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沙希伶(シャシイリン) ――XX外伝――
沙希伶 ――XX外伝―― 7
しおりを挟むタワーの上層階に構える、ペントハウスのように豪華なザ・ペニンシュラ・スイートは、バルコニーへ出ると目の前にビクトリア・ハーバーが広がり、香港の夜景を独り占めできるような眩い贅沢さに包まれていた。
幾つものソファとティー・テーブルが並ぶリビングはもちろん、ベッドルーム、オフィス、会議室、ミニジム、フルキッチン、ランゲージエリア、ミニバー……数え切れないほどの贅沢に埋もれている。
「――今度からは、相手はただの街娼だ、って言った方がいいんじゃないのか?」
この部屋だけで、一晩、何百万するのだろうか。
「気にするな。――バスを使ったら、ひと眠りするから、君が出たら起こしてくれ」
上着をソファーに放り投げると、菁はそう言って、バスルームへと翻った。
「金を盗んで逃げるとは思わないのか?」
希伶が憮然と睨みつけると、
「その気なら、黙って盗んで逃げるだろ?」
身元も知っている希伶が、そんなことをするはずがない、と高をくくっているのだろうか。
睨みつける希伶を尻目に、菁の姿はバスルームへと消えた。
ソファの上に腰を下ろすと、久しぶりに感じる心地良い柔らかさが、背中から下肢を労わってくれる。
自分のことを知っている青年、李菁――。
恐らく、もっと以前に、父である行政長官と一緒にいる時に会っているのだろう。つい数年前までは、家族でパーティに招かれることも、招くこともあったのだから。
そんなことを考えながら、満たされた腹と、心地良いソファの座り心地に、希伶はいつの間にか眠りに引き込まれていた。
眠るわけではない――ほんの少し、目を瞑るだけ……。
そう思っていたのだが。
「よく寝る奴だな。――朝食は頼んでおいたから、風呂にでも浸かってゆっくりしていけばいい。こっちは仕事があるから、もう出る」
目を覚ますと、希伶は豪華なベッドの上で眠っていて、目の前にはすでに身支度を整えた菁がいた。
「え……?」
希伶は、服を来ていることを確かめると、昨日、ソファであのまま眠ってしまったことも、思い出していた。
あんなに柔らかい場所で休むことなどずっとなく、その心地良さのまま、朝まで眠ってしまったのだ。――いや、ベッドで寝ているのだから、きっと菁がここまで運んでくれたのだろう。
あまりにも久しぶりで、あまりにも疲れていて……。
「何で……? 起こせば……いいじゃないか」
憐れみをかけられているような気もして、腹立たしかった。
「そう言われても、こっちも眠かったからな。最近、ずっと忙しかったし――」
そういえば、ひと眠りするから起こしてくれ、と言われていたような気がする。結局、寝てしまったのは希伶の方であったのだが。
「おっと、遅れる。まだ重役出勤できるような身分じゃないんだ、こっちは――」
菁は言い、慌ただしく部屋から出て行ってしまった。
――結局、街娼なんかとやる気はないんじゃないか……。
希伶は口の中で呟くと、再びベッドに仰向けになって、天井を見つめた。
父や兄たちに反発して家を出て――していることと言えば、こんなロクでもないことばかりで。
「きっと、ぼくにはそういう遺伝子が組み込まれているんだ……」
どこの誰のものなのかも判らない、得体の知れない遺伝子が。
だから、父や兄たちとも違うし、あちらの父とは血もつながっていない。
――どうして、ぼくはまだ生きているんだろうか。
希伶は子供のように丸まって、震える体を抱き抱えた。
こんな思いをして生きていくくらいなら、いっそ……。
そうしていると呼び鈴が鳴り、菁が言っていた通り、部屋へと朝食が届けられた。朝から喉を通りそうもない豪華なメニューには、ご丁寧に花まで添えられている。そのメッセージを開くと、
《 21:00には戻れる 》
そんな言葉が書かれていた。
希伶はそのメッセージを水差しに沈め、
「クソっ……。人の死ぬ気に水を差すなよ……」
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