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十五夜 穆王八駿(ぼくおうはっしゅん)の因
十五夜 穆王八駿の因 10
しおりを挟む何故だか急に、空が明るくなったような気がした。
言うなれば、陽光を隠していた分厚い雲が、風の流れで晴れたように。
もちろん、草木の生い茂る山のこと、辺りの木洩れ日に、そんな急激な変化があるはずもない。
いや――。
「桜が……」
デューイのその言葉に顔を上げると、白い幹の桜の木に、淡く色づいた数多の花びらが、急速に蕾を膨らませ、今、正にその一輪が花を開いたところだった。
そうしている間にも、また一輪。
桜は次々に蕾を開き、または膨らませ、刻を早送りするかのように、辺りを明るく輝かせた。
だが、その樹は、さっきまで蕾も付けず、今年は咲かないかのように、細い枝だけを伸ばしていたのではなかっただろうか。
「……狂い咲きか?」
――また、あいつが何かしたのでなければいいが。
索冥の表情には、そんな苦々しさも映っていた。
「うわあっ、きれいだなぁ」
デューイの方は、瞬く間に蕾を開いていく桜の姿に、ご満悦である。思いがけない桜の花見に、きらきらと目を――灰を輝かせている。
花の中でも、この桜という花は、一本の木に付ける花びらの数が、他のどんな花よりも多くて、美しい。
あっと言う間に、辺りの雰囲気を染め変えてしまうほどに、誇らしげでさえある。
幹に巻きついていたブドウカズラも、それに寄生する大王花も、その清らかで美しい桜の姿に、瞬く間に霞んで行くようでもあった。
「すごいなぁ、何で急に咲いたんだろ?」
「……」
そのデューイの問いに、索冥は言葉を返さなかったが、
「――おまえ、向こうへ行って様子を見て来い。絶対、あいつが何かやらかしてる」
と、静かに昏睡する舜の姿を、顎でしゃくった。
「向こう?」
そう言われたところで、デューイにはそこが何処なのか、どうしたら入り込めるのかも解らない。
第一、舜は何処にも行かず、目の前で昏睡しているではないか。
「覇王花殿に挨拶に行って来い。こいつみたいに」
索冥が言った。
「……」
――舜みたいに。
舜のように大王花を覗き込めば、舜が今、眠りながら見ている世界へ行くことができる、というのだろうか。
だが、そこは一体どんな世界で、どうやったら舜を連れ戻すことができるのだろうか。――いや、そんなことはどうでもいい。舜がそこにいるのなら、デューイにためらう理由はなかった。
踵を返し――いや、返すように、デューイは灰の体を風に乗せ、覇王花と呼ばれる大王花の中心を覗き込んだ。
種子は、そこからではなく、背後にある黒い実のような咲き終わりのものから爆ぜ飛ばされた。
握りこぶし一つ分くらいあるその実の中には、数百万個もの種子が詰まっているらしい。
それを、小動物や昆虫たちが運ぶらしいが、今回はそのまま舜に寄生したのだ。
そして、今度はデューイを宿主とするために爆ぜたのだが……。
大王花の種子は、デューイの灰の体を通り抜け、その先へと落ちてしまった。
「ど、どうしよう……。寄生してくれない」
おろおろと索冥の方へと視線を向けると、
「細かく漂ってないで、個体になれよ。――ビンは?」
呆れるように、索冥が言った。
確かに、種子の入り込める個体でなくては、寄生するには向かないだろう。
「舜の服のポケットに……」
デューイは言った。
山の中に入るとは思えない、舜のカジュアルなフード付きのチェックのベストのポケットの中に、陶製の調味料入れが入っている。
だが、それに入ると――。
「ハークシュン!」
途端にくしゃみが飛び出す始末。
「――アレルギーか?」
杉の木でもあるのかと、索冥が辺りをぐるりと見渡す。
「い、いえ、気にしないでください――。ハクシュン!」
前回の話を思い出していただけただろうか。
デューイはまだ健気にも、この胡椒が入っていた調味料入れの中で過ごしていたのである。
「ならいいけど。――ほら、この中に種を寄生させてもらえ」
この中と言われても、この灰はデューイの体である。何かに寄生されてしまうなど、あまり気持ちのいいものではない。
だが、今は他に方法もないらしい。
「あの、索冥さんは……?」
一緒に行かないのか、と問いかけると、
「俺? 冗談! 霊獣たる麒麟が何かに取り憑かれるなんて、言語道断だ」
「そ、そうですね……」
彼は魔物ではなく、神聖なる生き物なのだから。
神と魔が互いに守護し合うからこそ、帝王とは、より完璧なものになれるのだろうか。
そんなことを考えていると、調味料入れを持つ索冥の手が、大王花の前に差し出された。
「ハークシュン!」
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