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Runaway 28
しおりを挟む「なになに。《日本製の小型車、トップレス、ヒッピー、同性愛者同士の結婚……と、さまざまなものを、先頭を切って既成の枠から外して来た西海岸に、今世紀最大にして最後の枠を外す者が現れた》……大袈裟だなァ。こんなつまらないことしか書けないのに、何でライターなんかやってられるんだ」
個展も終わり、あれからすっかり立ち直ってしまった国龍は、週刊誌の記事を眺めながら、形のいい眉を不機嫌に顰めた。
何故、狂気に引きずられることなく立ち直ってしまったのかは、ぐっすりと眠ったから、としか言いようがない。――いや、ラルフの側で、ぐっすりと眠ったから、だっただろうか。
別にそれを不思議とは、思わなかった。水龍の生死についての不安が消えた訳ではなかったが、ぐっすりと眠って目を醒ました時、あの追い詰められるほどの息苦しい不安から、抜け出すことが出来ていたのだ。
一つのことが終わった時の高揚感は、国龍が考えている以上に、凄まじいものだったらしく、特に、写真を撮られていた時の精神の変化にも気がついていなかった国龍には、予想すらしてはいないものだったのだ。
そして、ラルフはそれに気がついていた。撮影中から、国龍の精神状態が少しずつ変わり始めていたことも、それがピークに達した時、自分自身が見えなくなってしまうであろうことも――。
もしかするとラルフも、大きな仕事をやり終えた時に、そんな高揚感と精神の変化を味わったのかも、知れない。だからこそ、国龍が一番不安定になってしまう時に、一人にさせることなく、側についていてくれたのだろう。
そして、個展の評価は、ラルフの言葉通り、コーエンよりも、被写体である国龍の方が、ずっと大きく扱われていた。
「こっちにもロン坊っちゃまの記事が載っていますよ。ほら、こんなに大きく――。私なんて、もう嬉しくて嬉しくて、一時間置きに個展に通って、お陰で二キロも痩せましたよ」
丸々と太ったメイド、倩玉は、少女のように頬を染めて、痩せた体を見下ろした。
「あ……そう。そういえば、最近痩せたかな、っていう気がしてた。――気のせいかと思ってたけど」
二キロや三キロの問題ではないと思えるのだが、国龍は、全く変わっていない体型を見ながら、女性に対する礼儀を守った。
ちなみに、最後の一言は、どうしても喉で止めておくことが出来なかった、本音、である。
だが、倩玉には聞こえていなかったらしく、まあっ、と嬉しそうに頬など染めている。
「わざわざ個展に行かなくても、風呂で毎日見れるのに。それ以上痩せたら、ガリガリだよ」
その言葉には、さすがに皮肉だと気がついたらしい。ムッ、と顔を膨らませている。――いや、これは元からだ。
「バス・ルームで見るのとは違いますよ。とても繊細で、傷つきやすくて、臆病な小鹿を見ているようで……。あの写真を見ていると、涙が止まらなくなるんですよ」
「……? それ、誰の個展?」
国龍は、倩玉の言葉に首を傾げた。
ジャーナリストや批評家が書き立てているような批評とは全く違ったその言葉は、同じ個展を見てのものとは思えなかったのだ。
「いやですよ。ロン坊っちゃまの個展じゃありませんか」
「……そんなこと、初めて言われた」
「私には解りますよ。この四年間、ずっと坊っちゃまのお世話をさせていただいて来たんですから。こんなに愛らしくてお優しい坊っちゃまは、世界中、どこを探したって見つかりはしませんよ」
「……ありがとう、倩玉」
これほど優しい人たちに囲まれて暮らし、それでも心が満たされない、と言えば、それは罪になってしまうのではないだろうか。
四年前までの生活が嘘のように何不自由なく暮らし、モデルという社会的地位まで持つことが出来た、というのに、それでも心は満足してくれないのだ。
たとえば、唇。
あの汚い置屋の中で、たった二度重ねた唇は、ただそれだけで、心を一杯に満たしてくれるものだった。
そして、手。
小さな手を互いにしっかりと握り、逃亡を決意した時、心には希望だけが満ち溢れていた。
それから、温もり。
どんな寒い日でも、二人ぴったりと寄り添っていれば、すぐに体は温まった。もちろん、心も、暖まった。
あの日はもう、二度と戻っては来ないのだろうか……。
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