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番外編 アンドルゥ編

アンドルゥ編 4

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「可哀想に、あんなことを書いてやるなよ。今頃、部屋で泣いてるそ」
 ベッドでアンドルゥを組み敷きながら、この学寮ハウス舎監ハウス・マスターを務めるアイザック・ジョイス教諭は言った。
 学寮ハウスが城であるのなら、舎監ハウス・マスターはそこの城主である。生徒にとっては担任の教師であり、学期末の通知表や、親への報告、生活指導……生徒と同じようにこの学寮ハウスに住み込んで、生徒の監督にあたっている。もちろん、家族も一緒に住み込んでいるため、生徒を自分の部屋に連れ込むなど、もってのほかだ。
 学寮ハウスには他に、生徒の健康管理や洗濯などをする、メイトロンと呼ばれる世話係もいる。
「それが、あなたに何か関係があるのですか?」
 冷ややかな眼差しで、アンドルゥは言った。
「ないかな?」
「ええ」
 彼も――ジョイス教諭もまた、何とも思われていない人間の一人であるのだと――その少年は言ったのだ。
「それでは学友一人出来ないはずだ。まあ、その方が、この部屋に誰も来なくて都合がいいが……」
 少年らしい線の細い肢体に、舌と指が淫靡に這った。
「……週末の外泊許可を出してください」
 抵抗もせずに体を預け、アンドルゥは、愛撫を続ける舎監ハウス・マスターに言った。
「三年級の君を一人で、しかも、君のお父上の承諾もなしに、勝手に? そんなに毎週どこに行く用事があると言うんだ?」
「なら、校長先生にお願いします――」
 アンドルゥはベッドの上から背中を浮かせた。
「冗談だよ」
 ジョイス教諭は、アンドルゥの体を押し止め、
「体は開くのに、心はかたくなだ」
「こんな体なんか……」
「ん? 何か言ったかい?」
 アンドルゥの呟きは小さ過ぎて、ジョイス教諭の耳には届かなかった。
「いえ、なんでも……」
 その碧い瞳が寂しそうに見えたのは、果たして気のせいだったのだろうか……。




 自分の体が、人とは違うことは知っている。見た目は完全な男だが、生まれながらの染色体異常で、背は伸びるものの、筋肉は女のように付きにくく、力も劣る。他人の何倍も努力をして、体を鍛えなくてはならないのだ。
 そして、第二次性徴もずっと遅い。周りが声変りをし、体つきが逞しくなり、体毛やひげが生え始めても、アンドルゥはまだずっとこのままなのだ。もちろん、アンドルゥの年なら、同級生の中にも、第二次性徴を迎えていない生徒は何人もいるし、今はまだ耐えていられる。
 だが、いずれは一人になるだろう。
 だから、なのだろうか。父たるロード・ウォリックに何と言われようと、アンドルゥは医学の道に進みたかった。金をかけて作った甲斐のない子だ、と――そう思われながら生きて行くのは、もうすっかり慣れてしまったが――もちろん、誰もそんなことを口に出しては言わないが、子供すら作れないかも知れない自分の体が、価値のないものだということは知っていた。伯爵家の役には立たない息子なのだ。
 この体が何とかなるのなら……。
 勉強はしたし、先端医療、遺伝子学会、各分野の権威、論文……各国の大学や公の場で開かれる研究発表会シンポジウムに足を運び、知識だけは詰め込んだ。あとは、知識を形に出来る場所が、あればいいのだ。
「十六夜……」
 一六〇年前、〈XX〉が絶滅の危機に瀕した時に、いち早く子供の生産を確立し、遺伝子工学、発生工学の分野を独占し、巨大財閥に昇りつめた日本企業――。
 今、子供は全て体外受精で、結婚し、子供を作りたいと申し出る二人の生殖細胞を取り出し、培養液の中で分裂させ、その細胞が八個まで増えたところで、互いの胚を四個ずつ取り出し、混合胚を作り、再び培養液に戻す。もちろん、そのままでは、染色体の数が多過ぎるため、キメラになる。
 キメラ――。ギリシア神話では、前身を獅子、胴を山羊、そして、大蛇の尾を持ち、口から猛火を吹くという姿で表され、キマイラとも呼ばれている。発生工学では、二種類の生物の胚細胞を混ぜ合わせて発生させた生物を示す。つまり、両親の染色体を半分ずつもらって一つになった子供ではなく、二人分の染色体を一つの体に持つ子供だ。
 普通、人間は、一対になった四六本の染色体を持っており、子供は両親の染色体を一組ずつ(二三本ずつ)もらって、同じように、合計、四六本の染色体を持つことになるが、キメラは両親の染色体を二組ずつもらうことになってしまい、合計、九六本の染色体を持つことになるのだが、混合胚を作る時に、染色体の半分を取り除くことは、難しくもない。
 言い方を変えれば、その遺伝子操作によって、優れた遺伝子の方を優先して残し、天才児を作り出すことも出来るのだ。もちろん、それは社会倫理を逸脱した遺伝子操作であり、個人の価値に関する考え方の基礎を脅かすものとして、OTA(連邦テクノロジー・アセスメント局)などによって、厳重に取り締まられている。クローンも、戦略兵器に繋がるとして禁止され、婚姻関係を結んだ二人だけが、子供を作ることを許されていた。
 もちろん、愛情を持って婚姻を結ぶ者がほとんどではあるが、上流階級、特に政財界ではそうとは限らない。お互いの利益や後継ぎを得るための婚姻がほとんどで、共に暮らす訳でもなく、必要な子供が出来れば、あとはそれぞれの元に子供たちを引き取り、育てることになる。こちらの父、あちらの父、というふうに、別の家庭のようになってしまうのだ。
 女が絶滅し、地球が危機に瀕して以来、世界は遺伝子部門の研究に莫大な資金を注ぎ、その発展にあらゆる労力を注いで来た。そのために、他の部門は、この一六〇年間、ほとんど進歩していない。
 十六夜が先駆者となった医学や遺伝子工学の分野だけが、この一六〇年間、進むことを許されて来たのだ。
 アンドルゥが大学を卒業し、十六夜に入るとするならば、あと十年以上も待たなくてはならない。それは途方もなく長い時間で、十三歳のアンドルゥには、その時間を待つことは苦痛だった。
 それなら――。何とか十六夜秀隆に、自分に興味を持ってもらえないだろうか。いくつものシンポジウムで顔を合わせ、自分のことを覚えてもらい、興味を持ってもらえたら……。それでも時間はかかるだろうが、十年というほど長くはないはずだ。
 そして、話が出来る機会があれば……。


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