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番外編 エリック編
エリック編 31
しおりを挟む少し眠ったせいで遅くなってしまったが、そろそろ夕食にしないと皆がお腹を空かせている、というので、夜になって目を醒ました階は、起きぬけのまま、遅い夕食を前にしていた。
これは本当に不思議なことだが、妊娠してからというもの、眠くていくらでも眠れてしまうのだ。
夕食といっても、不要な外出を禁じられているため、持参して来たレトルトや携帯食が主である。もちろん、今は一流ホテルのレストランもレトルト食品を出す時代で、その種類や味には不自由しないのだが――。それに、階の体のことを考えると、不用意に現地の食べ物を口に出来ない。
「顔色は戻ったみたいだけど、どこもなんともないのか? 痛いとか、これまでと違う感じがあるとか」
まだ眠気の方が勝っている階に、アールが訊いた。
「うん、大丈夫。――ぼくより、アールの方が痛そう」
階は言った。
その言葉の通り、アールの唇は切れて腫れあがり、食べ物を口に入れるのも辛そうだった。
「これでも手加減してやったんだ」
櫂が言った。
当然、アールはフォークを叩きつけて立ち上がり、
「アール! 櫂も! ……食べられない子供だっているんだから」
「そこですか、論点は……?」
桂の呆れ顔と共に、アールも怒りを呑み込んで、腰を下ろした。
ともかく、食事中は殴り合いはしないということで、大して会話もはずまないままに食事を済ませ、お風呂――。
「シーツで部屋を区切ろうか?」
そんなアールの言葉にも、
「パブリックスクールで寮生活をしても、ずっとそれじゃあ、成長しない訳だ」
と、また櫂の皮肉。
「誰だって、厭なことや隠したいことくらいあるだろ!」
「またぁ。もういいって、ケンカは……」
司が呆れて何も言わなくなったのも、解る気がする。
階は溜息をついて立ち上がり、
「向こうを向いててくれるだけでいいから」
と、自分が大人になるしかない言葉を持ち出した。
何だか、桂が笑っているような気がした。
痛みはなかった。
他に何も感じなかった。
それでも――。
「……アール」
階は、そのわずかな――それでも大きな異変に、アールを呼んだ。
不安定な声の響きを感じたのか、背中を向けていたアールが、すぐに振り返って飛んで来る。
「どうかしたのか、フェリー――」
「血……だと思う」
階は――桂もそれにうなずいて、アールの顔をじっと見つめた。
日本を発ってから強行軍で、休憩を取りながらとはいえ、ほとんどを振動の続く車での移動に費やしたのだ。しかも今日は、戦争の犠牲者の姿を目の当たりにし、精神的にもショックを受けていた。
下着に付いた血はわずかなものだが、安定期に入ってからの出血となると、子宮内で異変があったとしか思えない。
「解った。とにかく安静にしないと――。診るから、横になって」
こうなると、風呂も何もかも――動くのも禁止で……、アールは医療鞄から小型の超音波心音計を取り出し、ゲルをつけた探触子を、横になる階の腹部に当てた。
「――心音は聞こえる……」
それを聞いて、階はホッと胸を撫で下ろした。
内診でもポリープなどは確認できず、子宮口も開いてはいない。
「取り敢えず、止血剤は持ってるから、それを飲んで絶対安静――。当分、ここにいることになるけど」
「でも、五日後にはエリックから連絡が――」
「フェリー、それは諦めるしかない。ここで無理をして移動すれば、確実に流産する可能性が高くなる」
「――。うん……」
ひと月に、たった二度の連絡だというのに……。
きっと、エリックは心配するだろう。
階が日本にいると思っているのだから。
「――で、俺はもうそっちを見てもいいのか?」
ずっと後ろを向いていた櫂の言葉だった……。
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