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 北条と暴漢役の男たちの激しい攻防戦に、いつしか連れ回されているだけの健吾の息も上がっていた。
 
 はあはあと呼吸を荒げている所で、死角になっていたコンテナの影から、突如暴漢が現れた。
 驚いた健吾はとっさに北条の体にしがみついてしまったが、北条の動きの妨げになるかもしれないとはっとして、すぐに手を離す。
 けれど、手を離したことでバランスが崩れ、健吾の体はぐらりと後ろへ傾いた。
 支えを失った健吾がたたらを踏む様子を見て、チャンスとばかりにもう一人の暴漢が大きく棒を振り上げる。
「うわっ……」
 殴られる、と恐怖にぎゅっと目をつぶった瞬間、体が強い力で引き上げられ、突然両足がふわりと地面から離れた。
 何が起きたのか理解できず、驚いて泳ぐ健吾の腕がすがりついたのは、北条の広い肩だった。
「つかまってろ!」
 言うが早いか、健吾を抱き上げたままの北条が、ありえないスピードで走り出した。
 取り囲んでいた三人の暴漢たちの間を隙をついて突破すると、開けた視界の先に、出口とおぼしき場所とそこに立つ柴田の姿が見えた。
 北条はスピードを緩めず、柴田めがけて突っ込むように出口に向かっていく。

 ぶつかる恐怖に強く北条の首にしがみついた瞬間、くるりと体の向きが反転し、直後、ドンッという衝撃と共に、北条の両腕に強く抱え込まれる。
 壁に激突する瞬間、北条が体を反転させて自らの背中で衝撃を受け、健吾を守ったのだと分かった。
 荷物のように運ばれてしまったことに驚きながら、健吾は早鐘のように打つ自分の鼓動と、すぐ側で響く北条の荒い呼吸の音を茫然と聞いていた。
 人ひとり、しかも成人男性を抱えあげてのスピードダッシュだ。
 いくら健吾が細身でもそれなりのウェイトがあるのに、よく抱えて走れたものだと思う。
 力強い腕の中からそろりと整った顔を見上げると、健吾を抱えたままだった事に気づいた北条が、ゆっくりと床に降ろしてくれた。
 てっきりそのまま解放されると思ったのだが、まだ興奮さめやらぬらしい北条は、長い腕を伸ばして健吾を引き寄せ、守るように腕の中に閉じ込める。
 そのままゆっくりと壁に背中をもたせかけた北条に逆らう理由が思い当たらず、同じく興奮状態にあった健吾は、北条の引き締まった体に身を寄せてじっとしていた。
 北条の胸元が早い呼吸によってせわしなく上下するのが、直接体に伝わってくる。
 この男に守られたのだ、という実感が、じんわりと湧きあがっていた。

「終了!」
 
 柴田がパンと手を叩いて大声を出すと、北条と健吾を追って出口に集まってきていた暴漢役の男たちが、その場で立ち止まった。
「誰が3人がかりで襲えと言った?!このバカもん!」
 柴田が、どういうわけか最初に集まった3人の頭に次々げんこつを落としていく。
 おそらくあれは、最後に健吾と北条を囲んだ3人組だろう。
 覆面を取ってみると彼らは意外に若く、まだ幼さを顔に残したような青年たちだった。

「だって社長、どんだけ攻撃してもキレーにかわされていくんスよ?悔しくなってきて……」
「俺なんて、吹っ飛ばされました。だから絶対一太刀浴びせてやるんだーって熱くなって」
「俺、攻撃もさせてもらえませんでした……」

 まるでひな鳥のようにピーピーと訴える3人を、柴田が鬼のような顔で睨みつける。
 3人組の後ろから、他の暴漢役の警護士たちも集まってきていた。
 後から来たメンバーの年齢は、彼ら3人よりはずいぶん年上に見えた。
 覆面をはずせば警護士さながらの落ち着きと貫禄があり、本物の暴漢でなかったことが証明されて、健吾はホッと胸を撫で下ろす。
「悔しいからって集団で襲いかかるな!北条がうっかり本気になったらどうするんだ?!怪我じゃすまされないかもしれないんだぞ!」
 顔を真っ赤にして物騒な事を言い出す柴田に、3人の若い警護士たちはしゅんと一様にうなだれた。
 本気になったら怪我ではすまされない、とはどういうことだろう?
 疑問に思い北条の顔を見上げれば、シャープな顎のラインが視界にはいった。
「……本気出してなかったの?」
 健吾が尋ねると、ぴったりくっついているためにすぐそばにある男のすまし顔が、なんでもないことのように「手加減はしてましたよ、一応ね」と答えた。

 かなり本気でふっ飛ばしていたように思えたのだが、あれで手加減していたというのに驚く。
 もしかしてこの男、とんでもなく強かったりするのだろうか?
 イケメンで長身で強いだなんて、神様は北条に二物も三物も与え過ぎだ。不公平だと思う。
 つい先程守ってもらったばかりであるにもかかわらず、健吾は暴漢役の若者たちにまじって一緒にブチブチと文句を言いたい気分になった。

「プロの警護士の技術を見たいというからお前たちを連れて来たのに、これじゃまるで集団リンチだろうが!おまえらはいつから本物の暴漢に成り下がったんだ?!」
 尚も柴田の怒りは収まらず、ガミガミとお説教が続いている。
 若者の一人が「だって、強えー奴いたら、攻撃したくなるっス」と呟いたことで、柴田の怒りがさらにヒートアップした。

「まあまあ社長。若いやつらの気持ちもわかりますよ。スパーンと抜かれるわ、動きを封じられるわで、こちとら、ぐうの音もでませんでしたよ」
 年かさの警護士が、柴田をなだめにはいる。
 暴漢役の警護士は全部で6人いたらしい。
 体の大きな男たちに囲まれると、健吾は自分がひどく小柄になったように思えた。

 一際体の大きな一人が移動した際、男の影が照明の加減でふっと健吾に差し掛かった。
 影に撫でられた体がびくりと震え上がり、健吾は思わず、すがるように北条のシャツを掴んで握りしめる。
 あの事件以来、健吾は体の大きな男にそばに寄られることがひどく苦手になった。
 不意に近づかれると、無意識に体を縮めたりすくんだりしてしまう。
 大丈夫、大丈夫と自分を落ち着かせていると視線を感じ、見上げた先の北条と目が合った。
 体に回されたままだった北条の片腕にぐっと力が込められ、もう片方が持ち上がって、頭をポンポンと優しく叩く。
 健吾の小さな頭をすっぽり包み込めるような大きな手は、そのままするりと後頭部に回り、心配ない、というように後ろ髪をくしゃりと撫でた。
 先程まで荒かった北条の呼吸は、いつのまにかすっかり落ち着いている。
 健吾はまだ荒い息を吐いているというのに、一体どれだけのトレーニングを積んだら、こんな風に誰かを守れるようになれるのだろうか。

 触れ合う肌から伝わる体温が、この男は信頼に足る人物だと教えてくれている気がした。
 決して裏切らず、健吾を命をかけて守り抜いてくれる男。
 
 何故突然そんな風に思ったのかはわからない。
 ただ、不安で眠ることもままならないこの数日間の、誰かに縋りたくて、誰かを信じたくて、誰かに守って欲しいという気持ちが作り出した幻想なのかもしれなかった。
 けれどそれでもいいと、健吾は感じたままの自分の心に素直になることにした。
 
 北条を信じよう。信じて、全てを委ねよう。
 そんな思いが湧いて出た途端に気が抜けて、目からポロリと大粒の涙が零れた。
 温かい涙を頬に感じた瞬間、自分がどれほどの恐怖と不安を抱えていたのかを思い知る。
 ぐしぐしと手の甲で涙を拭っていると、それまで無言で健吾の様子を見守っていた北条が、「つらかったんだな」と小さく呟いた。
 顔を擦っていた手をどけると、優しい笑顔がこちらを見ている。
 いい年した大人の男が突然泣き出すなんてカッコ悪いことこの上ないのに、北条はそれを嘲ったりしない。
 袖で涙をごしごしと擦っていると、「こするな。目が腫れる」と手を押さえられ、指の背でそっと目尻をぬぐわれた。
「ろくに寝てないから、緊張が緩んでホッとしたんだろう」
 今夜からはゆっくり休め、と低く囁かれ、健吾の胸が甘く疼く。
 一見冷たそうな北条の思いがけないやさしさに、うっかりキュン死にしそうになる。
 北条にときめく乙女思考の自分がおかしくて、どうあがいても止まる様子のない涙をぼろぼろこぼしながら、健吾はクスクスと笑い出す。
 健吾が泣き笑いし始めたのを、北条は困惑した表情で、けれど何も言わずに黙って見つめていた。

「あのっ!森本さんですよね?B.Kの!」
 
 突然声をかけられて健吾の体が驚いて跳ねあがると、北条の両腕が伸びてきて、かばうように引き寄せられる。
 逞しい体の側面に押し付けられるようにぴったりと密着させられると、安心してホッと息を吐き出すことが出来た。
 振り向くように顔だけ動かすと、柴田から一通りお説教をくらい終えたらしい若手警護士3人が、目の前で押し合いへし合いしながらモジモジしているのが見えた。
 健吾は慌てて涙を拭い、彼らの方を向こうと体を動かしたが、何故かピクリとも動けなかった。
 北条が抱えた腕に力を入れているからだという事に気付き、「離して欲しい」とちらり見上げると、北条は仕方がないと言いたげな様子で形の良い眉をわずか顰め、少しだけ緩めた自らの腕の中で健吾の体を反転させる。
 そのまま後ろから羽交い絞めにするようにしっかりと抱え込まれ、結果、健吾は背中をぴったり北条に密着させたままで彼らと向き合うことになった。
 これはいわゆる、後ろからハグという奴ではないだろうか?
 さすがに恥ずかしいので、なんとか腕を外してもらえないかと後ろを振り仰ぐと、視線の先の北条がかすかに首を横に振る。

 訓練はとっくの昔に終わったと言うのに、北条はまだ健吾を離す気はないらしい。
 随分仕事熱心なんだなと変に感心しながら、仕方なくそのまま3人に向き直ると、「ひどいなぁ、北条さん」「俺たち、不審者じゃないっスよ!」「警戒解いてくださいよ!」と3人が口をとがらせるようにしてむくれ顔を見せた。
 申し訳なく思った健吾が北条の腕を必死にはずそうとするのだが、面白がっているのかそれ以外の理由があるのか、拘束する腕の力は一向に緩まない。
 そのうち、一人があきらめたように、「森本さん、そのままでいいっス。北条さんまだ警戒解いてないんで」と言い、そこから勝手に自己紹介を始めた。

「俺たち、今日森本さんが来るなんて全然聞いてなかったんで、びっくりですよ~!」
「大ファンなんです!ダンスとか歌とかめっちゃカッコイイのに面白いし!」
「最初は森本さんだってわかんなかったんですけど、なんかオーラがあるっつーか」
「顔ちっちぇーし!すげーオーラのキレイ系誰?!ってなって。よく見たら森本健吾じゃね?って。感動ですー!」
 俺、初めて芸能人と会ってしゃべった!
 俺も俺もー!

 はしゃぐ姿はまるっきり小学生な大男たちに、健吾は戸惑いつつも、握手を求められるままそれに応じた。
 北条は警戒したままなのか、握手をしている間ですら離してくれない。
 振り向けないので顔は見えないが、なんとなくむっすりした気配が伝わってくる。

「お前ら、もうそのぐらいにしとけよ。ガードが後ろでピリピリしてるぞ」
 現れた柴田に笑いながら忠告されて、3人は別れを惜しみながら、健吾に手を振って去っていった。
 後から柴田に聞いた話によれば、警護士というものは総じて、自分の警護対象者が他者に接触されるのを極端に嫌う傾向があるらしい。
 それもそうかと納得する。警護対象者になにかあれば、それはそのまま警護士の責任になるのだから、北条が健吾に対して過保護になるのも、仕方のないことなのだと思えた。

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