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スピンオフ:ロスーン国編『怖がりな降霊術師は霊獣に愛される』(完)
王宮の中
しおりを挟む即断が信条と、その日のうちにエルベルトは休暇に必要な申請書類を最短経路で揃え、午後には身軽な旅装に着替えて出かけてしまった。
突然、一人きりで広く感じる降霊術課に不安な気持ちが募っていく。部屋に一人でいるよりはとユーリは王宮内に潜むスパイの調査に取り掛かった。宮殿の広い敷地をあちこち歩き回っていると、宮殿内で働く様々な人々に出会い、その度に足を止め挨拶をした。元々の自分の育ちでは、一生会話をすることもなかったであろう高貴な身分の人々と物怖じすることなく自然体で会話出来ているのは、エルベルトの指導の賜物だった。
「あらあら、ハーウェルのお弟子さん、なんだか、とても楽しそうね」
次女を連れ通りかかった王女様にくすくすと微笑まれる。そういえば、この方が、昔、王宮内で人形を失くした女の子だと、今朝エルベルトに言われたことで、今更ながら気づく。そして、あまりにまじまじと女性の顔を見ていたことに気づき慌てて頭を下げ先を急いだ。
傍目からは散歩して遊んでいるように見えても、これも立派なユーリの調査方法だった。
積極的に霊に出会うべく、精神的な感度は上げたまま宮殿内を歩く。正直、闇雲に調査をするのは、とても疲れるし骨が折れる。自分に縁もゆかりもない、近くを漂っているだけの霊に話を聞くことは、誰でも真似できることではない。
こんな地道な聞き込みなんかより、降霊会で霊を呼び出し、直接話を聞く方が早いのはユーリだって分かっていた。感覚的には、街の市場で偶然ぶつかった相手に聞き込みするのと、あらかじめ遊ぶ約束をした友人の家に行くくらいの違いがある。
ユーリは王宮内を彷徨いながら、心の中で、この方法で有力な情報を手に入れて夜の『初めてのひとりぼっち降霊会』から逃れたいと願っていた。
朝も昼も夜も霊にとっては条件なんて何も変わらないはずなのに、昼間は、心優しい霊に出会うことが多い気がする。
中庭で、空に向かって手を伸ばした。
ふわふわと漂うオーブの光さえ、手で触れれば心なしか温かい。
卒業試験の時、自分が混乱して言った言葉。――夜に機嫌が悪い霊が多いのは、眠いからだって理由があながち間違いではない気がしてくる。
数時間王宮内を歩いていても、木や花の精霊にしか出会わなかったし、予想通り、ユーリと話が出来るような思念を持つ霊はいなかった。
ユーリは暗いところや幽霊が怖いけれど、今では、ちゃんと話せば気持ちを通じ合わせることができる友人だと知っている。恐ろしい霊に出会うことがあるのは、人間と同じで、単に、機嫌が悪かったり、人に対して悪意を持つ霊も「少し」はいるというだけ。
けれど、その少しの確率に遭遇してしまうのがユーリだった。
だからいつまでたっても、完全に恐怖がなくなることがない。
「平和だな……」
エルベルトが言う通り、スパイなんていないとユーリも思う。
午後のぽかぽか陽気に誘われるように、外の回廊から庭園へ出て、王家専属の庭師によって手入れされた美しい薔薇のアーチを抜けた。
そこには、さらに今は使われていない石壁の薄暗い塀の道が続いている。この暗い道を抜けると先には広大な草原が広がっていた。
石壁の道の先にある今にも崩れ落ちそうな灰色の塔は、現在は使われていない見張りの塔だ。
ユーリが、一人で向かうには、間違いなく「暗くて、怖い」場所だった。
王宮に潜むスパイについて、調べるなら王宮全体を見回り、そこにいる全ての霊と話をしなくてはいけない。
分かっているのに、どうしても、その場所には近づきたくなかった。
明るい王宮の敷地内で、塔のある一角だけが、いつも薄暗く影をまとっている。昔、捕虜を閉じ込めていたという歴史が、負の感情を集めている気がして、嫌な予感がする。
初めて王宮に足を踏み入れ、エルベルトに敷地内を案内された時も、東の塔の中までは行かなかった。
――ユーリくんが怖がりますからねぇ。ま、どちらにしても、誰も近づかないから、この先はいいでしょうか。
確かに、怖いと思っていたので、エルベルトのその言葉に安堵したのを覚えている。
その一角に王宮内の人々が、足を踏み入れないのには理由があった。
東の塔の周辺だけが、他よりも高台に位置していて、国の周囲を取り囲む城壁の向こう側までも見渡せる。だが、とにかく天気に関係なく景色は、いつも薄暗くくすんだ色をしていた。
東には、普通の人間は、足を踏み入れない『精霊の森』が広がっていた。
森には、悪いモノも、良いモノも流されて吹き溜まっている。ユーリには「それ」が見えているけれど、他の人も本能的にそれを体で感じているから近づけないのだ。
ユーリは今の落ち着かない、このザラザラとした不安な気持ちは、苦手な森が理由だと思った。降霊術師として勉強のため何度も森には行っていたのに、どうしてもあの場所は、何度行っても好きになれない。毎度のことでテオにも呆れられるが、いつも足がすくむ。
それほど強い力のある場所だった。
――おいで、ルル。
ユーリは心の中でルルを呼んだ。すると朝は、いつもユーリの部屋の外に出るのを嫌がるのに、今は抵抗もなく、目の前にするりと現れてくれた。ユーリは嬉しくなり地面に膝をついてルルの大きな体を抱きしめる。
「ねぇ、どう思う? この先、行った方がいいかな?」
仕事に対する、義務感、几帳面さと、恐怖の間で決心が行きつ戻りつを繰り返している。
行かなくていいよ、帰ろう、と肯定してくれる誰かが欲しかったのかもしれない。
なんだか急に幼馴染のテオの顔が見たくなった。
このままだと得体の知れない恐ろしさで心の中がいっぱいに満たされてしまう気がして、今すぐこの気持ちを誰かに沈めて欲しかった。
(ただ一言、大丈夫だってテオが言ってくれたらすぐに治るのに)
ため息をこぼしたユーリはルルの顔を見た。その次の瞬間、ルルは突如ユーリの導師服の裾を噛んで後ろに向かって走り出す。
「ちょ、とルル! どうしたの!」
石畳の上をつまづいてこけそうになりながら、ルルと共にドタバタと走ってたどり着いた場所は、なぜか宮殿の正面門前だった。ユーリは上がった息を整える。
「あ? お前、何、遊んでんだよ」
宮殿の正門では、この時間、テオが警備の仕事をしていた。
テオは、門の裏にある腰掛けられるほどの大きさの石の上に座って、水筒の水を飲んでいた。突然ルルに服を引っ張られた姿で現れたユーリを見て、テオは驚いて目を見開く。
「遊んで、ない」
「そうか? ルルは、なんか楽しそうだけど、散歩かよ」
「テオだって、仕事サボってるじゃん」
聞きなれた幼馴染の呆れ声に、さっきまでの緊張が一気に解けていた。
「俺は、見張りの交代。休憩時間なの、お前みたいに遊んでる時間は無い」
「ぼ、僕だって、ちゃんと仕事してたし。ルルが、ここに連れてきたんだもん」
「あー、なるほどね。寂しくて俺に会いに来てくれたんだ、お前は」
テオはそういうと、両の手を広げてルルを呼び、自身の膝にはべらせ頭をぐしゃぐしゃ撫でた。ユーリとテオ以外の近くにいる人たちには、守護霊の犬の姿は見えない。だから人から見れば、空気に触れているだけに見えるし、奇妙な光景だろう。
ルルは嬉しそうにしっぽを大きくぶんぶんと振ってテオに懐いている。最近、毎朝ルルの元気がないから、王宮内で、何か不穏な出来事が起こっているのかもしれないと思ったが、こんなに元気なら大丈夫だろう。
「別に! あ、会いたいとか、思ってないし」
「ルルが、会いたがってたって話だけど? なに元兄弟子様も寂しかったのかよ? 遊んでやろうか、ほら。お前もくる?」
にやにやと、テオはからかうように笑いながら、空いてる片方の手を伸ばしてくる。
まるで、小さい頃に怖がるユーリの手を繋いで前を歩いてくれた時みたいに。けれど、もう十九の大人の自分がそれを喜んで受け入れられるわけもない。ふいと顔を背けた。
「僕は、久しぶりに黒犬くんに会いたかったんだよ。テオ、休憩中なら黒犬くん出してよ」
「はぁ、俺は、もう降霊術師じゃねーの。守護霊呼び出す必要なんてないだろ? 霊に守ってもらわなくても、自分で自分の身は守れるんだよ」
「え、それじゃ、あれから黒犬くん全然呼び出してないの! 可哀想だよ。せっかくテオと仲良くなったのに」
「別に、可哀想じゃねーよ。レオンだって別に」
「え、名前、レオンくんっていうの!」
テオはユーリの喜びようをみて、急に苦虫を噛み潰したような顔をする。名前をつけて自分の守護霊の犬を可愛がっていることを知られたくなかったのかもしれない。ユーリは、そんなテオを見て、にこにこと笑った。
黒犬の霊にそっけない態度をしているように見えて、実のところ、きちんと名前をつけて大切に思っていることが分かりユーリは嬉しくなった。
「別に、名前なんて、どうだっていいだろ」
「よくない! じゃあ分かった。テオが呼ばないなら、僕が呼ぶ。――ここにおいで! レオンくん」
ユーリが名前を呼ぶと、テオは、後ろから背を押されたような衝撃を感じたのか、地面に片膝をついてその場に踏みとどまった。
「馬鹿ッ、勝手に呼ぶなよ!」
テオは悪態をついた。
「あ、呼べた」
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