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第十四話
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純に呼び出されて待ち合わせの『桜花殿』に着くと、純はピアノの前にいた。
以前のような人集りはなく、純はピアノの蓋を開けて年上の男性と楽しそうに話をしていた。
(誰だろ?)
邪魔になりそうなので後にしようと思ったが、テラス席に座る前に純に気づかれたので仕方なくピアノのところまで歩いていく。
「ゆい、もうお昼食べた?」
笑っている純を見て胸がチクリと痛んだ。
「うん……いまさっき、瀬川と」
急に、純の前で普段自分がどんなふうに声を出していたか思い出せなくなる。今は、どこまで近くにいてもいい? 仲のいい幼馴染が許される距離が分からない。
知らない純を見て、また動揺していた。
いつまでも子供のままが良かった。そうすれば、今だって無邪気に走って行って背に抱きつくことが出来た。
こんな感情は、おもちゃを取られた子供と変わらない。全部自分のものだと言いたくなる。そんな、醜い自分を遠くから俯瞰して見ていた。
「そっか残念。バイト終わったら一緒に食べようと思ったんだけどな」
「バイトって?」
「ピアノの調律の手伝い、今日は確認と微調整が残ってて」
結斗は、このときまで純がバイトをしていることを知らなかった。
「ちょう、りつ、純が? 出来るの?」
「うん、まだ勉強中だけど。高校の時に、この三森さんに弟子入りしたんだ」
――そんなの、聞いてない。
純に紹介された三十前後に見える年上の男性は、結斗に向けて人当たりの良さそうな柔和な笑顔で「こんにちは」と挨拶する。
「俺さ、やっと一人でも調律の仕事できるようになったんだよ」
「へー、お前、すごいじゃん」
純の笑顔が眩しくて苦しくなる。
ピアノが弾けて、調律も出来る。
――俺、お前がすごいなんて、昔から知ってるよ。
純は、いつだって、綺麗で、かっこいい。なんだってできる。庶民で平凡な自分とは違う、すごい才能のある人間。純のことなんて全部知ってると思っていた。ただの思い上がりだったけど。
知らない純を知るたびに、苦しくて、寂しくなる。
(だから、そんな純は嫌い)
嫌いって思った瞬間に自己嫌悪している。
純は少しも悪くない。悪いのは……普通じゃないのは、自分だけだ。
「私から見れば、篠山くんは、まだまだだけどね。ま、友達の前だからアゲとこうか?」
「俺の幼馴染なんです。桃谷結斗」
「へぇ、この子が。噂はかねがね篠山くんから聞いてるよ」
「純、俺のことなんて言ったんだよ」
普通に笑えているか、ただの幼馴染に見えてるか不安だった。
「うーん。いつも一緒にいるよって」
「なんだよそれ」
「だって、事実だしね」
三森は「結斗の前にいる純」を見て声を上げて笑った。
「君ら、ホント仲良いんだねぇ」
「はい、とても」
純は迷うことなく、仲がいいことを肯定した。そんな自分にとってあたり前の純を見て結斗は、訳もなく衝動的に詰め寄りたくなった。
(全然一緒にいないじゃん! バカ)
小さな子供の自分が叫んでいた。
――これは、醜い嫉妬だ。
自分の方が、純のこと、もっといっぱい知ってるって、全世界に訴えたくなる。そんな権利なんてないのに。
「篠山くんは、私の弟子の中で一番覚えが早いよ。最初の三年で逃げるかと思ったら、まだ続いているし、そういう直向きに努力ができるって意味なら才能もある。なにより君はピアノが大好きだしね。一番大事なことだ」
三森に褒められて、純の目がキラキラと輝いて見えた。好きなことに夢中になっている誇らしげで、頼り甲斐のあるその瞳。
結斗は三森から見た純の話を聞きながら、心ここにあらずになっていた。
また、頭の中で嫌な音が鳴り出す。分析できない音楽。「嬉しい」と「寂しい」の音が半分ずつ鳴っている。幼馴染が誇らしいのに憎らしい。
結斗はバイトどころか、いつ純がピアノの調律を勉強しだしたのかも知らなかった。高校の三年間、同じ学校じゃなかった。その間に、純は結斗の知らない外の世界に目を向けたのだろう。よくよく考えてみれば、ここ一年、純の家のピアノの音色がよく変わると思っていた。
純はあの地下にあるピアノで勉強していたのかもしれない。
――なぁ、いつから? どうして?
結局、どんなに近くにいても、どんなに長い間一緒に過ごしても、結斗は、純のことを何も知らない。
子供みたいな独占欲に囚われる自分をこれ以上みたくなかった。惨めだった。
さっきまでは、結斗も自立するつもりでいた。純から少し遅れてしまったけれど、純と同じように、自分だけの世界を見つけようと思っていた。
純と二人だけの幸せで、温かな、あの地下室から抜け出して、外の世界へ目を向ける。
純に優しく支えて貰わなくても、一人でも立っていられるようになる。これ以上、純の音楽を独り占めにしないし、大切な純の未来を奪ったりもしない。
――だから、そばにいて。
面と向かっていうのは、恥ずかしいセリフでも、はっきりと言うつもりだった。
親友として一緒にいるためのけじめ。
この先も、純がそばにいない未来が想像できない結斗が、純に言えるせいいっぱいの気持ちだった。
やっと、決心したのに、三森と話す純を見て、暗い気持ちが結斗の言葉を阻んだ。また子供みたいな自分に逆戻りしている。
「純ごめん。俺、講義あるから、もう行く」
――赤ちゃんかよ。
純のいう通りだと思った。
伝えたいことも、伝えなければいけないことも上手く言えない。自分の気持ちを表す言葉が見つからない。
「そう? じゃあ今日帰りにウチ寄ってよ。昨日二人とも酔ってて話できなかったし、クリスマスのこと」
「……うん、わかった行く。バイトあるから終わってからな」
「了解」
結斗は、そのまま二人から逃げるように、足早に建物から出ていく。夜、純に会う時までに、早く、いつもの自分に戻らなければいけない。
(ねぇ、いつものってどんなだっけ?)
――歌いたいと思った。
この感情を全て歌にぶつけて。醜い心を全て消してしまいたかった。
自信が欲しかった。自分は、ひとりでも大丈夫だという自信。
結斗は三限が終わった時間を見計らって、やりたい曲があると、峰にメッセージを送っていた。
――ひとりで自分がどこまで出来るのか知りたかった。
以前のような人集りはなく、純はピアノの蓋を開けて年上の男性と楽しそうに話をしていた。
(誰だろ?)
邪魔になりそうなので後にしようと思ったが、テラス席に座る前に純に気づかれたので仕方なくピアノのところまで歩いていく。
「ゆい、もうお昼食べた?」
笑っている純を見て胸がチクリと痛んだ。
「うん……いまさっき、瀬川と」
急に、純の前で普段自分がどんなふうに声を出していたか思い出せなくなる。今は、どこまで近くにいてもいい? 仲のいい幼馴染が許される距離が分からない。
知らない純を見て、また動揺していた。
いつまでも子供のままが良かった。そうすれば、今だって無邪気に走って行って背に抱きつくことが出来た。
こんな感情は、おもちゃを取られた子供と変わらない。全部自分のものだと言いたくなる。そんな、醜い自分を遠くから俯瞰して見ていた。
「そっか残念。バイト終わったら一緒に食べようと思ったんだけどな」
「バイトって?」
「ピアノの調律の手伝い、今日は確認と微調整が残ってて」
結斗は、このときまで純がバイトをしていることを知らなかった。
「ちょう、りつ、純が? 出来るの?」
「うん、まだ勉強中だけど。高校の時に、この三森さんに弟子入りしたんだ」
――そんなの、聞いてない。
純に紹介された三十前後に見える年上の男性は、結斗に向けて人当たりの良さそうな柔和な笑顔で「こんにちは」と挨拶する。
「俺さ、やっと一人でも調律の仕事できるようになったんだよ」
「へー、お前、すごいじゃん」
純の笑顔が眩しくて苦しくなる。
ピアノが弾けて、調律も出来る。
――俺、お前がすごいなんて、昔から知ってるよ。
純は、いつだって、綺麗で、かっこいい。なんだってできる。庶民で平凡な自分とは違う、すごい才能のある人間。純のことなんて全部知ってると思っていた。ただの思い上がりだったけど。
知らない純を知るたびに、苦しくて、寂しくなる。
(だから、そんな純は嫌い)
嫌いって思った瞬間に自己嫌悪している。
純は少しも悪くない。悪いのは……普通じゃないのは、自分だけだ。
「私から見れば、篠山くんは、まだまだだけどね。ま、友達の前だからアゲとこうか?」
「俺の幼馴染なんです。桃谷結斗」
「へぇ、この子が。噂はかねがね篠山くんから聞いてるよ」
「純、俺のことなんて言ったんだよ」
普通に笑えているか、ただの幼馴染に見えてるか不安だった。
「うーん。いつも一緒にいるよって」
「なんだよそれ」
「だって、事実だしね」
三森は「結斗の前にいる純」を見て声を上げて笑った。
「君ら、ホント仲良いんだねぇ」
「はい、とても」
純は迷うことなく、仲がいいことを肯定した。そんな自分にとってあたり前の純を見て結斗は、訳もなく衝動的に詰め寄りたくなった。
(全然一緒にいないじゃん! バカ)
小さな子供の自分が叫んでいた。
――これは、醜い嫉妬だ。
自分の方が、純のこと、もっといっぱい知ってるって、全世界に訴えたくなる。そんな権利なんてないのに。
「篠山くんは、私の弟子の中で一番覚えが早いよ。最初の三年で逃げるかと思ったら、まだ続いているし、そういう直向きに努力ができるって意味なら才能もある。なにより君はピアノが大好きだしね。一番大事なことだ」
三森に褒められて、純の目がキラキラと輝いて見えた。好きなことに夢中になっている誇らしげで、頼り甲斐のあるその瞳。
結斗は三森から見た純の話を聞きながら、心ここにあらずになっていた。
また、頭の中で嫌な音が鳴り出す。分析できない音楽。「嬉しい」と「寂しい」の音が半分ずつ鳴っている。幼馴染が誇らしいのに憎らしい。
結斗はバイトどころか、いつ純がピアノの調律を勉強しだしたのかも知らなかった。高校の三年間、同じ学校じゃなかった。その間に、純は結斗の知らない外の世界に目を向けたのだろう。よくよく考えてみれば、ここ一年、純の家のピアノの音色がよく変わると思っていた。
純はあの地下にあるピアノで勉強していたのかもしれない。
――なぁ、いつから? どうして?
結局、どんなに近くにいても、どんなに長い間一緒に過ごしても、結斗は、純のことを何も知らない。
子供みたいな独占欲に囚われる自分をこれ以上みたくなかった。惨めだった。
さっきまでは、結斗も自立するつもりでいた。純から少し遅れてしまったけれど、純と同じように、自分だけの世界を見つけようと思っていた。
純と二人だけの幸せで、温かな、あの地下室から抜け出して、外の世界へ目を向ける。
純に優しく支えて貰わなくても、一人でも立っていられるようになる。これ以上、純の音楽を独り占めにしないし、大切な純の未来を奪ったりもしない。
――だから、そばにいて。
面と向かっていうのは、恥ずかしいセリフでも、はっきりと言うつもりだった。
親友として一緒にいるためのけじめ。
この先も、純がそばにいない未来が想像できない結斗が、純に言えるせいいっぱいの気持ちだった。
やっと、決心したのに、三森と話す純を見て、暗い気持ちが結斗の言葉を阻んだ。また子供みたいな自分に逆戻りしている。
「純ごめん。俺、講義あるから、もう行く」
――赤ちゃんかよ。
純のいう通りだと思った。
伝えたいことも、伝えなければいけないことも上手く言えない。自分の気持ちを表す言葉が見つからない。
「そう? じゃあ今日帰りにウチ寄ってよ。昨日二人とも酔ってて話できなかったし、クリスマスのこと」
「……うん、わかった行く。バイトあるから終わってからな」
「了解」
結斗は、そのまま二人から逃げるように、足早に建物から出ていく。夜、純に会う時までに、早く、いつもの自分に戻らなければいけない。
(ねぇ、いつものってどんなだっけ?)
――歌いたいと思った。
この感情を全て歌にぶつけて。醜い心を全て消してしまいたかった。
自信が欲しかった。自分は、ひとりでも大丈夫だという自信。
結斗は三限が終わった時間を見計らって、やりたい曲があると、峰にメッセージを送っていた。
――ひとりで自分がどこまで出来るのか知りたかった。
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