15 / 40
朝凪の協奏曲(コンツェルト)
優しいカオル
しおりを挟む「しっかりするんだ、エリオット。俺はここにいる。カオルはここだ」
震える肩を優しく包み、自分を呼ぶエリオットの声を受け止める。
碧い瞳が、薫の方へと持ち上がった。
「見えているだろう、エリオット? もう心配ない。俺はここにいる」
その言葉に、戸惑うような時間が流れた。
そして、くすっ、と屈託のない、笑み――。
「やだな。カオルはまだ十七さいだよ。ぼくと十さいしかちがわないんだ。あなたのことじゃないよ」
あまりに無邪気に、エリオットは言った。仕草も笑みも、まるで幼子のように、あどけない。
「あなたも日本人? カオルといっしょだね。カオルもね、日本から来たんだ。すごくかっこいいんだよ」
「……エリオット?」
「あなたに、すこし、にてる」
一体、何が起こった、というのだろうか。
「何を……。どうしたんだ? 何があった、エリオット? 俺はカオルだ! おまえの目の前にいるのがカオルだっ」
普通ではないエリオットの様子に、胸が握りつぶされて行くようだった。
「……? くすっ。あなたもカオルっていう名前なの? じゃあ、それもいっしょだね」
「……」
――このエリオットは……。
「あのね、カオルはね、とてもやさしいんだ。いつもぼくとあそんでくれて、いっぱい、いろんなことを教えてくれる」
「エリ……」
「ぼくも大きくなったら、カオルみたいになるんだ」
このエリオットは、まだ薫と出会ったばかりの――やっと七つになった頃の、小さく幼いエリオットなのだ。そしてそれは、彼が今、一番望んでいる姿であったに違いない。まだ薫が、自分に優しくしてくれていた、あの頃の……。十年前の優しい薫を、エリオットは、今の薫に求めている。
「……。シャワーを浴びて服を着替えよう、エリオット」
彼をこんな風にしてしまったのは、優しくできなかった薫自身だったのだ。
「でも……。家に帰らないと、マミーが心配するから」
「マミーとダディには俺が連絡をしておく。 ――おいで」
「うん。――カオルにもしてくれる?」
「……。ああ」
何故、こんなことになってしまったのだろうか。
それとも、こうなることでしか、エリオットには、薫に優しくしてもらえる手段を見つけることが出来なかったのだろうか。
だとすれば、そこまで彼を追い込んでしまった、薫は――。
薫もまた、このまま無傷ではいられない。自分だけが傷ついているような顔をして、本当は、傷つく前に相手を傷つけてしまっていた頃のようには……。
バス・ルームでシャワーを注ぐと、その飛沫に、エリオットが迷惑そうな顔をした。
「い……いたい」
と、熱いシャワーに体を縮める。
「体が冷えきっているからだ。もう少し我慢していれば慣れる」
「う……」
「――擦り傷に染みるのか?」
エリオットの体は凍えているだけではなく、そこかしこに擦り傷や打ち身のような痕があった。
あのボロボロになった服の有様からしても、どこかでケンカでもしたのかも知れない。
「ここ……いたい」
エリオットが体を捩って、滲みる個所を薫に示した。
ケンカではない――、のだ。
「……何があったか覚えているか?」
薫は訊いた。
「???」
エリオットが首を傾げる。
「いや、いい。思い出す必要はない」
聞かずとも、エリオットのあの怯えた様子を思い出せば、何があったのかは察することが出来る。そして、そこに追い込んだのは、他でもない薫自身――。
薫を慕い、ただ一生懸命に、真っすぐな気持ちで逢いに来た少年を、捨て切れない過去と重ねて、残酷な言葉で撥ね付けた。それが、全ての原因であったのだ。
シャワーを終えて、パジャマを着せると、エリオットが、心配そうに口を開いた。
「ミスター……」
「カオルだ。――何だ?」
「ダディとマミーは、いつ迎えに来てくれるの? カオルも――ぼくの家のとなりのカオルもいっしょに来る?」
今のエリオットには、もう薫は『カオル』ではないのだろう。
「……。ああ。すぐに迎えに来てくれるさ。カオルも一緒に。――お腹が空いているだろう?」
「うん」
「すぐにスープを暖めてやろう。座って待っているといい」
今さら優しくしてやるくらいなら、何故、最初から優しくしてやれなかったのだろうか。
何故、もっと彼を見てやろうとしなかったのだろうか。
キッチンへと向かう中、薫はきつくこぶしを結んだ。
汚れてボロと化したエリオットの服が、廊下の隅で丸まっている。草の汁や泥以外にも、何かのシミが広がっていた。濃い色の服であることと、土砂降りの雨に濡れたせいで、元の色は判らないが。
薫はそれを拾って、ゴミ箱へ捨てた。
『ぼくも大きくなったら、カオルみたいになるんだ』
――俺みたいに……。
リヒャルトが姿を見せたのは、外がすっかり明るくなってからのことであった。
ベッドに眠るエリオットの事情を説明するのに、そう長くは掛からなかった……。
0
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
魔王様の小姓
さいとう みさき
BL
魔族は人を喰う。
厳密には人の魂の中にある魔力を吸い取る。
そして魔族の王たる魔王は飢えた魔族を引き連れ、今日も人族の領域に侵攻をするのだった。
ドリガー王国の北にあるサルバスの村。
ここには不幸にも事故で亡くなり、こちらの世界に転生した少年がいた。
名をユーリィと言い、前世では立派な料理人になることを夢見ていた。
そんな彼の村にもいま、魔族の魔の手が迫るのだった。
記憶の欠片
藍白
BL
囚われたまま生きている。記憶の欠片が、夢か過去かわからない思いを運んでくるから、囚われてしまう。そんな啓介は、運命の番に出会う。
過去に縛られた自分を直視したくなくて目を背ける啓介だが、宗弥の想いが伝わるとき、忘れたい記憶の欠片が消えてく。希望が込められた記憶の欠片が生まれるのだから。
輪廻転生。オメガバース。
フジョッシーさん、夏の絵師様アンソロに書いたお話です。
kindleに掲載していた短編になります。今まで掲載していた本文は削除し、kindleに掲載していたものを掲載し直しました。
残酷・暴力・オメガバース描写あります。苦手な方は注意して下さい。
フジョさんの、夏の絵師さんアンソロで書いたお話です。
表紙は 紅さん@xdkzw48
蝶の見た夢【完結】
竹比古
BL
伝わらなかった切ない想い――。
貧しかった幼少期に見た夢――。それは美しい蝶になって、一人の青年に自分の存在を認めてもらうこと……。台湾京劇のスターである少年が語る夢に、青年が心を開きかけた時、彼のパトロンである台湾財閥の総帥と、その少年との淫靡な場面を目撃する。
蝶になるためには何でもして来た、という彼を受け入れることが出来なかった青年の耳に飛び込んで来たのは、一途な少年の悲劇だった……。
※一部性描写(必要描写です)があります。苦手な方はご注意ください。
※表紙画:フリーイラストの加工です。
幼馴染から離れたい。
June
BL
アルファの朔に俺はとってただの幼馴染であって、それ以上もそれ以下でもない。
だけどベータの俺にとって朔は幼馴染で、それ以上に大切な存在だと、そう気づいてしまったんだ。
βの谷口優希がある日Ωになってしまった。幼馴染でいられないとそう思った優希は幼馴染のα、伊賀崎朔から離れようとする。
誤字脱字あるかも。
最後らへんグダグダ。下手だ。
ちんぷんかんぷんかも。
パッと思いつき設定でさっと書いたから・・・
すいません。
貴方の事を心から愛していました。ありがとう。
天海みつき
BL
穏やかな晴天のある日の事。僕は最愛の番の後宮で、ぼんやりと紅茶を手に己の生きざまを振り返っていた。ゆったり流れるその時を楽しんだ僕は、そのままカップを傾け、紅茶を喉へと流し込んだ。
――混じり込んだ××と共に。
オメガバースの世界観です。運命の番でありながら、仮想敵国の王子同士に生まれた二人が辿る数奇な運命。勢いで書いたら真っ暗に。ピリリと主張する苦さをアクセントにどうぞ。
追記。本編完結済み。後程「彼」視点を追加投稿する……かも?
ハッピーエンド
藤美りゅう
BL
恋心を抱いた人には、彼女がいましたーー。
レンタルショップ『MIMIYA』でアルバイトをする三上凛は、週末の夜に来るカップルの彼氏、堺智樹に恋心を抱いていた。
ある日、凛はそのカップルが雨の中喧嘩をするのを偶然目撃してしまい、雨が降りしきる中、帰れず立ち尽くしている智樹に自分の傘を貸してやる。
それから二人の距離は縮まろうとしていたが、一本のある映画が、凛の心にブレーキをかけてしまう。
※ 他サイトでコンテスト用に執筆した作品です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる