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番外編 ドクター・刄

ドクター・刄 7

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「乗れ――!」
 目の前に止まったバイクに跨り、刄はやっと手の中のメスを、放した。
 血に染まったメスは、もう光ることもなく、地面に跳ねて、転がった。
「馬鹿か、おまえは! あんな派手なことをするくらいなら、最初から俺と組んでおけ!」
 フルフェイスのヘルメットから、耳慣れた声が、叱責を飛ばした。
 ――世友。
「思玉は……」
 風を切って走るバイクの背に、刄は呟くような声で、問いかけた。
 とても聞こえるような声ではない、と思えるのに、それでも世友には聞こえたのか、
「――まだ連絡はない」
 と、振り返らずに、言葉を返した。
 あの日――犬の薬を届けに行く直前に、思玉の父親にスパイの嫌疑がかかったことを知り、すぐに息子の思玉をベトナムへ逃がす段取りを取ったのだが、国境を超える前に、連絡が途絶えてしまったのだ。
 今、バイクは、そのベトナム国境へと向かっている。
「俺が、ああすると思っていたのか?」
 刄は訊いた。
 世友があのタイミングで、バイクを飛ばして来たのが、偶然であるはずもない。
「まさか!」
 と、大仰な仕草で、世友は言い、
「機会があれば、俺が殺してやる積りだった。それが――上官や司令部の奴らまで殺しやがって……。逃げおおせる積りでいたのか?」
「……」
「まあ、そんなことまで考えてるはずないか」
 町中に聳える石灰岩の岩山を脇に見据え、二人が乗るバイクは柳州の街を駆け抜けた。
 途中、バイクを捨てて車に乗り換え、同志だという男と合流した。血の付いた軍服も、車に用意されていた国境警備につく師団の軍服に着替え、国境の町、東興へと踏み入れる。
 司令部の中将が、捕えられていたスパイと共に、ドクター・刄に殺された、という連絡は、すでに国境の部隊にも伝えられていて、とても国境越えなど出来る状況ではあり得ない。
 それなら――。
「思玉だけでも奪還する」
 何の手だても情報もなく、それでも刄はそう言った。
 だが、世友は、
「余計なことをするな! 父親が死んだ今、何も知らない思玉まで殺されはしない。今、おまえが軍部に乗り込むことの方が、思玉の命を危険にさらすことになるんだ」
「……」
「情報が入るまで、待て」
 待っていた情報が入ったのは、そのすぐ後のことだった。




 世友が身を置く革命組織の同志から届いた情報によると、思玉は国境警備隊の施設からそう離れていない、軍事基地の一時収容施設に連行されて行ったらしい。
 刄と世友は今、その施設を前にしていた。
 何重にも張り巡られた鉄条網の向こうには、ブロックが積み上げられてできた建物があった。
 中には竹で出来たベッドと、壁に立てかけられたライフルが五丁。
 赤いレーダーがクルクルと周り、侵入者は容赦なく射殺される。
 その先には、滑走路と基地が見えた。
「どっちが先に思玉を見つけても、見つけた地点で奪還、撤退する。無理に合流はしない。後は自分で逃げろ」
「解っている」
 刄は言い、世友の合図で、鉄条網の向こうに手榴弾が投げ込まれた。引きつけ役の仲間がしたことである。
 すぐに見張りの兵士たちが状況を伝え、建物の中から他の兵士たちが飛び出して来る。
「行くぞ」
「ああ」
 二人は敵の目が囮に引きつけられている内に、鉄条網を切り裂いて、先にある建物へと忍び込んだ。


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