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十五夜 穆王八駿(ぼくおうはっしゅん)の因

十五夜 穆王八駿の因 24

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 花を開いた大王花ラフレシアは、受粉をするために、自らの身から腐臭を放つ。
 その肉の腐ったような悪臭に誘われて、ハエや白アリが大王花の中に惹きこまれるのだ。そして、彼らに受粉をさせる。
 だが、大王花ラフレシアである大花が咲いた場所は、桜の木に絡まるようにして伸びた、ミツバカズラの樹上。
 見合いをして、恋心に満たされた大花が発した《蟲寄せの匂い》は、集まって来た白アリたちを、そのまま桜の木に巣食わせてしまう結果となったのだ。
 桜の木は、弱い。
 害虫に付かれやすく、病気にかかりやすい。
 朽ちた古木だけに巣食う訳ではない白アリたちは、櫻花の宿る桜の樹木も餌食にした。
 きっと、それまでは、櫻花と大花は普通の仲の良い女友だちで、いつもお喋りを楽しんでいたに違いない。
 それが、一つの出会いと恋心のために、二人は仲を引き裂かれたのだ。
 今も、舜の存在にときめく大花の心が、《蟲寄せの匂い》を放ってしまった。本人の望むと望まざるに関わらず……。
「……すみません。ご迷惑を……」
 まだ蒼白の面のままで、櫻花が涙を拭いながら、謝罪の言葉を口にした。
 それを樹の上で聞く大花の顔は辛そうだった。
 舜は索冥の方を垣間見て、視線を櫻花に戻してから、
「最初に会った時、オレに声をかけて来ただろ? あれは、何か話があったんじゃないのか?」
 まだ少しでも何か望みがあるのなら――そう思って、問いかける。
 索冥は、期待させて落胆させるくらいならやめておけ、とでも言いたそうな顔だったが。
「それは……」
 息を整えながら、櫻花は応えた。
 頭上で咲き誇る桜を見上げ、少し安心したような面持ちで、
「どうか……この桜の木の一枝を、風の抜ける大地の上にお移しください……。この身はすでに回復することはありませんが、もし、新芽が、蟲に食い荒らされていない枝先に芽吹いたら、その時は……」
 ――最後に咲けて、よかった……。
 そんな安堵の響きが胸に届くような言葉だった。
 なら、舜に言える一言は、この言葉しかないではないか。
「――解った」
 これが唯一、彼女を救う方法であるというのなら。
「枝をお切りになった後は、必ず私と共にあの蟲を殺してください……」
「――」
 これには、すぐにうなずけない。
 蟲を殺すことなら舜に出来ても、その宿主たる櫻花まで共に殺してしまうなど――。
「おまえが首を突っ込んだ結末だ。――助けてやるんだろ? 返事をしてやれ」
 傍らから索冥が冷たく放つ。
 そこには多分に、黄帝に対する怒りの色も含まれていたかも知れない。
 こんなことを舜に押し付けずに、黄帝が自分でやればいいものを、何故、わずかな時しか生きていない舜に、こんな残酷なことをさせるのか、と――。
 帝王になるなら――誰を守り、誰を捨てるか、選びとれなくてはならない、というのだろうか。
 放っておいても死んでいたはずの櫻花を、わざわざ舜の手で殺させることに、何か意味があるのだろうか。
「オレは……」
 口を開いた舜の頭上から、
「あかん! 櫻花を殺したらあかんっ!」
 懸命に涙を堪える面で、大花が我慢できないように、言葉を被せた。
「頼む……。お願いや。――もう、うち、誰も好きになんかならへんし……せやし、櫻花を殺さんといて……」
 すでに我慢できなくなった大粒の涙が、ボロボロと舜の上に降り注ぐ。
 ――誰も好きになんかならへんし……。
 彼女はやはり、自分のせいで櫻花が白アリに巣食われてしまったことに、やりきれない思いを抱えているのだろう。
 仲の良かった少女が、自分が抱いた恋心のせいで、命を蝕まれて果てることに。
 櫻花は放っておいても死ぬ。
 それなら今、被害が広がらない内に殺してやるのも同じ――。
 これ以上、苦しまずに済むよう、殺してやるのが優しさ……。
 そんな理屈があるはずもない。
「――殺すわけないだろ。何か方法を探すんだ」
 舜の言葉に、また索冥が、「余計な期待を持たせるな」と言いたげに眉を歪めていたが、
「おおきに……! おおきに!」
 涙でぐしゃぐしゃになった大花の顔を見ると、何も言わずに顔を背けた。そして、自分の心の中だけで、
 ――馬鹿が……。
 ――虞氏に似たところなんか一つもないのに、なんで虞氏と同じ道を選ぶんだ……。


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