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沙希伶(シャシイリン) ――XX外伝――
沙希伶 ――XX外伝―― 10
しおりを挟むシャンパンのボトルが沈む氷は、すでに融けて水となっていたが、まだ充分に冷えていて、栓を開けると、二つのグラスに発砲音と共に注ぎ込まれた。
夜中近く――。
そのまま眠ってしまってもよかったのだが、そうしてしまうのはもったいなくて、現実にお腹も空いていて――。
実際、二人とも、よく食べた。
そして、希伶は――。
「何で、ぼくのことを知っていたんだ?」
素肌にローブを羽織るだけの姿で、オリーブをつまみながら、菁に訊いた。
シャンパンを流し込み、希伶の指から口元に運ばれるオリーブを口に入れ、菁は、
「先月、沙長官宅に招かれた時、塀を乗り越えて屋敷に忍び込む君の姿を見かけて、ね。――君の兄の月笙との見合いの席だった」
「……見合い?」
菁の言葉に、希伶はその意味を噛み砕くように、懸命に頭の中で、考えた。
見合い、と言ったのだ。兄の月笙との見合いの席、と――。なら、その意味は……。
いや、あの時――希伶が警官に追われて捕まった時、助けに入ってくれた菁は、こう言ったはずではないか。
『私の弟が何かしましたか?』
と……。
弟――。あの言葉は、こういう意味を持つものだったのだ。希伶の兄の月笙と菁が結婚すれば、希伶は菁の弟になる……。
「そう……なんだ」
希伶は、胸の痛みを堪えるように、きつく指を握り締めた。
自分が本気で相手にされるはずはないと――だから期待してはいけないと……あれほど心に言い聞かせていたというのに。そんなものは、何の役にも立ちはしない。
解っていても、期待してしまう。
優しい言葉をかけられれば、もしかして、と思ってしまう。
逞しい腕に包まれれば、尚更……。
「君が沙長官の家に戻るのなら、私は沙家との縁組を快く承諾する。――相手は少し変わるが、どうせ家同士の縁組だ。息子の誰かでありさえすれば、問題はない」
「え……?」
菁の言葉に、希伶は意味を解せず、戸惑った。
今、菁は何と言ったのだろうか。
縁組を承諾する、と――。いや、その後……。
――相手が変わる?
「どうせしなくてはならないのなら、君と結婚した方が、退屈せずに済みそうだ」
悪戯っぽい笑みと共に、菁の唇が、頬に触れた。
「何を……言って……」
声が、震えた。
「いい考えだろ?」
「そんな……こと……。ぼくは、誰の子かも判らない子供で、兄弟の誰にも似ていなくて、性格も――」
「厄介な性格が好きなんだ。――戻るだろう? 沙の家に」
「ぼくは……」
――ぼくは、何を悩んでいたのだろうか。
自分をこの世に生み出した、誰のものかも判らない遺伝子を、こんなにもあっさりと許してしまえるというのに。
そんなことなど、どうでもいいと思ってしまえるのに。
そんな、ほんの刹那で消えてしまう悩みに――今まで囚われていたというのだろうか。
「ひどい……。そんなに簡単に……」
そんなに簡単に、これまでの凍りついた心を解かしてしまうなど。
「まだ高校に籍はあるらしいから、学校に戻って、卒業したら結婚しよう。――それでもまだ若過ぎるか。大学卒業まで待つかな」
「いやだ! そんなに待てない……!」
――こんなに、胸が、苦しいのに……。
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