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十八夜 黄玉芝(こうぎょくし)の記憶
十八夜 黄玉芝の記憶 16
しおりを挟む慣れ親しんだ気配が、近づいて来る。
今更、惑うこともない、瓊の気配だ。
雪蘭は木立の合間をすり抜けて、人の通る道へと足を向けた。
この時、雪蘭はまだ、人には『善い人』と『悪い人』がいるのだ、と思っていた。
だが、実際には――これは後になって気付いたことなのだが、そうではなく、一人の人間の中に、善い部分と悪い部分があるのだ、と知ることになる。
雪蘭が殺した男たちは、雪蘭や狐たちにとっては悪い人でも、家族や仕事仲間の間では、別の顔を持っていたのだ、ということを……。
「三神山に向かう準備が出来たのか、瓊――」
少し開けた場所で顔を合わせ、雪蘭は、ただ一人、逃げずに話をしてくれる人間、瓊の前で笑みを見せた。
だが――。
「三神山へは一人で向かう」
返って来たのは、その言葉だった。
「――瓊?」
「やはり、魔物に千二百善行は無理だったのだ。私も、魔物を野放しにした責めを負わねばならぬ」
「何を言って……」
「魔物と言えど、情の移った者を手にかけるのは忍びないが――。許せ!」
言葉と共に、いきなり――本当に、雪蘭にとってはいきなり、瓊の錫杖から攻撃が飛んだ。それは、高められた瓊の気が、錫杖によって一点に集まり、放出されたもののようでもあった。
――何故?
戸惑いに、刹那構えが遅れてしまった。
放たれた気を受け止めた手に、凄まじい衝撃と苦痛が駆け抜ける。
「きゃああああ――っ!」
三神山で、足を滑らせた瓊を助けるために、咄嗟に錫杖を握り締めた右手だった。
千々に千切れ飛んでしまうかと思うほどに、魑魅魍魎を蹴散らす呪が全身に渡る。
――まさか、本気で……。
左手で、苦痛に痺れる右手を掴み、雪蘭はまだ消えない戸惑いを胸に、瓊を見つめた。
だが、瓊の心が揺れる様子は微塵もなく、
「せめて、楽に逝かせてやろう」
再び錫杖が持ち上がった。
「臨兵闘者皆陣列前行――っ!」
瓊が道教の呪を唱えると、さっきとは比べ物にならない強い力が、避けようもなく体を穿った。
魔を抑え込む呪の威力に、抗いようもなく捕まってしまう。
「どうして……瓊……?」
恨む言葉は出て来なかった。
何故、彼女が急に雪蘭に刃を向けたのか、その理由が知りたいだけだった。
「私は人だ。人を殺す魔物とは共に居られぬ。――あの氷漬けにされた村人は、おまえの仕業であろう、雪蘭?」
冷たい眼差しで、瓊が言った。
「人……」
確かに、雪蘭は人ではない。
そして、あの狐たちを助けるために、非道な男たちを手にかけた。瓊と同じ人間だった。
だが、あれは決して悪行ではなく、狐たちを救うための善行だったのだ。雪蘭にとっては、それ以外の何物でもなかった。雪蘭に、動物と人、そして魔物の区別は何もなかったのだから。悪いことをしようとしている者たちこそ、罰せられるべき対象であった。
それを責められることになるなど……。
「人の命だけが尊いのか……?」
短い命の獣たちや、永き命の魔物たちには、その命の重みはないのだろうか。
「おまえの言葉はもう聞かぬ」
印を結ばれ、動けなくなった雪蘭の胸に、瓊の錫杖が降り降ろされた。
「これで最後だ!」
「――!」
錫杖から放たれる法力が、雪蘭の胸を深く貫く。
まるで、この山そのものが、雪蘭の上にのしかかってきたようだった。
もう、声を上げることも適わなかった。
胸を穿った錫杖は、バチバチと音を立てるように雪蘭を焦がし、赤い衣装に黒い法力の焼け焦げを作った。
そして、閃光と共に雪の上へと飛ばされた。
――瓊、人は何故、命の種類を分けるのだ……?
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