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十七夜 憑き物の巣
十七夜 憑き物の巣 26
しおりを挟む「寂しかったわ、祐樹」
PCの中の『らら』が、口を尖らせて拗ねてみせる。
「ごめんよ、君を放っておいて」
輝くブルーライトの中で、白く可憐な唇を尖らせる美しい天使に、祐樹は眉を下げて謝った。
さっきまで気を失っていたのだが、目が醒めたら、あのおかしな少年はもういなくなっていて、何だか狐につままれたような感覚ではあったが、取り敢えず、いつもの習慣のように、こうしてPCの前に座ったのだ。
もちろん、あんな少年のことなど、きれいさっぱり忘れていた。どんなにきれいで神秘的な少年であっても、この画面の中の『らら』に敵うはずもないのだから。
「きれいだよ、『らら』……。世界で一番、君が」
愛の言葉を囁くと、『らら』がこれ以上はない至福を浮かべる。
ゲームにハマるのはこれが初めてではないが、ここまでのめり込むのは初めてだった。
こうして『らら』と話をしているだけで、散らかり放題のこの部屋が、雲の上の天界のように思えて来る。
もちろん祐樹は、雲の上に天界があるのかどうかなど、知りもしなかったのだが。
「君が《熾天使》になるには、あと何が足りないんだろう?」
困った顔で祐樹が訊くと、
「私のためなら、何でもしてくれる?」
大きな瞳を近づけて、『らら』が言った。
返事に迷うはずもない。
「ああ、もちろんだよ!」
無職なので課金はあまり出来ないが、必要なアイテムがあるのなら、またあいつに用立ててもらって買えばいい。
「じゃあ、私のために、あいつを殺して……」
ドアが開き、そっと誰かが入って来た。
息を殺しているのか、感じる気配も、ごく薄い。
「来たわ」
誰かが耳元で囁いた。――いや、それは眩しく輝く画面の奥からの声だっただろうか。もう何が何だかよく解らない。
汗は、包丁を握り締める手のひらだけでなく、額にも首筋にも滲み出て、息使いも荒くなっている。
祐樹は、未だ経験したことのない人殺しの重みと、誰よりも愛しい『らら』の《熾天使》への道に、阿片のように混濁する頭で、ひたすらブツブツ呟いていた。
――これで『らら』は《熾天使》になれる……。
――僕を守ってくれる最高の天使に……。
もう一度包丁を握り直し、祐樹は足を踏み出した。
団地の一部屋の古い床が、ミシっ、と厭な音を立てる。普段は気に留めたこともない小さな音だが、こういう時は、大きく響く。
「――いるんでしょう? また二人で夢の世界へ行きましょう」
悪魔が甘い声で、手招きをする。
いつもはその誘惑のままに、魂まで売り渡してしまう声である。
――『らら』
――『らら』
呪文のように、心の中でその名前を繰り返しながら、悪魔が近づいて来るのをじっと待つ。
『らら』の声が耳元で聞こえる。
「大丈夫よ。あいつは人間じゃなくて、悪魔……。あなたは人殺しじゃないし、悪魔を滅ぼすことの出来る唯一の選ばれた者……」
――僕は『らら』に選ばれた者……。
「部屋にいるの? 入るわよ?」
悪魔が媚びるような声で、ドアノブを回した。
包丁を握る手に力を込め、祐樹はゴクリと唾を飲み込んだ。
――これは『らら』のためなんだ……。
――『らら』を《熾天使》にするには、悪魔を倒さなくてはならないんだ。
これまで祐樹の願いを叶え続けて来てくれた悪魔だったが、『らら』が最高位の《熾天使》になるためには、悪魔の存在は邪魔になる。『らら』が《熾天使》になりさえすれば、これからは『らら』が祐樹の願いを叶えてくれるのだから。
カチャ、と金属的な音を立てて、部屋のドアが外側に開いた。
目の前には悪魔が立っている。
束ねていた髪をほどき、黒ぶちの地味な眼鏡も外し、口紅さえ付けている。最初に会った時は、化粧っ気もなく、忙しさに構っていられない髪をゴムで束ね、近所の量販店で買ったような服を着ていたというのに。
『いいわね、仕事は二年目くらいがまだ責任もなくて楽しいわ。わたしなんて、ムキになって仕事をしている内にこの年になって――。あ、そうだ。これあげるわ。今度、サイトに上げる新しいゲーム。良かったら感想を聞かせてちょうだい』
悪魔は、甘い罠で人間を誘う。
優しい言葉で近づいて来る。
「――なんだ、やっぱり部屋にいたのね。誰もいないのかと――」
悪魔が部屋に入って来た。
「おまえなんか――」
「……え?」
「おまえなんかに、もう支配されるものか――っ!」
PCの画面に照らし出された包丁が、その切っ先から悪魔の体に吸い込まれる。
刃物が肉を裂く感触と、筋肉の抵抗、そして――。
床に崩れる重い響き……。
「ありがとう、祐樹。悪魔は滅ぼされたわ」
――悪魔は……滅ぼされた。
「……これで『らら』は《熾天使》になれるんだね?」
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