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4.王子様、眠り姫を気にする

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 かわいい。耳まで真っ赤だった。

 定時をいくらか過ぎた頃、本日も残業が確定していた隆一は、軽食を買いに出たコンビニで先程の瀬川を思い出し、口元をにやにやと緩めていた。
 
 あの人は、30に手が届こうという年齢なのに、どうしてああもかわいいのだろう。

 『子リスのようなしぐさがかわいい』と、営業フロアの男共から人気の高い伊藤と並んで座っているのにもかかわらず、彼が頬を染めた時に周りに及ぼす破壊力は、伊藤のそれの比ではない。
 さすがは、営業フロアで一番の美貌を誇るだけある。
 男であるのが惜しいほど美しく整っている瀬川の顔は、男女問わず営業フロアの面々からの絶大な人気を得ていた。

 そんな瀬川が、上着を着たり脱いだりする自分を目で追い、時には頬を赤らめている事を、隆一は知っている。
 外出などで上着を羽織る時、同じ部の女性陣が隆一の行動を目で追っていることは知っていた。
 小さな頃からイケメンともてはやされ、人並み以上になんでもできる運動能力と頭脳を持つ隆一は、自分を魅せる方法を知りつくしている。
 同期の鎌田には「藤堂くんは時々すごくセクシーなのよ。上着脱いだら出てくるカラーシャツの、肩のラインとかが特に」と冷静に分析されたこともある。
 男がスーツを脱ぐのは、女性にとってぐっとくる行動の一つであるらしい。
 しかしそれが女性に限っての事でないことは、最近になってから知ったのだが。

 ある時、隆一は当たり前に浴びていたその視線が一つ増えていることに気付いた。
 ふと視線の先に目をやれば、着任したばかりの上司が顔を赤らめてこちらを見ている。
 目が合った途端に慌てて視線を逸らす彼を、その時は「ああ、見てたんだ」ぐらいにしか思っていなかったのだが。
 
 いい加減思い出し笑いをやめないと不審者扱いだな、と口元を引き締めながらサンドウィッチの棚の前に移動すると、誰かに「よお」と後ろから肩を叩かれた。
 声からしてだいたい予測はついていたが、振り返ってみると隣の営業部に配属されている同期が立っている。
「めずらしく上機嫌じゃない?これから残業だっていうのに」と隆一を揶揄するのは、第二営業部の掛橋だった。

「別に。上機嫌じゃない」
 にやけていた表情を引き締めて元に戻し、隆一をからかう気満々の同期に冷たい視線を送ると、掛橋はありゃりゃという顔をして見せた。
「残念。せっかくご機嫌だったのに、もとの鉄面皮に戻っちゃうの?」
 鉄面皮などと言われてさらに表情を硬くすると、「そう怒りなさんなって」と掛橋は気安い様子で隆一の肩を叩き、後ろから伸ばした長い腕で卵のサンドウィッチを掴み取っていった。
「相変わらず、残業の友は卵サンドなんだな」
 隆一の言葉に、手にしていた缶コーヒーとたまごサンドをプラプラさせながら、掛橋は情けなく眉を下げる。
「そ。営業マンって、かわいそうだよねえ。せめてどこでもドアがあれば、移動時間だけでも短縮できるんだけどねえ」

 営業マンたちは、日中は客先に赴いて商談を進めていることが多い。
 必然的に書類作成やその他の雑務は社に戻ってから済ませることになるので、結果として時間外の労働だけがやたらに増える。
 午前中は電話の対応や会議、午後から客先、帰社後は書類業務、が営業のルーティンだ。 
 掛橋は官公庁相手の営業であるし、自分は防衛庁関係の仕事を担当しているので、客先相手の接待がないのが救いだが、それでも関連会社や商社との打ち合わせを兼ねての飲み会は存在するので、そちらにも時間を取られる。
 営業マンは残業してなんぼ、というのが今の日本社会の現状だ。

 隆一は直近の自分の未来を憂いつつハムサンドを手に取り、さらに隣の陳列棚からブラックコーヒーと甘いカフェオレを手にした。

「あ、ナニナニ?フロアの女子に差し入れ?お気に入りのかわいい子でもいるの?」
 隆一が甘い飲み物を口にしないことを知っている掛橋が、興味津々といった様子でまとわりついてくる。
「ああ。フロアで一番の美人に、差し入れ」
 小沢のせいで午後を潰して残業確定の美人主任は、確か甘い飲み物が好みだったはずだ。
「あー、眠り姫かあ。確かにちょっといない美人だけど、おまえそっち系だったっけ?」
 女は食べつくして飽きちゃったから、とうとう男にも触手を伸ばすことにしたのかなぁ?などと、掛橋が勝手なことをつぶやき、首をかしげている。
 
 言ってろ、と放置してレジに向かうと、その後を掛橋が飄々とした様子でついて来た。
 隆一はかなりの長身だが、掛橋もそれなりに大きい。
 長身の二人がレジに並ぶとかなりの圧迫感があり、レジの男性店員がぎょっと竦む。
 別に取って食やしないのに、としかめっ面で札を出しおつりを受け取ると、レジ店員をこれ以上怯えさせる必要はないだろうと、掛橋を待たずにコンビニの外へ出た。
 
「おい、待ってよー。あいかわらず冷たい男だなぁ」
 自分もレジを終えたらしい掛橋が慌てて駆け寄って来るのに、レジで男の会計を待つなんて、まっぴらごめんだ!と冷たく振り向くと、「そのしかめっつらがまた、たまらないわねぇ」と、オネエ言葉でウィンクをされた。

「やめろ、気持ち悪い」
「いやん。ホント冷たいわね!おまえが優しいのは女子と眠り姫にだけだって言われてんの、知ってる?」
「……は?」
 女性に優しくするのは男としての礼儀だと、幼い頃から母と姉に躾けられてきた隆一だが、しかし瀬川相手に?自分が?と隆一は掛橋の言葉に首を傾げる。
「別に……普通だと思うが?」
「いんや。まるで姫様を敬う騎士みたいに、大切に抱っこして更衣室に運んでる姿、写メに撮られて出回ってるよ?」

 ホレ、とスマートフォンの画面を見せられて、ぎくりと顔面が硬直する。
 掛橋が操作して出した画面に写っているのは、まぎれもない自分。
 しかも、いつだったかの気絶した瀬川を横抱きにして運ぶ姿だ。
 何故それを掛橋が持っているのかはさておき、確かに画面の中の自分は、大切なものを運ぶように、愛しそうに瀬川の顔を見つめている。……ように見える。
 おそらく、揺すられて気分が悪くなってりしていないかどうか顔を確認した瞬間を撮られたのだろうが、それにしてもよくぞこんな一瞬を捉えたものだ。
 どこの誰かは知らないが、その腕前に感嘆する。プロの写真家になれそうだ。
 な?な?とにやけながら覗き込む掛橋にスマートフォンを押し返し、隆一はそのまま、無言で本社ビルの通用口をくぐった。
 
 エレベーターに乗り込み、コンビニの袋にふと目を落とす。
 ひょっとしてこのカフェオレを渡すことで噂に拍車がかかり、あの美人主任に迷惑がかかるのでは、と思うと、日頃自分の行動にあまり疑問を抱くことのない隆一に、珍しくためらいの気持ちが生まれた。
「せっかく買ったんだから、ちゃんと渡せよ?ソレ」
 隆一の悩む様子を見抜いた掛橋が苦笑し、開いたドアから「お先」と手をあげて降りて行く。
 調子が良く軽い男だが、第二営業部でナンバーワン営業と名高い掛橋は、さすがに人の心の動きに機敏だ。

 戻った第一営業部の自分のグループには瀬川しか残っていなかったので、カフェオレをなにげなく渡すことには成功した。
 けれど、掛橋によってもたらされた心のさざ波は、しばらくの間、隆一の心の中に留まり続けていた。
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