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XX Ⅰ

XX Ⅰ-45

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 香港の高級住宅街たるハッピー・バレー――そこにある菁の屋敷に着き、刄が司とクリスの手当を終えた時、空はすでに夜の帳を下ろしていた。
 司は脳震盪と、暴行による局部の裂傷……細かい傷は幾つもあるが、それ以外の大きな傷は見当たらなかった。
 クリスの方は、三発の銃弾が腰から胸を貫いており、昏睡状態にある。後ろ手に縛られた状態で撃ったためか、心臓に当たった弾は一発もなかった。が、その内の一発は脊髄に入っており、回復しても、体は完全な状態には戻らないだろう。後は、骨折と打撲……まだ、意識が戻る確証は、ない。
「入ってもいいかい、ドクター.刄?」
 ドアホンを通して、菁の声が耳に届いた。
「あ、ええ……。どうぞ」
 刄は椅子の上から腰を上げた。
 豪華で広いこの一室は、治療室として菁に貸してもらった一室である。二つ並べたベッドの上には、司とクリスが眠っている。
 人工呼吸器レスピレータと点滴が、痛々しい二人の姿を映している。
 真っすぐな髪を顎の下で切り揃える、切れ長の瞳をした青年が、部屋の中へと姿を見せた。
「今日は本当にご迷惑を――」
「私は、司を迷惑だとは思っていない。だが、君が連れて来たあの口の利けない少年――。目を覚ました途端に暴れ出して、手がつけられない」
「あ……。すみません」
 ハッと気づき、刄はすぐに部屋から飛び出した。
「待て、ドクター.刄」
 菁が、駆け出す刄の背中を引き留める。
「あの少年は、君の何だ?」
 と、怒りすら含む声で、問いかける。
「……。彼は……。私は彼を愛しています」
 刄は、言った。
「……後でもう一度、訊く。行ってくれ」
「は……」
 きっと、何度訊かれても、何度応えても、言葉通りに飲み込めるものではなかっただろう。




「あんな少年のために走るな、ドクター.刄……。自分のいるべき場所を忘れたというのか……」
 静かになった部屋の中、菁はきつく指を握り締めた。そして、ベッドの傍らへと歩み寄る。
「……聞こえたか、司? ドクター.刄は、君以外の人間を『愛している』そうだ。それに加えて、君が結婚相手として選んだのは、ドクター.刄ではなく、その金髪の青年だそうじゃないか。こんなことを希に話したら、その場であれの心臓は止まってしまう。――そうだろ、司?」
 傍らの椅子に腰を下ろし、ベッドに眠る司を見つめて、菁は言った。もちろん、司は意識を失ったままで、目を醒ますことも、ない。
「司……早く目を醒ませ……。希が、君のことで嫌な夢を見た、と言って心配している……。もちろん、あれには君は元気だと言ってある。最後に……君と話をしたいそうだ……。もう、今度は本当に駄目らしい……。私がもっと早く気づいていれば良かったんだ……。あれがヘロインに手を出しているなど、私は少しも知らなかった……。心臓が……体中がボロボロになるまで、少しも……。あれをこんな世界に連れ込むのではなかったと後悔している……。誰にも言ったことはないが……君にも、こうして眠っている時にしか話せないが……私は……多分、希が死んだら、生きては行けない……。情けないだろう? 笑っても構わない。自分でも……情けない」
 噛み締めるように唇を震わせ、菁は血を吐くように、言葉を綴った。
 長い睫が微かに揺れ、司が漆黒の瞳を、ゆっくりと、開いた。
「……誰が、情けない、って?」
 掠れるような言葉だった。
「あ……目が醒めていたのか……?」
 菁は驚きと戸惑いのままに、顔を上げた。
「ぼくも……ドクが死んだら……死ぬさ……」
 呟くようにそう言うと、司は再び、目を暝った。
「――司?」
 呼びかけても、もう返事は返らない。意識がある様子も、全く、ない。
 だが、司は今、確かに目を醒まして、喋ったのだ。

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