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第一章「最初の一冊」
第12話「招待と想い」
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「おいおい、マジかよ。すげぇな、こりゃ……」
鍵穴からほとばしる緑の光を見ながら、鷹見警部が呟いている。その目は新しい玩具を買って貰った子どもの様に、キラキラと輝いて見えた。正直そうなるのも分かる。
鍵穴から抜いた金の鍵をポケットに仕舞いながら、光が収まるのを少し待つ。
「こっからどうなるんだ? うおっ! 眩しい!」
扉中央に嵌め込まれた赤い宝石のフラッシュに対して、眩しそうに目を抑える鷹見警部を見て、思わず微笑む。決して、その反応に笑ったわけではない。昨日、初めて彼女と会った時から、まさかここを見せるような関係になるなんてあの時は思ってなかったからだ。
昨日の夜、工事現場であの男を倒した後、何故か戦う前より遥かに元気になったカミラさんを除いて、その場にいる全員が疲れきっていたので、大事な話の続きはまたにして、それぞれの自宅に一旦、帰ることになった。
そして、今朝改めてこの屋敷にやって来た俺と鷹見警部の2人は、カミラさんと一緒に屋敷地下の怪奇図書館を訪れる事にしたのだ。
最初は、俺の祖先や、じいちゃんが残した物を、自分の判断で勝手に見せていいものか悩んだが、昨日、鷹見警部は俺たちの為に命を懸けてくれた。
そんな人に対して協力すると約束したんだ、この場所を見せないという選択肢は有り得ない。
それに、あの時、鷹見警部にとって大事な人間の名前を出したのは俺だ。ここを見せる事が、無力な俺が出来る、鷹見警部への最大限の協力であり、名前を出した朱鷺田さんに対しての最低限の礼儀だと思う。
だが、俺がそう思っていようと自分1人で決めるのは違う気がした。例え、屋敷をじいちゃんから遺産として受け継いでいようと、ここはカミラさんや亡くなったじいちゃん、俺の祖先の物だと思う。
その事を伝える為に、今朝早めに屋敷に来て、俺の思っている事と、鷹見警部に対してどう協力するつもりかをカミラさんに伝えたのだ。それを聞いた彼女は……。
「……南様に全てお任せします」
と言ってくれた。もしかしたら、そんな事は許せない……と怒られる可能性も考えていたが、その時のカミラさんは何故だか喜んでいるように見えて、俺も安心する事が出来た。
怪奇図書館に通じる重たい扉を開けて、皆で中に入る。
「何だぁ……? すげぇ本がいっぱいだな」
「適当に座って下さい」
怪訝な表情をする鷹見警部に、本棚と本棚の間にある椅子へ、着席を促す。彼女は適当に椅子を引き、その上に座った。
改めて、鷹見警部を見る。よく考えたら、昨日出会ってから、俺自身、気がかりな事が多すぎて、彼女がどういう人なのか、じっくり見ている余裕なんてなかった。
鷹見警部は、黒い背中まで伸びた長髪に、上下黒色のスーツで、上は白いワイシャツの上にジャケット、下は動きやすいようにか、スカートではなくズボンを履いている。身長はカミラさんと同じくらいかな?
彼女は革靴を履いており、そのすらりと伸びた足を組んで座る姿は、まるで有名な画家が書いた1枚の絵画みたいで綺麗だった。
「で、ここが君の知っていた事と、どう関係あるんだ?」
静かな怪奇図書館に、鷹見警部の声が響く。彼女は、目鼻立ちも良く、とても美しいと俺は思うのだが、1つだけ怖い部分があった。
それは、その瞳……。先程まで、子どもの様にキラキラと輝いていたのに、気付けば、まるで獲物を狙う鷹の様な、研ぎ澄まされた鋭い目に変わっていた。
「おーい、少年。聞いてるか?」
「あっ、すみません!」
流石にじっと見すぎたか……。口調は優しいが、その顔は怪訝な表情になっている。
昨日から思っていた事だが、鷹見警部は口調というか雰囲気がころころと変わるな。
怪奇図書に書かれていた二和さんと喋っている時や、昨日の門扉前のやり取りでも、工事現場での姿も、それぞれ違った雰囲気を感じた。穏やかだったり、荒々しかったり、冷静だったりと掴み所がない人だ。
素人の俺には、それが警察官だからなのか、彼女自身が何か思う所があってそうしているのか、真意は読み取れなかった。
「俺が知っていた事と勿論、関係あります。それとこれも……」
鞄から取り出したのは、カミラさんが隠していたあの本。管理番号55、来客と書かれたシールが貼られた、怪奇図書――――鷹見警部の事が記載された一冊だ。
「とりあえず、これを読んでみて下さい」
「よく分からんが、とりあえず分かった」
鷹見警部は、手渡された本を不思議そうに見ながら、ゆっくりと怪奇図書を開いていく。
「おいおいおいおいおいおい、何だよこりゃ……」
「おいが多い!!」
それが、怪奇図書を読み終わった鷹見警部の第一声だった。まぁ、自分の言動が事細かに書かれた本をいきなり見せられたら、そんな反応になるのもおかしくはない。
自分が何をしていたかを、ただ、つまびらかに記載されているだけなら、とんでもないストーカーがいたもんだ、という結論で終わらせる事も出来るが……。
その本に、自分がその時どう思っていたかまで書かれていたら、驚くか、怖がるか、吐くか、泣くか…………とにかく冷静でいるのは中々、難しいだろう。多分、俺が同じ立場なら、純粋に怖がる。
「俺のじいちゃんや祖先の一部は、その場にいなくても、過去や現在、未来などの色々な場所や、様々な人が見ていた景色を感じたり、見ることが出来たみたいです」
「マジかよ……。それじゃあ、事件なんて直ぐに解決出来ちまうじゃねぇか……」
「残念ながら、そんなに都合の良い能力じゃなかったみたいです。少なくともじいちゃんは、好きな状況を選んで見ていた訳じゃなく、突然見えてくる感じだったとか……」
「てことは、もしかしてこれもか?」
「はい。それだけじゃなく、ここにある全ての本……怪奇図書は、俺のじいちゃんや祖先が見てきた物を纏めた物なんです」
「これ、全部が? すげぇな、おい……」
鷹見警部を辺りを見回し、感嘆の声を上げている。俺も最初にここに入った時は同じような反応だった。
「鷹見さんが、今読んだ怪奇図書については……」
俺の横で立ったまま待機していたカミラさんに、視線を移す。それに気付いた彼女は、ばつが悪そうに話し始めた。
別に俺は、あの怪奇図書を隠していた理由を知りたいだけで、カミラさんに怒っているとかではないんだけどなぁ……。
「……その怪奇図書は、ほくさ……コホン……南様のお祖父様が、過去に見た内容を纏めた物です」
うん? 今、北斎って言いかけてなかったか? もしかして、俺に配慮してお祖父様呼びにしてるのかな?
「あの、カミラさん」
「……はい? 何でしょうか」
「俺に気を遣わずに、じいちゃんの事を呼ぶ時は、前から使っていた呼び方でいいですよ」
「……分かりました。お心遣いありがとうございます」
「いえいえ。でも、その怪奇図書を書いたのがじいちゃんだとして、出てくる事件の被害者達が、じいちゃんの名刺を持っていたのは何でなんだろう?」
「……それは……」
カミラさんは鷹見警部をちらりと見た後、今度は俺の目を見てくる。どういう意味かと考えてる間に、彼女は意を決した様に自分から喋り始めた。
「……鷹見警部」
「何だ?」
椅子に座ったまま足を組み、腕も組んだ状態で話が進むのをじっと待っていた彼女が返事をする。
「……私は貴女に嘘をついていました。すみません」
「嘘?」
「……貴女が持ってきた名刺ですが、私はあれを知っています」
「いや、それは気付いていたが、嘘をついた理由は? 名刺を知っているだけなら、同じ屋敷に住んでるんだ、おかしな話でもないだろ。何故あの時、わざわざ知らないとまで言ったんだ?」
「……そこが問題だからです。私はあれを被害者に渡した時に、その場にいました」
「ほう……」
鷹見警部の目がより一層鋭さを増す。まさか、また拳銃を持ち出したりしないよな?
「…………うん? どうした少年?」
じっと見ていたのがバレた!
「いや、また拳銃が出てくるかと……」
その鋭い目に怯え、つい、本音を漏らしてしまう。
「ハハハッ! いくらなんでも、もう昨日みたいな事はしねぇよ。まだ疑うことは止めちゃいねぇが、話を聞くと決めた以上、最後までそんな事はしねぇよ」
「なるほど………………最後まで!?」
それは返答次第じゃ、昨日の続き、第2ラウンドが始まるって事じゃ……?
「で、そんな嘘をついた理由は何だ?」
「……理由は2つあります。1つ目は事件がまだ終わっていないのに、もし捕まって拘束されるような事があれば、また新たな被害者が出るかも知れないと思ったからです」
「それはどういう事だ? 君たちと今回の事件に元から何か関係があったと?」
「……いえ、違います。真道家……そして、北斎は、怪奇図書に書かれた、様々な事件を解決したり、その被害者を助けたり、そういった方を出さない為に、昔から独自に動いていました」
そういう事か……。気にはなっていた事に、やっと合点がいった。
真道家が、こんな場所をわざわざ作って、これだけの怪奇図書を残し続けていた理由。最初は、それが真道家の歴史だから残しているのだと、勝手に思っていたが、それは違った。
俺のじいちゃんや祖先たちは、自分たちが見た光景――――過去か、未来か、現在かの判別もつかないそれを…………その中で助けを求める誰かの為に、1つずつ書いて、今まで残し続けていたのだ。
いつかその怪奇図書と同じ時代に生きる誰かが、未来に起きる事だと気付いた誰かが、過去に起きた事だと理解した誰かが、その事件を解決出来るように……。
そこで、怪奇図書館に初めて来た時に、じいちゃんが言ってた事を教えてくれた、カミラさんの言葉を思い出す。
「……過去、現在、未来、いつを見てるかも咄嗟にはわからない。時計や、景色、その人物が考えてる事で何とか判断するしかない。そうしないと…………」
あの時は、そうしないと……の続きは聞けなかったが、今なら分かる、と思う。
「怪奇図書を残すのは、そうしないとそこにいる誰かを助けられないから……ですよね?」
「……その通りです」
「じゃあ、あの名刺を被害者が持っていたのも、その行動の一環だと?」
顎に手を当てながら、鷹見警部が質問する。
「……はい。今、貴女が見た怪奇図書を元に、北斎と私は、何とか被害者に接触する事は出来ました。おかしな事があった時にと、2人が連絡出来るように渡したのがあの名刺です」
被害者が、2人とも名刺を持っていたのはそういう理由か。
「……ですが、結局どちらも力が及ばずに……。前回の被害者は殺される時間も場所も分からず、その上、私は別の事件でここにいませんでした。そして、戻ってきた時には北斎は……」
そこまで流暢に喋っていたカミラさんは言葉に詰まり、悲しげな表情になった。そうだ。解決の為に一緒に動いていたじいちゃんは亡くなってしまった。彼女のその苦しそうな顔を見ているだけで、俺も胸が痛くなる。
「…………失礼しました。そして、もう1つの事件。昨日の事件は日付は分かりましたが、朝方というだけで、明確な時間はこちらで予想するしかなく、場所もハッキリとは分かりませんでした。どうにか出来ないかと動きましたが、私の力不足で、また犠牲者が……」
「それは……」
掛ける言葉が出てこない。少ない手がかりで解決しようと奔走していたが、協力者は亡くなり、それでもどうにかしようとしたのに、結果は……。
「……あくまで怪奇図書は、それを見た人間が記憶を基に書いた物です。なので、どうしても見た内容を一から十まで完全に書ききるのは難しい。だから、何とか出来る事にも限度はあると私は思っています」
それはそうだ。俺もいきなり知らない景色や、人を見せられて、それら全てを記憶して、紙に書けと言われても絶対に書けない。せいぜい、その中で印象に残った部分を幾つか書いて終わりだろう。
「……ですが、鷹見警部の話から、付近の監視カメラに映っていた以上、その方を助けられた可能性は十分にありました。私が、もっと上手く動けていれば……」
「あのなぁ……」
そこまで黙って聞いていた鷹見警部が、口を開いた。
「何を勘違いしてるのか知らねぇが、悪いのはあくまでそんな事件を起こす存在だろうが」
彼女は当たり前の事だとばかりに、淡々と話を続けていく。
「そりゃ、あんたが事件の手がかりを持っていたのは事実だが、わたし達本職の刑事ですら、それがあってもどうにも出来ない場合がある。特にこんな手がかりじゃ、他の誰かに協力を仰ぐのも難しいだろうからな」
そう言いながら、怪奇図書を手に持ってパタパタと振る彼女の口調は、怒るでも、責めるでもなく、思っている事を率直に言っている事が伝わってきた。
「被害者が出てる以上、気にするなとは絶対に言えないが、自分だけを責めるのは止めろ」
「………………」
「何だ?」
「……貴女は思ってたより良い人なのかも知れませんね」
「うるせぇ」
「今の話で、名刺を知らないと言った1つ目の理由が、次の犠牲者を出さない為に犯人を捕まえたいから……ってのは分かったんですが、それなら2つ目は?」
俺には正直、1つ目の理由だけでも充分に納得出来たが、これ以上にまだ何かあると言うのか。
「……それは……」
カミラさんは俺を見ながら、何かを逡巡している様だ。
「ふーん。なるほどねぇ……」
「鷹見さん何か分かったんですか?」
俺がそう聞くと、彼女の鷹みたいに鋭かった目が、まるで、相手をからかういたずらっ子のような目になっていた。
「なんだ、少年。分からないのか?」
「…………え? はい。分からないです」
「こりゃあ、色々大変だなぁ」
鷹見警部の視線が俺からカミラさんに移る。その目からは、何故か同情するような雰囲気を感じ取れたのは気のせいだろうか?
「すごーく簡単に言えば、少年を巻き込みたくなかったんだよ」
「俺を……ですか……?」
「あぁ。門扉の所で、わたしを帰らせようとしたのも、名刺の事を知らない素振りをしたのも、君をこの事件に巻き込ませないようにする為だろう」
「あっ! だからカミラさんは、この怪奇図書を隠してたんですか?」
「…………はい」
少し間を置いてから、カミラさんから肯定の返事が来る。なるほど。確かにじいちゃんの事を知りたがっていた俺が、この話を聞けば、自ら事件に顔を突っ込んでいた可能性は高いだろう。
カミラさんからすれば、じいちゃんの孫を危ない目に遭わせたくはなかったのかも知れない。
でも、彼女がはいと答えた一瞬、何か歯切れの悪い感じがしたのは何でだろう?
「で、更に少年にもーーーーーっと分かりやすく説明するとだな」
「は、はい! お願いします!」
そう喋りかけてくる鷹見警部が、また相手をからかうような目だったのは気になったが、教えて貰えるというのなら是非聞きたい。
「良い返事だ。これはわたしの予想なんだが、多分メイドは君のこ…………うーっ! うーっ!」
「こうーっ…………えっ?」
俺の隣にいた筈のカミラさんが、いつの間にか鷹見警部の真後ろに立っていた。その上、何故か凄く優しい笑顔で、鷹見警部の口に両手を当てている。
「あのー、カミラさん?」
「……はい。何でしょうか?」
「鷹見警部と話したいので、その手をどけて貰えませんか?」
「……何とかこのまま会話は出来ませんか?」
「どんな縛り!? それ、ただ俺が一人で喋ってるだけになりますよね!」
「……南様のお話、私は聞きたいな~」
「そういう事じゃないです! そんな風に、目をうるうるさせながら言っても騙されないですから!」
「……分かりました。それなら鷹見警部が言いたいことを私が聞いて、彼女の代わりに内容を伝えますね」
「この場にいるのに!? 何で言葉が通じる相手に、そんな通訳みたいな事をする必要があるんですか!」
「……うぅっ……」
「何で、そんな心底困った……みたいな顔してるんですか……。むしろ、困ってるのは俺ですよ」
カミラさんとのよく分からないやり取りを続けていると、口を塞がれていた鷹見警部が、まるで、ギブアップと言わんばかりに、カミラさんの手をタップし始めた。それを見た彼女は、耳元で何かを呟いた後、鷹見警部の口から手を離す。
「じゃ、昨日の話の続きするか!」
「鷹見さん!? メイドは君のこうーっの続きは!?」
「ナンノコトダ? ワタシヨクワカラナイ」
「何で急にカタコトになるんですか! さっきまで流暢に喋ってましたよね!」
「まぁ、また今度……いや、いつか……そうだな。100年後くらいにな」
「墓までお持ち帰り!? それ、もう言う気ないじゃないですか!」
「あーー! もう、この話は終わり! わたしも協力して貰う以上は、相手に余計な恨みは買いたくないからな」
「えーーっ! まぁ、そこまで言うなら、気になるけど諦めますよ」
何だか釈然としないが、本人が喋りたくないなら無理強いする訳にもいかない。
「じゃあ、話を続けるが……。名刺の件や、事件現場の近くにいた理由は今ので分かったが、わたしが一番聞きたいのはそれじゃない。昨日見た双腕の男や、少年を襲おうとしていた女が何者なのか……いや、何なのか……だ」
「……分かりました。結局、南様に、北斎と私がしていた事もバレて、戦う姿も見られてしまいました。その上で、南様が貴女に協力すると決められた以上、私も腹を括ります」
カミラさんはゆっくりと時間をとって深呼吸した後、強い覚悟を秘めた目でこちらを見ながら、話を始めた。
「……まずは、私が何なのか……。気付かれているとは思いますが、私は人間ではありません」
昨日の超人的な動きの数々を目の前で見れば、多くの人がそう思うのは間違いないだろう。もしかしたら、あんな動作が出来る人も世の中を探せばいるのかも知れないが、少なくとも俺の周りにはいないとは思う。
カミラさんは、もう一度深呼吸をした後、俺の目を真っ直ぐ見ながら、言葉を紡いでいく……。
「……私は、死んだ人間と、ある細胞を合わせて造られた人造人間です」
そう自分の正体を告げる彼女の声は…………今にも消え入りそうな程に、か細く震えていた。
鍵穴からほとばしる緑の光を見ながら、鷹見警部が呟いている。その目は新しい玩具を買って貰った子どもの様に、キラキラと輝いて見えた。正直そうなるのも分かる。
鍵穴から抜いた金の鍵をポケットに仕舞いながら、光が収まるのを少し待つ。
「こっからどうなるんだ? うおっ! 眩しい!」
扉中央に嵌め込まれた赤い宝石のフラッシュに対して、眩しそうに目を抑える鷹見警部を見て、思わず微笑む。決して、その反応に笑ったわけではない。昨日、初めて彼女と会った時から、まさかここを見せるような関係になるなんてあの時は思ってなかったからだ。
昨日の夜、工事現場であの男を倒した後、何故か戦う前より遥かに元気になったカミラさんを除いて、その場にいる全員が疲れきっていたので、大事な話の続きはまたにして、それぞれの自宅に一旦、帰ることになった。
そして、今朝改めてこの屋敷にやって来た俺と鷹見警部の2人は、カミラさんと一緒に屋敷地下の怪奇図書館を訪れる事にしたのだ。
最初は、俺の祖先や、じいちゃんが残した物を、自分の判断で勝手に見せていいものか悩んだが、昨日、鷹見警部は俺たちの為に命を懸けてくれた。
そんな人に対して協力すると約束したんだ、この場所を見せないという選択肢は有り得ない。
それに、あの時、鷹見警部にとって大事な人間の名前を出したのは俺だ。ここを見せる事が、無力な俺が出来る、鷹見警部への最大限の協力であり、名前を出した朱鷺田さんに対しての最低限の礼儀だと思う。
だが、俺がそう思っていようと自分1人で決めるのは違う気がした。例え、屋敷をじいちゃんから遺産として受け継いでいようと、ここはカミラさんや亡くなったじいちゃん、俺の祖先の物だと思う。
その事を伝える為に、今朝早めに屋敷に来て、俺の思っている事と、鷹見警部に対してどう協力するつもりかをカミラさんに伝えたのだ。それを聞いた彼女は……。
「……南様に全てお任せします」
と言ってくれた。もしかしたら、そんな事は許せない……と怒られる可能性も考えていたが、その時のカミラさんは何故だか喜んでいるように見えて、俺も安心する事が出来た。
怪奇図書館に通じる重たい扉を開けて、皆で中に入る。
「何だぁ……? すげぇ本がいっぱいだな」
「適当に座って下さい」
怪訝な表情をする鷹見警部に、本棚と本棚の間にある椅子へ、着席を促す。彼女は適当に椅子を引き、その上に座った。
改めて、鷹見警部を見る。よく考えたら、昨日出会ってから、俺自身、気がかりな事が多すぎて、彼女がどういう人なのか、じっくり見ている余裕なんてなかった。
鷹見警部は、黒い背中まで伸びた長髪に、上下黒色のスーツで、上は白いワイシャツの上にジャケット、下は動きやすいようにか、スカートではなくズボンを履いている。身長はカミラさんと同じくらいかな?
彼女は革靴を履いており、そのすらりと伸びた足を組んで座る姿は、まるで有名な画家が書いた1枚の絵画みたいで綺麗だった。
「で、ここが君の知っていた事と、どう関係あるんだ?」
静かな怪奇図書館に、鷹見警部の声が響く。彼女は、目鼻立ちも良く、とても美しいと俺は思うのだが、1つだけ怖い部分があった。
それは、その瞳……。先程まで、子どもの様にキラキラと輝いていたのに、気付けば、まるで獲物を狙う鷹の様な、研ぎ澄まされた鋭い目に変わっていた。
「おーい、少年。聞いてるか?」
「あっ、すみません!」
流石にじっと見すぎたか……。口調は優しいが、その顔は怪訝な表情になっている。
昨日から思っていた事だが、鷹見警部は口調というか雰囲気がころころと変わるな。
怪奇図書に書かれていた二和さんと喋っている時や、昨日の門扉前のやり取りでも、工事現場での姿も、それぞれ違った雰囲気を感じた。穏やかだったり、荒々しかったり、冷静だったりと掴み所がない人だ。
素人の俺には、それが警察官だからなのか、彼女自身が何か思う所があってそうしているのか、真意は読み取れなかった。
「俺が知っていた事と勿論、関係あります。それとこれも……」
鞄から取り出したのは、カミラさんが隠していたあの本。管理番号55、来客と書かれたシールが貼られた、怪奇図書――――鷹見警部の事が記載された一冊だ。
「とりあえず、これを読んでみて下さい」
「よく分からんが、とりあえず分かった」
鷹見警部は、手渡された本を不思議そうに見ながら、ゆっくりと怪奇図書を開いていく。
「おいおいおいおいおいおい、何だよこりゃ……」
「おいが多い!!」
それが、怪奇図書を読み終わった鷹見警部の第一声だった。まぁ、自分の言動が事細かに書かれた本をいきなり見せられたら、そんな反応になるのもおかしくはない。
自分が何をしていたかを、ただ、つまびらかに記載されているだけなら、とんでもないストーカーがいたもんだ、という結論で終わらせる事も出来るが……。
その本に、自分がその時どう思っていたかまで書かれていたら、驚くか、怖がるか、吐くか、泣くか…………とにかく冷静でいるのは中々、難しいだろう。多分、俺が同じ立場なら、純粋に怖がる。
「俺のじいちゃんや祖先の一部は、その場にいなくても、過去や現在、未来などの色々な場所や、様々な人が見ていた景色を感じたり、見ることが出来たみたいです」
「マジかよ……。それじゃあ、事件なんて直ぐに解決出来ちまうじゃねぇか……」
「残念ながら、そんなに都合の良い能力じゃなかったみたいです。少なくともじいちゃんは、好きな状況を選んで見ていた訳じゃなく、突然見えてくる感じだったとか……」
「てことは、もしかしてこれもか?」
「はい。それだけじゃなく、ここにある全ての本……怪奇図書は、俺のじいちゃんや祖先が見てきた物を纏めた物なんです」
「これ、全部が? すげぇな、おい……」
鷹見警部を辺りを見回し、感嘆の声を上げている。俺も最初にここに入った時は同じような反応だった。
「鷹見さんが、今読んだ怪奇図書については……」
俺の横で立ったまま待機していたカミラさんに、視線を移す。それに気付いた彼女は、ばつが悪そうに話し始めた。
別に俺は、あの怪奇図書を隠していた理由を知りたいだけで、カミラさんに怒っているとかではないんだけどなぁ……。
「……その怪奇図書は、ほくさ……コホン……南様のお祖父様が、過去に見た内容を纏めた物です」
うん? 今、北斎って言いかけてなかったか? もしかして、俺に配慮してお祖父様呼びにしてるのかな?
「あの、カミラさん」
「……はい? 何でしょうか」
「俺に気を遣わずに、じいちゃんの事を呼ぶ時は、前から使っていた呼び方でいいですよ」
「……分かりました。お心遣いありがとうございます」
「いえいえ。でも、その怪奇図書を書いたのがじいちゃんだとして、出てくる事件の被害者達が、じいちゃんの名刺を持っていたのは何でなんだろう?」
「……それは……」
カミラさんは鷹見警部をちらりと見た後、今度は俺の目を見てくる。どういう意味かと考えてる間に、彼女は意を決した様に自分から喋り始めた。
「……鷹見警部」
「何だ?」
椅子に座ったまま足を組み、腕も組んだ状態で話が進むのをじっと待っていた彼女が返事をする。
「……私は貴女に嘘をついていました。すみません」
「嘘?」
「……貴女が持ってきた名刺ですが、私はあれを知っています」
「いや、それは気付いていたが、嘘をついた理由は? 名刺を知っているだけなら、同じ屋敷に住んでるんだ、おかしな話でもないだろ。何故あの時、わざわざ知らないとまで言ったんだ?」
「……そこが問題だからです。私はあれを被害者に渡した時に、その場にいました」
「ほう……」
鷹見警部の目がより一層鋭さを増す。まさか、また拳銃を持ち出したりしないよな?
「…………うん? どうした少年?」
じっと見ていたのがバレた!
「いや、また拳銃が出てくるかと……」
その鋭い目に怯え、つい、本音を漏らしてしまう。
「ハハハッ! いくらなんでも、もう昨日みたいな事はしねぇよ。まだ疑うことは止めちゃいねぇが、話を聞くと決めた以上、最後までそんな事はしねぇよ」
「なるほど………………最後まで!?」
それは返答次第じゃ、昨日の続き、第2ラウンドが始まるって事じゃ……?
「で、そんな嘘をついた理由は何だ?」
「……理由は2つあります。1つ目は事件がまだ終わっていないのに、もし捕まって拘束されるような事があれば、また新たな被害者が出るかも知れないと思ったからです」
「それはどういう事だ? 君たちと今回の事件に元から何か関係があったと?」
「……いえ、違います。真道家……そして、北斎は、怪奇図書に書かれた、様々な事件を解決したり、その被害者を助けたり、そういった方を出さない為に、昔から独自に動いていました」
そういう事か……。気にはなっていた事に、やっと合点がいった。
真道家が、こんな場所をわざわざ作って、これだけの怪奇図書を残し続けていた理由。最初は、それが真道家の歴史だから残しているのだと、勝手に思っていたが、それは違った。
俺のじいちゃんや祖先たちは、自分たちが見た光景――――過去か、未来か、現在かの判別もつかないそれを…………その中で助けを求める誰かの為に、1つずつ書いて、今まで残し続けていたのだ。
いつかその怪奇図書と同じ時代に生きる誰かが、未来に起きる事だと気付いた誰かが、過去に起きた事だと理解した誰かが、その事件を解決出来るように……。
そこで、怪奇図書館に初めて来た時に、じいちゃんが言ってた事を教えてくれた、カミラさんの言葉を思い出す。
「……過去、現在、未来、いつを見てるかも咄嗟にはわからない。時計や、景色、その人物が考えてる事で何とか判断するしかない。そうしないと…………」
あの時は、そうしないと……の続きは聞けなかったが、今なら分かる、と思う。
「怪奇図書を残すのは、そうしないとそこにいる誰かを助けられないから……ですよね?」
「……その通りです」
「じゃあ、あの名刺を被害者が持っていたのも、その行動の一環だと?」
顎に手を当てながら、鷹見警部が質問する。
「……はい。今、貴女が見た怪奇図書を元に、北斎と私は、何とか被害者に接触する事は出来ました。おかしな事があった時にと、2人が連絡出来るように渡したのがあの名刺です」
被害者が、2人とも名刺を持っていたのはそういう理由か。
「……ですが、結局どちらも力が及ばずに……。前回の被害者は殺される時間も場所も分からず、その上、私は別の事件でここにいませんでした。そして、戻ってきた時には北斎は……」
そこまで流暢に喋っていたカミラさんは言葉に詰まり、悲しげな表情になった。そうだ。解決の為に一緒に動いていたじいちゃんは亡くなってしまった。彼女のその苦しそうな顔を見ているだけで、俺も胸が痛くなる。
「…………失礼しました。そして、もう1つの事件。昨日の事件は日付は分かりましたが、朝方というだけで、明確な時間はこちらで予想するしかなく、場所もハッキリとは分かりませんでした。どうにか出来ないかと動きましたが、私の力不足で、また犠牲者が……」
「それは……」
掛ける言葉が出てこない。少ない手がかりで解決しようと奔走していたが、協力者は亡くなり、それでもどうにかしようとしたのに、結果は……。
「……あくまで怪奇図書は、それを見た人間が記憶を基に書いた物です。なので、どうしても見た内容を一から十まで完全に書ききるのは難しい。だから、何とか出来る事にも限度はあると私は思っています」
それはそうだ。俺もいきなり知らない景色や、人を見せられて、それら全てを記憶して、紙に書けと言われても絶対に書けない。せいぜい、その中で印象に残った部分を幾つか書いて終わりだろう。
「……ですが、鷹見警部の話から、付近の監視カメラに映っていた以上、その方を助けられた可能性は十分にありました。私が、もっと上手く動けていれば……」
「あのなぁ……」
そこまで黙って聞いていた鷹見警部が、口を開いた。
「何を勘違いしてるのか知らねぇが、悪いのはあくまでそんな事件を起こす存在だろうが」
彼女は当たり前の事だとばかりに、淡々と話を続けていく。
「そりゃ、あんたが事件の手がかりを持っていたのは事実だが、わたし達本職の刑事ですら、それがあってもどうにも出来ない場合がある。特にこんな手がかりじゃ、他の誰かに協力を仰ぐのも難しいだろうからな」
そう言いながら、怪奇図書を手に持ってパタパタと振る彼女の口調は、怒るでも、責めるでもなく、思っている事を率直に言っている事が伝わってきた。
「被害者が出てる以上、気にするなとは絶対に言えないが、自分だけを責めるのは止めろ」
「………………」
「何だ?」
「……貴女は思ってたより良い人なのかも知れませんね」
「うるせぇ」
「今の話で、名刺を知らないと言った1つ目の理由が、次の犠牲者を出さない為に犯人を捕まえたいから……ってのは分かったんですが、それなら2つ目は?」
俺には正直、1つ目の理由だけでも充分に納得出来たが、これ以上にまだ何かあると言うのか。
「……それは……」
カミラさんは俺を見ながら、何かを逡巡している様だ。
「ふーん。なるほどねぇ……」
「鷹見さん何か分かったんですか?」
俺がそう聞くと、彼女の鷹みたいに鋭かった目が、まるで、相手をからかういたずらっ子のような目になっていた。
「なんだ、少年。分からないのか?」
「…………え? はい。分からないです」
「こりゃあ、色々大変だなぁ」
鷹見警部の視線が俺からカミラさんに移る。その目からは、何故か同情するような雰囲気を感じ取れたのは気のせいだろうか?
「すごーく簡単に言えば、少年を巻き込みたくなかったんだよ」
「俺を……ですか……?」
「あぁ。門扉の所で、わたしを帰らせようとしたのも、名刺の事を知らない素振りをしたのも、君をこの事件に巻き込ませないようにする為だろう」
「あっ! だからカミラさんは、この怪奇図書を隠してたんですか?」
「…………はい」
少し間を置いてから、カミラさんから肯定の返事が来る。なるほど。確かにじいちゃんの事を知りたがっていた俺が、この話を聞けば、自ら事件に顔を突っ込んでいた可能性は高いだろう。
カミラさんからすれば、じいちゃんの孫を危ない目に遭わせたくはなかったのかも知れない。
でも、彼女がはいと答えた一瞬、何か歯切れの悪い感じがしたのは何でだろう?
「で、更に少年にもーーーーーっと分かりやすく説明するとだな」
「は、はい! お願いします!」
そう喋りかけてくる鷹見警部が、また相手をからかうような目だったのは気になったが、教えて貰えるというのなら是非聞きたい。
「良い返事だ。これはわたしの予想なんだが、多分メイドは君のこ…………うーっ! うーっ!」
「こうーっ…………えっ?」
俺の隣にいた筈のカミラさんが、いつの間にか鷹見警部の真後ろに立っていた。その上、何故か凄く優しい笑顔で、鷹見警部の口に両手を当てている。
「あのー、カミラさん?」
「……はい。何でしょうか?」
「鷹見警部と話したいので、その手をどけて貰えませんか?」
「……何とかこのまま会話は出来ませんか?」
「どんな縛り!? それ、ただ俺が一人で喋ってるだけになりますよね!」
「……南様のお話、私は聞きたいな~」
「そういう事じゃないです! そんな風に、目をうるうるさせながら言っても騙されないですから!」
「……分かりました。それなら鷹見警部が言いたいことを私が聞いて、彼女の代わりに内容を伝えますね」
「この場にいるのに!? 何で言葉が通じる相手に、そんな通訳みたいな事をする必要があるんですか!」
「……うぅっ……」
「何で、そんな心底困った……みたいな顔してるんですか……。むしろ、困ってるのは俺ですよ」
カミラさんとのよく分からないやり取りを続けていると、口を塞がれていた鷹見警部が、まるで、ギブアップと言わんばかりに、カミラさんの手をタップし始めた。それを見た彼女は、耳元で何かを呟いた後、鷹見警部の口から手を離す。
「じゃ、昨日の話の続きするか!」
「鷹見さん!? メイドは君のこうーっの続きは!?」
「ナンノコトダ? ワタシヨクワカラナイ」
「何で急にカタコトになるんですか! さっきまで流暢に喋ってましたよね!」
「まぁ、また今度……いや、いつか……そうだな。100年後くらいにな」
「墓までお持ち帰り!? それ、もう言う気ないじゃないですか!」
「あーー! もう、この話は終わり! わたしも協力して貰う以上は、相手に余計な恨みは買いたくないからな」
「えーーっ! まぁ、そこまで言うなら、気になるけど諦めますよ」
何だか釈然としないが、本人が喋りたくないなら無理強いする訳にもいかない。
「じゃあ、話を続けるが……。名刺の件や、事件現場の近くにいた理由は今ので分かったが、わたしが一番聞きたいのはそれじゃない。昨日見た双腕の男や、少年を襲おうとしていた女が何者なのか……いや、何なのか……だ」
「……分かりました。結局、南様に、北斎と私がしていた事もバレて、戦う姿も見られてしまいました。その上で、南様が貴女に協力すると決められた以上、私も腹を括ります」
カミラさんはゆっくりと時間をとって深呼吸した後、強い覚悟を秘めた目でこちらを見ながら、話を始めた。
「……まずは、私が何なのか……。気付かれているとは思いますが、私は人間ではありません」
昨日の超人的な動きの数々を目の前で見れば、多くの人がそう思うのは間違いないだろう。もしかしたら、あんな動作が出来る人も世の中を探せばいるのかも知れないが、少なくとも俺の周りにはいないとは思う。
カミラさんは、もう一度深呼吸をした後、俺の目を真っ直ぐ見ながら、言葉を紡いでいく……。
「……私は、死んだ人間と、ある細胞を合わせて造られた人造人間です」
そう自分の正体を告げる彼女の声は…………今にも消え入りそうな程に、か細く震えていた。
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