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夕凪の変奏曲《ヴァリエーション》

エリオット

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 不機嫌になっていても、熱い飛沫は冷えた体に心地よいもので、ユージンも、それに文句をつけるつもりは、毛頭なかった。
 乳白色のバス・ルームに、石鹸の匂いが広がり始める。
 神坂薫――。随分ときれいな顔立ちをした東洋人――日本人青年ヴァイオリニスト。
 客としては上等な部類だが、頭がイカれているのはいただけない。
 シャワーを終え、ユージンは受け取った服を身につけた。サイズは見事にピッタリだった。ゆったりとした白いセーターはともかく、新品の下着やボトムさえ。
 セーターを着る前に、鏡の前で、洗った髪にクシを入れる。
 柔らかい金髪が光を湛え、端麗な面立ちを際立てた。
 幼さを留める小さな輪郭と、細い首筋。白い頬と、風のような碧い瞳……。
「これでいいかい、ヘル……えーと。ヘル.コウサカ?」
 バス・ルームを出て、ユージンは皮肉げな口調で自分の姿を見下ろした。
「――ん?」
 テーブルの上で開いていた本から、薫が顔を持ち上げる。が、次の刹那、目を瞠って立ち上がった。
 ガタン――っ、と、高い音で椅子が倒れる。それほどの勢いであったのだ。
 見開いた瞳が見つめているものは、白いセーターを身につけるユージンの姿だった。
「エリオット……」
 呟きが、零れた。放心するような、極薄い呟きである。
「エリオット? 誰、それ?」
 ユージンは、眉を寄せて問い返した。
 薫の表情が、ハッ、とその問いかけに強ばった。
「いや――。風呂に入っただけで見違えた」
「ハッ! オレはこの顔で食って来たんだからな。お陰で食いっぱぐれることもなかったさ」
「これからは私が面倒をみる」
「へ……?」
 ユージンは、唐突な言葉に唖然とした。
「あんたが?」
「ああ。欲しいものがあれば言えばいい。ドラッグ以外なら買ってやろう。――そこが君の部屋だ」
 左手にある一つのドアを示して、薫は言った。
「……。あんた、何なんだよ。変な趣味なら付き合わないぜ」
 警戒を露に、ユージンは言った。
「SMや乱交パーティか?」
「この体は売りもんなんだ。傷を付けられたくはないからな」
「もう売る必要はないと言ったはずだ。――好きでやっている訳ではないだろう?」
 キッチンでコーヒー・メーカーをセットしながら、薫が言った。
「当然だろ。金ためて、その金でモンテカルロへ行って、でっかいバクチを当てるんだ。あっという間に億万長者になって、誰もが溜息をつくような豪邸ぶっ建てて、数え切れない数の使用人を顎で使って――。使用人は全部スウェーデンの美人だ。車は一〇メートルはある特別仕様のリムジンさ。運転手だって付いてる。その車でお偉方の家を回って、一人一人に靴の裏を舐めさせてやるのさ」
「……。なるほど」
 馬鹿馬鹿しい、と笑い飛ばしもせず、少し目を丸くして言う薫に、
「冗談に決まってるだろっ。食ってくためにやってんだよっ」
 ユージンは、プイと、顔を背けた。
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