ』の知り合いが声をかけてきたら面倒だ。牧場の場所を私は知らないが『レイ』は知っており、無意識の内に身体が場所を案内してくれるとうさぎが言ってた。
つまり勘で行ったらなんとかなるということか。

★☆★☆★☆★

久しぶりに自分がすごい思ってしまう。なんと見事にその場所を勘だけで見つけてしまった。場所は市街の中心部から少し離れた郊外の少し高台にある小さな牧場。入り組んだ場所ではなかったが、分かれ道がいくつかあった。

でも、私は躊躇うことなく決断できた。
敷地にはよく手入れがされた牧草地に3頭の乳牛が草を食べたりのっそりと歩いていたりしている。
牧場なんて小学校の林間学校以来だ。私は懐中時計を取り出し、時間を確認したらちょうど1時で止まっていた。

「レイ!」

今朝会った女性が手を振りながら駆け寄ってきた。女性は今朝とは違い少し汚れた作業服を着ている。

「ちょうど時間通りね」

「はぁ」

「さっそくだけど手伝いをお願いできるかしら?」

来たばっかりなのにさっそくこき使うのか。家からこの牧場まで市街を散策していた時間を引いてもだいたい1時間はかかった。この人はぽっちゃり体系なのに荷物を抱え、しかも徒歩で朝から訪ねてきた。

ある意味すごいな。正直、一息つきたい。
でも、それが『レイ』の習慣なら下手に口出しはできない。

「着替えはいつも通り、小屋の奥のほうにあるわ。でも、久しぶりだからわかるかしら。低い棚の二番目にレイの着替えがあるわよ。もし、サイズが合ってなかったらすぐに言って。着替え終わったら置いてあるバケツを持ってきて」

聞いてもないのに教えてくれてありがとう。基本おしゃべりでせっかちな人間は馬は合わないと思ってたけどこういう時はありがたい。私は教えられた牧場の小屋に向かった。

「……うさぎ」

「はいはい、外に出てるよ。ついでに牧場の様子も見てくるから」

うさぎはくるりと反対方向に飛んでいった。基本インドア派な私が一体どこまでできるのか。
汗はあんまりかきたくないな。

☆★☆★☆★☆★☆


日没。太陽が地平線の下にもう少しで完全に沈みかける時刻。

「……………つっかれた」

私は疲労感と憂鬱感と不快感が入り混じったものを心中で抱えながら遊歩道をとぼとぼと歩いている。牧場での仕事は思いのほか重労働だった。子牛の世話、牛舎の清掃、搾乳、エサやりなどを数時間の間やらされた。動物の臭いもきつかったし、力仕事もかなりあった。楽な仕事ではないと思っていたが想像以上だった。

正直お金を取りたいほどだ。
『レイ』にとっては父親が死んだばかりだからといって気を使われすぎて甘やかされるよりはいいかもしれないが、私にとっては甘やかされて適当に済まさせてくれるほうがよかった。

「ほんと、なんで私があんなことしなきゃいけないんだよ」

もし、真夏日だったら完全に死んでるな。

「でも、情報けっこう集められたよね」

うさぎが上機嫌で話しかけてくる。

「今日はお疲れ様」

「………」

「レイ?」

「うっさい、話しかけんな役立たずうさぎ」

八つ当たり気味に毒づいた。八つ当たりしたくもなる。私が重労働しているときに隣でただ「がんばれ」と声援を送っていただけだった。

かなりイライラした。流したくもない汗水流しているのにただうさぎは私に大声出していただけだった。
作業中何回舌打ちしたかわからない。だからうさぎの上機嫌な声色やただ宙に鬱陶しく浮いている姿でさえ癪にさわる。

「でもさ、その分すっごい収穫だったじゃない?情報の」

それでもうさぎは迷わず話しかけてくる。

むかつくがたしかにうさぎの言うとおりだ。
『レイ・ミラー』に関する基本的なプロフォールや現在の状況を知ることができた。

さっきの女性はレイの伯母。レイの父親の兄の妻だ。一人息子がいてずいぶん前に地方都市に出稼ぎに出ており、現在は夫婦で牧場を切り盛りしている。母親はレイが生まれてまもなく他界していて父親は半年前に事故死している。父親が死んでからレイは他者と距離をとり続け塞ぎこむようになり、伯父と伯母はそんなレイをずっと心配していたらしい。月に2回はレイの元に赴き何かのきっかけになるのではと牧場での手伝いを促していた。最初のうちは多少強引な形で連れ出していたが、レイ自身の意思で行動を起こすことはしなかった。

なので、今日牧場に手伝いに来た私の姿にかなり驚いたらしい

この身体はもともとは『レイ・ミラー』のものでそれに『私』が入っている状態だ。不規則な生活を送っていたためか体を動かすことが苦手だったのか牧場の手伝いを始めて数時間でこの身体の体力がなくなっていくのを感じた。うさぎは私と『レイ・ミラー』の身体が完全と言っていいほど同じだと言っていた。
つまり体幹や体力もほぼ同じということか。

「私、おしゃべりな人間って嫌いだけどこういうときだけ助かるわ」
情報を知ることができた一番の要因は伯母がかなりしゃべり好きだったからだ。私は受け答えするとき「はぁ」とか「まぁ」などボロをださないために適当な生返事で返していた。自分でもかなり愛想が悪いと思っていたが叔母はまったく気にせず、むしろ久しぶりに自分から行動を起こしたこともあって嬉しそうにいろんな話をしてくれた。

『レイ』は元々あまり自分からしゃべるほうではなく、むしろかなり人見知りだったらしい。そのため、顔見知り程度の知り合いはいるが、深い付き合いをしている人間はあまりいないらしい。
私にとっては幸いだ。『レイ』が乙女ゲームの王道主人公の性格の明るく社交的なヒロインじゃなくてよかった。私のキャラじゃないから。
しおりを挟む

処理中です...