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番外編 アール編
アール編 7
しおりを挟む愛してもいないのに、愛しているフリが出来るほど、器用ではない。かといって、愛そうと努力をして、愛せるものでもない。
アールの心には、イートンにいたあの頃から、階以外、誰も映ってはいないのだから。
たとえ階が、アールのものになりはしない、と解っていても……。
それなら――。
それならオスカーはどうなのだろうか。
階だけを見つめているアールを見て――そんなアールと結婚して、心を痛めずに過ごせるというのだろうか。今のように無関心を装って、それをこの先も続けていけるというのだろうか。
たとえばアールのように、階に少しでも『アールを手放したくない』と思われている、と知っているなら、変わらず側にいられるのかも知れない。階に望まれているのだと――それを感じているから、今、アールは安堵と心地良さを感じて、階の側で過ごせているのだ。
もちろん、階と結婚出来て、自分だけのものにしてしまえるのなら、それ以上の幸福はないだろうが。
だが、オスカーは……。
「――また上の空だよ、アール。アンディに何か言われた?」
十六夜のメディカル・センターから、十六夜本邸へ戻って来た夜、夕食を終えて寛いでいると、階がそう言って、心配そうに首を傾げた。さすがに日本屈指の大財閥だけあって、その敷地の広さも、屋敷の豪華さも、想像をはるかに上回っている。
まさか階も、二人がオスカーの話をしていたとは思っていないだろうが、臨床実習や成績のことで、アンドルゥに何か言われたのでは、と思っているに違いない。もちろん、そのことも言われたには違いないのだが……。
「あ、うん、ごめん。何の話だっけ?」
取り繕うように笑みを見せて、アールは訊いた。
「チェス。――アールの番」
「ああ、そうか」
完全に意識があっちへ飛んでいたのだろう。チェスの盤を見ると、駒を使って、真ん中に『END』と書いてある。暇つぶしに階がそうしたのだろう。
「……ごめん」
アールはもう一度、謝った。
「ぼくには話せないこと……だよね。アンディが、わざわざ二人っきりの時に話すんだから」
「……」
話せない訳ではなく、話してはならないことなのだ。オスカーはきっと、自分がいないところで、階とアールに自分の話題を口にして欲しくはないだろうから。
「アールはいつもぼくを好きでいてくれたし、ぼくはそんなアールに甘えて来た。――ぼくに何か出来ることはある?」
――出来ること……。
誰よりも自分を愛して欲しい。エリックよりも、ローレンスよりも――。いや、階が一番に愛しているのは、他の誰でもないアンドルゥではないのだろうか。だから、アンドルゥ以外の誰かの中から選ぶことに、あんなにも時間がかかってしまった。
そしてアンドルゥも、今でも階のことを一番に考え、アールに階を傷つけるな、と――オスカーとの揉め事を持ちこむ前に、きっぱりとどちらかと手を切れ、と……あんな形で話しをしたのだ……。
「最後に……君を、抱きたい……」
二度と引き返せない言葉を――全てを壊してしまうであろう言葉を、アールは震える心で、口にした。
「……アール?」
階の瞳も、思いがけない言葉を聞いたように、これ以上はなく、戸惑っている。――いや、アールの心は知っていただろうから、戸惑っているのは、最後に、と付け足した言葉に、だったかも知れない。
「もちろん、君が嫌なら――」
「どういう意味? 最後って、どういうこと? アンディに何か――」
「違うよ、フェリー。ぼくが、君を抱きたくて我慢できない。そうしたら最後になるのが解っていても……」
階の細い手首を握り締め、アールは、うろたえる瞳を静かに見つめた。
このまま手を引いて部屋に連れていけば、階は抗うことなくアールにその身を任せるだろう。今まで待たせるだけ待たせて来て、アールへの罪悪感を少なからず抱いているはずなのだから。
その階の心に――嫌だと言えない階の心に、付け込むように言っているのだ。これで最後にするために……。
「アール……」
「返事を、フェリー。――ぼくはこの手を引き寄せても構わないのか?」
視線を逸らさず、アールは訊いた。
廊下にバタバタと足音が響き、二人が寛ぐサロンに桂が飛び込んで来たのは、その時だった。
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