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キメラ - 翅
翅の産卵 3
しおりを挟む「狂ってる、ここの人たちは……」
突き飛ばされて床に転がったエディは、涙がこぼれそうになるのを堪え、立ちあがって、足を進めた。
エルヴィラのことは気になったが、それよりも床の上に横たわったまま、動こうとしない《chimera-翅》の方が気になった。
「……大丈夫?」
産卵で体力を消耗し、弱っているのかも知れない。
確かにエディも、ゲルトルーデに張りついて輸卵管を挿し込む《chimera-翅》の姿を見た時は戦慄したが、彼女もまた、そういう風に創り出された被害者でしかないのだ。
自分と同じように……。
「アナタ……ダレ……?」
薄く目を開けて、《chimera-翅》が言った。
「ぼくはエディ。君の夢を見て、ここまで来た」
「ユメ……」
「パパなら、君のことも助けてくれる。ぼくを育ててくれたみたいに」
「……ぱぱ?」
「ドクター・シーナ」
「……どくた……しーな……。私を……タスケテクレルッテ……言ッテクレタ」
「うん。だから、きっと大丈夫だよ」
「私ハ……外ニ……出ラレル……」
「うん」
そううなずくと、《chimera-翅》は静かに瞳を閉じた。
浅く苦しげだった呼吸も治まり、苦しみから解放されたようでもあった。
だが、その瞳は二度と開くことはなく、体は瞬く間に硬直を始め、背中の翅が、ポロリ、と一枚、床に落ちた。
きっと、産卵は彼女にとって、最初で最後のこの世で与えられた使命だったのだろう。多くの生物がそうであるように、自分の子孫を残す、という――。
そして、その役目を終えた生物は、次代に遺伝子を託して力尽きる。
それも、生物の世界では、さして珍しいことではなかった。
それでも、エディの頬には涙が伝い、堪え切れない何かが込み上げていた。
これは、正しい『自然』ではない。
彼女の死がこれほどまでに腹立たしいのは、この生と死が歪んでいるからに違いない。
だとしたら、ゲルトルーデが今与えられている恐怖と狂気は、当然受けるべき天罰なのだろうか。命あるものを弄び、実験対象として扱って来たことへの――。
そうかも知れない。
彼女は自分が生み出したキメラに殺されるのだ。《chimera-翅》の新たな遺伝子を受け継ぐ子供たちの養分として、生きたまま内臓を喰い荒らされて。
卵は一度にどれくらい産みつけられるものなのだろうか。
五個? 十個? 三十個? それとも、数百……?
エディは《chimera-翅》の傍らから立ち上がり、ガラスの向こうから《ゆりかご》を見ている研究員たちに、首を、振った。
すでに《chimera-翅》の蘇生が適わないことは、医者でないエディにも判断できた。
カチリ、とドアを開く音がして、監視室にいた研究員たちが、恐る恐る中へと入って来る。
そこまで怯えるくらいなら、こんな実験をしなければいいのだ。
もしかしたら神も、自分が創った人間という種の残酷さと欲深さを恐れて、どこかでヒトという種が滅びゆく様を期待しながら眺めているのかも知れない。
「遺骸を保存しよう」
誰からともなく、《chimera-翅》の骸への対処を持ちだし、腐食を避ける管理のために、遺体保存庫へ運ぶ準備を始めた。
それはすでにいつもの手順で、もう誰もためらうことのない処置だった。
ここではこんなことも日常茶飯事だったのに違いない。憐れな実験生物が、死んだ後も研究対象として切り刻まれることが。
エディには、もう止めることも出来なかった。
自分がどちら側の人間なのか判らなかったこともあるし、そのことでひどく傷ついていたせいでもある。ただ、《chimera-翅》が横たわっていた場所に、再び身をかがめて小さくなることしか出来なかった。
ふと、サンクのことを思い出していた。
彼もまた、この研究所で、《chimera-翅》と同じような扱いを受けて育って来た一人なのだ。
そして、死んで逝くはずだった――。
自分もそうだったかも知れない。椎名が十年前に、この研究所からヒュドラーを連れて逃げなければ。
それなら、椎名が彼を助けようとしたように、エディもまた、サンクを守ってあげなくてはならない。例え自分が何であったのだとしても――。
そう思った時――。
「うわああああ――っ!」
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