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番外編 エリック編
エリック編 18
しおりを挟む目を醒ますと、ベッドの傍らには、いつ戻って来たのか、エリックが心配そうな顔で付き添っていた。
眠った記憶はないのだが、食べたものを吐いて、少し横になっている間にうとうととしてしまったのだろう。
何しろ、妊娠してからというもの、眠たくて眠たくて仕方のない状態が続いているのだから。
そうでない時間は、つわりで気分も滅入っているし――。
「悪かったな。せっかくの休暇中に、三日も留守にして」
本当に申し訳なさそうに、エリックが言った。
ただでさえ妊娠初期の不安定な時期であり、つわりもあり、心配ごともあり……と、一番側にいて欲しい時期であるというのに。
だが、エリックの気持ちが解っているだけに、そんなことなど口には出せない。
「うん、大丈夫。ちょっと調子に乗って食べ過ぎただけだから――。ソアーのおじいさまは、どうだった?」
階が訊くと、
「血圧が上がって倒れて――それで三日間、帰れなくなった」
天を仰いでのその言葉に、
「嘘! 言ってくれればお見舞いに行ったのに! ――それで、おじいさまは?」
ガバ、っとベッドに体を起こし、階が訊くと、
「殺しても死にそうにないけど――。皆が、おまえは取り敢えず一旦グレヴィルへ戻れ、って言うから、帰って来た」
皆――。エリックの父親や叔父、兄弟のことだろう。
「そうだったんだ……。ぼくも見舞いに行かないと――」
「つわりで辛い時なんだから、無理するなって――。せっかく落ち着いて来たのに、二人で顔を見せたら、また血圧が上がる。それに……秋には辞令が出るから、その時、また挨拶に行けばいい」
「辞令……」
「多分、アフガンかイラクだ」
ごまかすことのない、はっきりとした言葉だった。
「……そう」
――アフガンか、イラク……。
そうなることは解っていたはずなのだ。
ロンドンにいられないだけではなく、危険な戦地へ赴くことになるのだと……。
「休暇には戻って来る」
「うん……」
肩を抱きしめる逞しい腕も、背中に回る大きな手も、暖かくて、強くて、心地良い。
幼い頃から、階を守り続けて来てくれた、腕なのだから。
「春には生まれるんだよなァ……」
腹部に頬を押し当てて、目を瞑ったままで、エリックが言った。
「まだそんな実感はないんだけど」
つわりがあるとは言っても、お腹が大きくなったわけでもなく、エコーで確認したといっても、はっきりとした胎児の姿を見た訳ではない。
何となく、まだふわふわとした気持ちだけが、そこにあるのだ。
「そりゃそうだよな。俺も子供が生まれて来るなんてこと、想像が出来ない。システムでの細胞分裂と成長過程のVTRなら授業で見たけど」
「そうだよね……」
女が絶滅してから一八〇年以上が経ち、今ではすっかり生命は人工的に作り出すものとなっている。
女が妊娠して、出産する世界など、今のこの世に知る人間などいないのだから。
「……アンディに言われたよ。あと一年くらい待てないのか、って」
お腹に頬を当てたまま、エリックが言った。
「ごめん。アンディは、ぼくのことしか――」
「俺は、あいつほどに、おまえのことを考えてないのかも知れない」
自嘲のような言葉だった。
アンドルゥを越えるため――そんな自分勝手な理由と、プライドのために、こんな時に階の側を離れようとしているのだから。
「……エリック」
「俺には、自分が正しいのかも、間違っているのかも判らない――」
「間違ってない。だって、こうしてぼくが選んだのは、エリックだったんだから……」
そう。
あの時、そんなエリックを選んだのは、階自身だったのだから……。
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